#50
呟きが、紡ぎだされる。そこに驚きは、なかった。理屈じゃない。感覚的に。ぼくは、未由が応えると、確信していた。
喉が何かを嚥下するように、こくりと動いた。
「こんなとこでこんな状況でこんな私で。ふざけた質問、しないでください。私をイラつかせないでください。私を、怒らせないでください。私を……私を…………っ!」
きみの瞳から、透明な液体が、筋を作る。ぼくはそれを視線は上に向けたまま、視界の端で見えていた。
ぼくはそれを見て、無性に謝りたい衝動に駆られた。
「――私だって苦しかった! 辛かった嫌だった叫びたかった泣き……たかった! だけど――出来なかった!」
紡ぎだされる叫びは悲鳴のようで、それはぼくの心を削るナイフのようで、だけどそれは振り回すきみ自身も傷つけていくようで。
なんでこんなきみを理解できなかったのかを、思っていた。
「でも、もうそんなこと……どうでもいいんです! 私、死ぬんですから! 消えるんですから! だから私がこんな風に叫んでも愚痴っても文句言ってもしょうがないんです意味ないんですだから消えます今すぐにッ!!」
絶叫の中口を挟むのは、勇気と技術が必要だった。
「……意味、ないかな?」
「ないですッ!」
一喝され、そして再びきみの言葉に耳を傾ける。
「潔子先輩もいなくたっちゃったし! 誰も私の味方になってくれない! いたくないんです、こんな世界ッ!」
わかった。
ぼくじゃ、ダメだ。
だからとにかく、不満を紡がせた。胸の裡にたまっているものを、全部吐き出させるようにした。
「怒ってるの、未由?」
「怒ってませんよッ!」
もう、言ってること無茶苦茶だ。
「なに勝手に私のこと決めつけてるんですかふざけないでください私のせいにしないでくださいよ!」
「ごめん」
「ごめんじゃないですよなに簡単に謝ってるんですかそれじゃ私が悪いみたいじゃないですか!」
「いや、未由は悪くないよ。悪いのは、ぼくだ」
「善人ぶらないでください! 偉そうにしないでください! 私を、み、みくださ――」
抱きしめた。正直抵抗はあったけど、それでもそうせずにはいられなかった。
「未由は、悪くない」
何が正しいかなんて、もういい。
大事なのは、唯一その、きみの気持ち。
「未由は、悪くないよ。未由は、よくがんばってる。よく、がんばった」
そしてぼくはきみの頭を、子供をあやすようにゆっくりと、撫でた。硬く緊張していた力が抜け、
「えらいよ、未由」
「こ、子供、あつ……か……っ!」
肩を震わせて、きみは泣いた。
胸が伽藍堂になる。いつも黙っていたきみは泣いて、いつも笑っていたぼくは黙る。
世界は終わるんだと、思った
ならばもう、きみの苦痛もぼくの想いもそれを受け止めきれない世界の弱さも何もかも、消え去ってしまえばいいと思った。
報われることのなかった片想いも、もう終わる。せめて綺麗なまま、消えたいと願った。
未由。
最後に思ったのは、きみの名前だった。大きな瓦礫が落ちてきて、視界は完全に、消失した。
*
枕元から、お母さんの声が聞こえた。
それにぼくは、目を覚ます。見慣れたぼくの部屋。カーテンを開けると、日差しが瞼を焼いた。小鳥が鳴いていた。
階下におりて、お父さんとお母さんと話をした。妹の美香は今日もやかましかった。ショッピングなんて、いつでも行けるじゃないか。
そして、学校へ。亮に昨日のテレビの、バラエティ番組の話をされた。ぼくはその時間はどちらかというと歌番組のほうが好きだった。担任の設楽は相変わらず嫌なやつで、今日もぼくの苦手な英語の時間に当ててきた。そして久瀬さんは今日も、綺麗だった。
飽きるほど繰り返された、だけど悪くない居心地のいい日常の、一コマだった。
ずっとこんな毎日が続いたっていいと、思えるくらいの。
それが突然、暗転する。
ぼくは、遺跡の壁画を見ていた。
それは酷く奇怪なものだった。よく映像投射機で見るドキュメンタリー番組で紹介されるのは、古代の人々の狩りの様子や儀式、生活の様子を象徴的に現したものがほとんどだった。だけどその壁画は、まずなにが描かれているか、ということからしてわからなかった。
まるで一種の幾何学模様だ。楕円の中に、小型の真円。渦のような形に、それが収束しているであろう場所にある手のようなもの。角が描かれていない三角形。そして表情のない人間の顔のような、線と円の集合体。
断片的なそれらは、ピースのようだった。組み合わせれば、なにかを為すのか。意味が生まれるのか。まるで、パズルのように。
試されるためだけに、生まれたんじゃない。
「――なぁ、未由」
「なんですか?」




