#56
「それにはお礼を言うわ。だけど、ここでさよならね。残念だわ、私も」
その口調にも顔にも仕草にも一切そんな様子は見て取れなかった。心が冷えていく。心が、機械になる。違うか。元々ぼくの心も――未由が潔子ちゃんに尋ねていたように、プログラミングされたもの、なのだろうから。
もう……いいや。
殺してくれて……じゃなく、壊してくれても、か。どっちでもいい。ぼくの人生は、無意味だった。
「じゃあね」
がんがん。
二連打。躊躇ないなぁ。ぼくは天を仰ぐ。そして本当の意味での世界の終わりを、待つ。
なかなか訪れない。視線を下げる。
ぐったりした、きみがいた。
「…………」
頭がバグる。現状に状況把握の演算処理が追いつかない。わからない。理解不能。ただノイズのようなものが耳に聞こえる。
手を伸ばす。ぼくの体に力を抜いて寄りかかるきみは目を閉じて、苦痛に顔を歪めていた。
「先……輩」
そのすがるような呼びかけに、意識がトんだ。
人間の常識を飛び越える。十メートルを0,5秒で詰めて、セラミックの銃を素手で握り潰した。そして冷たい目で、ぼくは岸辺を見下ろす。
「すごいじゃない、鈎束くん」
どこまで、余裕綽々の態度。
ぼくは、尺骨の中ほどからもげた右腕の上腕部で抱えた未由に、視線を移す。
「……未由を」
「未由ちゃん、なんであなたを助けたんだか……好意を持ってるなんてデータ、なかったんだけどね」
こちらの事情なんて何処吹く風という態度で、岸辺は言葉をづらづらと並べていく。そんなこと、どうでもいい。ただぼくは未由を――
そこでそれに、気づいた。
「岸辺、お前……」
笑顔。それが、とても儚いことに。
「なによ? 同情ならいらないわよ」
その顔からは、既に血の気が引き、唇は紫に変色し、満遍なく危険な汗をかいていることを。
「……死ぬのか?」
ありとあらゆる質問をぶっ飛ばして、端的に尋ねた。時間的余裕は限りなく零に近い。それに岸辺はほんのり口の端を吊り上げて、
「バカね……死なないわよ。ただ少し、眠るだけ……」
そういって優雅に両膝をついて、言葉に従うように前のめりに、岸辺は動かなくなった。
それにぼくは一秒だけ、時間を捧げた。
「未由」
視線を移す。出血箇所を確認。左大腿部。右の肩。即死の傷ではない。だが、
「あぅ……ぅうっ!」
この痛がり方。そしてまったく力を感じさせない様子。
骨を砕いている。
一刻を争う。
担ごうとする。だけど、どう担ぐべきか考えた。迷う。肩を貸すやり方も考えたが、大腿骨が砕けている現状では負担をかけてしまう。出来る限り固定させる必要がある。お姫様だっこなんて、もちろんダメだ。大腿骨に負担が掛かる、という理由もあるが、倫理的な問題もある。きみがぼくを、そういう行為を許していない。そんなのは、フェアじゃない。ぼくはきみが嫌がることはやりたくない。結果的に、苦渋というか、正直本音でいえば役得ではあり嬉しくもあるが精神的に手放しではという意味合いでのそれで、ぼくは彼女をおんぶした。
鈎束透としては紳士に太腿の方を支えたいのだけど、傷の問題で仕方なく男として嬉しい選択である――お尻に、手を伸ばした。
肉付きはいい方だとはいえなかった。だけどその柔らかく、形容しがたい清浄な感触を、ぼくは一生忘れることは出来ないだろうと思った。
思考は、一秒にも満たさせなかった。そんなことできみに何かあったら、ぼくはぼくを許せない。すぐに進む。
前に。
足を素早く、そして何より振動を与えないように前方に運ぶ。後ろへは、考えなかった。既に三十分近く進んできた。戻る時間も惜しい。それに見た限りでは、後方にはなにも見て取れなかった。信じるしかない。今ぼくは、ロボットだ。歩く速度は、気を遣っているのにもかかわらずさっきの五倍は速い。
救う。
進む。終わりが、近づいているのを感じる。景色は今までと違って目まぐるしく変わっていた。さっき見た基地を境にして、もはや岩壁や土底は姿を消した。それは徐々にトンネルのような様相を呈していた。きちんと整備され、塗装された、近代的なものへと。そしてそれはぼくが進む視界の中で、さらに進化を遂げていく。それは近未来、遠未来すら想像させるものへ。それは上の青い世界とか変わりない、しかし青くはなく白と黒を基調とした無機質なものへと。
最後に会う人間は、どこかでわかっている気がした。
「透……トオルゥ……!!」




