#42
おっかなびっくり、ぼくは声をかけた。また飛び掛られるんじゃないかと、身構えておく。
だけど今度は刀耶は暴走したりせず、
「……なんだ」
疑問の呈も成してないような発音。
「その……今日、なんで部活動来なかったんだ?」
「もう、終わったからだ」
意味が、わからなかった。
「……って、どういう意味だよ?」
「俺ももう、我慢する必要もない」
違う。理解したくなかっただけだ。
「……なにをだよ。刀耶お前、何の話してるんだよ?」
嘘だと。言って欲しかっただけだった。
「話すことは、もうない。透。最後に俺が俺でいられる間に、言っておく。楽しかった。お前がいたから、今日まで俺は俺でいられたと思う。ありがとう」
それきり。刀耶はぼくがなにを言っても、応えてくれることはなかった。
未由は入り口で、腕を組んで待っていた。
「ごめん、待たせたね……行こうか」
力なく言うと未由は、
「……どこにですか?」
それにぼくは、肩を震わせた。
予感というか、そんなものはしていた。
「そんな……」
鶫の家は、空っぽになっていた。
鶫の家は、元々物という物がない家だった。真四角な間取りに、キッチン、トイレ、シャワー室、本棚、箪笥、そしてベッドがあるだけの。
それが一切合財、なくなっていた。天井の蛍光灯すらない。
そして鶫と、そしておばあさんの死体も、姿を消していた。
「なん、で……」
ぼくはうな垂れ、その場に膝をついた。わからない。どうしてなのか。答えが欲しい。だけどそれをくれる人がいない。
ぼくはしばらくの間傍らに立つ未由のことも忘れて、そうしていた。
帰路に着く。
時刻は、7時に指しかかろうというところ。家ではきっと圭子さんが晩御飯を作り終え、ぼくの帰りを待っている。辺りは徐々に暗くなってきており、ちらほらと薄青い星の輝きが見て取れるようになってきていた。
ぼくは自分の足を、鉛のように重いものと感じるようになっていた。一つにはこれほど長い距離を歩くつもりがなかったというのもある。もう一つには、あまりの事態に衝撃を受けたというのがあった。
歩く先に、希望というものが見えない。
足が前に、進まない。
ぼくはとうとう、足を止めてしまった。
「……先輩」
未由がぼくに、振り返る。その最も着る機会の多い定番の白いドレス調のワンピースは、暗くなってきた中で浮かび上がるようだった。
「未由……」
ぼくはその名を呼び、そして動けなくなった足を見た。一歩、踏み出してみた。だけどそれ以上は進めない。どうしたらいいのか、わからなくなってしまった。
「……とりあえず、少し休みましょう」
未由から掛けられた珍しい優しい言葉に、ぼくは戸惑いながらも嬉しく思い、そして頷き、ぼくたちは近くの道路脇のベンチに腰掛けた。
ぼくはそれまで、そんなものがそんなものがあるなんて気づきもしなかった。視界に入らない世界。それはその人間にとって存在していない世界となるということを、初めて知った。
ぼくは世界というものを、どれほど小さく見ていたのだろうか?
「少し、疲れましたね」
「……うん、疲れたね」
ぼくは応える。頭を上げたまま、指を組んだまま。いつものようにあれこれ思案をめぐらせる余裕もない。まるで一人部屋でやるように素直な気持ちをぼくは吐露していた。
「もう、どの方にも会えそうにありませんね」
不意に出された言葉に、ぼくは顔を上げた。
未由は前も見たように、空を見上げていた。
「……未由?」
「残念です。先輩のお友達に会えるの、楽しみにしてたんですが」
儚げな、笑顔。
「うまく、いきませんね」
それは酷く、ぼくの胸を打った。
そしてぼくは、思い出していた。以前。未由が一度、こんな夜に訪ねてきたことがあった。その時にもぼくは参っていて、そしてその時も未由は同じようなことを言っていたような気がする。
あの時は、終わりそうだと勘違いして空回りしていた自分に、絶望していた。
今は、終わりそうな世界に空回りしている自分に、絶望していた。
「……そう、だね」
未由はぼくの言葉に儚い笑顔のまま、そこに座っていた。
以前はそのまま、幻のように去っていってしまった。
「未由は……」
なにか言わないといけないと、思った。
「……なんですか?」
「…………」
でも何を言えばいいか、わからなかった。
「……そろそろ、行きましょうか」
そしてぼくたちは未由の力を借りて再び歩き始め、そしてそれぞれの帰路についた。
そのまま別れてしまって、ぼくはよかったのだろうか?
眠れるわけも、なかった。