第35話 『家族』を守る誓い
アイナはそこで話を切るとゆっくりと俺を見つめた。
その眼差しは黒い狼の姿をした俺を見ているのか、それともヴィシリーズという黒い狼をみているのか……。
それにしてもアイナの過去は俺の森での出来事に似ている気がした。
違っているところは明確だ。
アイナの家族は全員死に、俺の家族はまだ生きている。
母さんは死んでしまったが、それでも俺にはまだ守る者がいる。
俺はアイナに視線をあわせる。
「ごめんね。あんまり聞いていて気持ちのいい話ではなかったでしょう?」
そういって、少し悲しいような恥ずかしいような……そんな色んな感情が込められた笑顔を俺に向けた。
「いや。話してくれてありがとう。辛い過去を思い出させてしまったみたいだな」
俺がそう言うと、アイナは小さく顔を横に振り笑顔で答えた。
「辛い過去ではあるけれど、私にとっては大事なものだから……忘れない事の方が大事なのよ」
そういって満面の笑みを俺に向ける。
俺はなんと声をかけていいのかわからず、アイナもまた笑顔ながらも過去の感傷に浸っているようで少しの間沈黙が流れた。
「……チロは優しいのね。まぁ、そうだからこそリードが連れてきたんでしょうけど」
沈黙の後、アイナがグッと両手を上げて伸びをしながらしみじみと言った。
「優しくないさ。こんな時どう声をかけていいかわからないだけだ。そういえばリードが俺を連れて帰ればアイナが喜ぶとかなんとか言ってたっけな」
「チロを初めて見た時は驚いたけど、確かに嬉しいお土産ではあったわね」
そういいながらフフっと笑った。
「でも俺は、昔のヴィシリーズの親子に似ているだけでたぶん種別も違うと思うぞ?」
「そういう話ではないのよ。私がチロを本当の意味での家族として迎え入れたのはチロの話をあの人から聞いた後よ」
「確かにアイナの森での出来事に似ているな」
「そうね。でも私とは違う。チロにはまだ守るべき物が居る。私には手の届かなかった事がチロにはできる。まだ間に合う。これが私に与えられた贖罪の最後のチャンスに思えたわ……私があの惨劇を生き長らえたのはチロに出会って助けるためかなって思ったほどよ?」
「それは流石に言い過ぎだろう」
「そうね。エリスも一人で生きていけるようになるまでしっかり守っていかなくちゃね」
そう言いながらアイナは俺の頭を優しく撫でる。
「でも、チロが訓練したいって私に言ってくれた時は嬉しかったのよ?」
「そうなのか?」
「ええ。チロはあの人にばっかり頼み事をするから私の入る隙がなかったもの。まあ私も過去の事を話していなかったし当然ではあるのだけども」
「確かにこの話を聞くまではアイナの事を変わった人だなと思っていたかもな」
アイナは「失礼しちゃうわ」なんて言いながら茶化した風に笑っていた。
アイナの過去の話を聞いて改めてアイナが何故『家族』にこだわるのかがわかった気がする。
本当はもっと複雑な思いがあるのだろうけども、そこについては想像するしかないな。
あんな凄惨な過去があって、それでも俺を家族といって笑顔で微笑みかけてくれる。
過去の心の傷を癒すのにどれだけの時間がかかったのか想像もつかないが、今は母として家族を守っている。
アイナは強いな。
精神的にも、勿論肉体的にも……。
今日アイナの機嫌が悪かったのも、この話を聞いた後なら理解できる。
勿論へクスの事も関係ないとは言えないがその比重は恐らく小さいだろう。
俺を必死に育てようとアイナなりにしてくれていたのに、あんな不甲斐ない訓練をする俺をみていたらアイナの心情としては非常にやきもきとするだろうな。
「今日の訓練はすまなかった」
「そうよ。チロはもっと強くならなきゃいけないのよ」
アイナはそういうと俺の頭をポンポンと優しく叩く。
「この世界は残酷なんだから……」
そう小さく呟いたアイナの低い冷たい声が脳裏に張り付く。
だが、直ぐにいつもの明るい口調に戻った。
「どう? さっきのできそう?」
「ああ。さっきの話を聞いて何か掴めた気がする。今からでもやってみたいくらいだ」
「やる気十分でよろしい。でも今日は止めておきましょう。また明日ね」
そう言って、アイナは俺の顎の下の肉を両手で掴みブルブルと振った。
非常に気持ちいい。
まあ三年近くも狼と一緒に生活していたんだし、手慣れたものなのか……。
そうして二人して笑った後、アイナが口を開く。
「とは言っても、まだ時間があるわね……」
時計を見たアイナはそんな事を呟いていた。
「じゃあ、もしよかったらなんだが。その後どうなったか簡単に教えてもらってもいいか?」
「ええ。いいわよ。その後私は冒険者になったの」
まあ、ここは予想通り。人間を殺し続けてたんだからLVもかなり高かっただろうし、帰る場所も何もないのだからそれ以外の選択肢はないだろう。
「あっ。でもその前にキュシアと出会ったわ」
「キュシアと? てっきり冒険者仲間かと思ってた」
「結局そうなるんだけどね。キュシアってば苛められていたのよ。今では想像できないけど」
アイナは笑顔で過去の友人の秘密を暴露する。秘密かどうかは知らんが……。
「あのキュシアが? 想像できん」
「でしょう? キュシアも昔は泣き虫でいっつも泣いていたわ」
「それをアイナが助けたのか?」
「まあ結果としてね。私は近くを通っただけなのよ」
「え?」
「その当時の私にとってはどうでも良かったのよ。別に死ぬわけでもないし、仮に死んだとしても関係ないしね」
酷く冷たい物言いに少し驚いたが、確かにあの森を出た頃のアイナは特に道徳心というか倫理感が壊れた状況だったしな。しょうがないのだろう……。
「それで?」
「そしたら私が臭いだなんだって、いじめっ子達が私に突っかかってきたのよ」
「まさか殺したの?」
「ナイフで殺そうと思ったんだけど孤児院のマールの顔が浮かんでね。ギリギリで踏みとどまったわ」
そのいじめっ子達には自業自得だけど同情を禁じ得ないな。
「それでキュシアを助けたと?」
「そうね。その時はキュシアと認識すらしてなかったけどね」
「あら冷たい」
「私ってそういうところあるかも?」
アイナは冗談っぽく言っていたが、確かに家族とそれ以外に分類していると感じることはある。
まあ家族に比重を置きすぎていると傍からは見えるのだろうが、過去の話を聞いた今は当然かなと思う。
「それからキュシアとどうやって仲良くなったんだ?」
「うーん。気づいたらいつも宿の近くにいたのよ」
「へ?」
「冒険者になって少ししてから、キュシアが私の宿の近くにいて『ありがとう』だとかそんな感じの事を言って来ていたのは覚えているわ。私は冷たくあしらっていたと思うんだけど、それでもキュシアは懲りずに私の宿に通い続けたのよ」
「それって……ストーカー?」
「ね。そもそもどうやって私の宿を探し当てたのかも謎なのよ」
「キュシアはなんて言ってたの?」
「わからないの。キュシアったら照れて教えてくれないのよ」
「そりゃあ恥ずかしいわな」
「でも、キュシアには感謝しているわ。キュシアが居なかったら私は狂ったまま大人になってたと思うし、生活面でも色々教えてもらったしね」
「生活面?」
俺がそういうとアイナは据わった目で俺を見る。
なんだ?
「もうっ。十歳くらいの女の子と言えばあれよあれ」
咄嗟に俺も察する。あれか。
「失礼しました」
「ふむ。よろしい」
「でも、結局本当に仲良くなったのは私の背中をキュシアが見てしまった時ね」
「たまたま?」
「そうよ。見せびらかすものでもないしね。着替えていたらキュシアがドアを開けちゃったのよ」
「それで?」
「大泣きよ、大泣き。号泣しながら私に抱き着いてきて『痛くない? 痛くないの?』って何度も聞いてきて、結局一時間くらい私が慰めていたわね」
「意外な絵ずらだな」
「あの頃のキュシアは泣き虫な普通の女の子だったのよ。でね、その時に思ったのよ。この子が世界で唯一人だけ私を心配してくれる人なんだなって。それからは何でも話すような『親友』になれたかな」
その頃の事を語るアイナの口調が楽しそうで俺の胃が痛くなった。
俺がここに居なければ、アイナとキュシアは親友として今もテーブルでお茶でも飲んで昔話に花を咲かせていたかもしれない。
そんな絆を断ち切って俺が本当にここに居てもいいのだろうか……。
俺はそんな内心を表に出ないように封じ込めて話を先に進める。
「結局それでキュシアも冒険者に?」
「キュシアにはお母さんしかいなくてね。そのお母さんが病気で亡くなったのよ。それで一人で生きていくには冒険者になるしか道がなくてね。私と一緒にパーティーを組んでやっていくことにしたのよ」
急にぶっ込まれた重い話に胃がさらに締め付けられる。
「それからはキュシアはどんどん強くなっていったわ」
「キュシアって罠が凄いんだっけ?」
「そうそう。元々手先が器用でね色んな罠を自分で作っていたわ。それに洞察眼も加わってこの大陸一のブランクストーカーになったわ」
「そしてあの口調に?」
「うーん。あれはなんというか男の冒険者に負けたくないって始めたんだったと思うんだけど、そのうちそれに慣れちゃってずーっとああね」
「ああ。成程そういう事情なのか」
俺の知らなかったアイナとキュシアの昔の話。アイナはそれを楽しそうに語った。
俺が言えた事ではないが、いつか二人が元の親友に戻れる日が来るといいなと切に思う。
むしろそうなってもらわないと俺が困る。
俺の首を差し出す気にはなれないが、何かいい手はないだろうか……。そもそもキュシアは今何処へ?
俺は内心そんな事を思いながらアイナの話を聞いていた。
「二人で世界中を回ったのか?」
「そうね。色々あって回る事になったわ。本当は私一人で行く予定だったのだけど、キュシアが勝手について来て結局二人で行くことになったのよ」
「ん?」
「十五歳くらいの時にね、孤児院を襲った黒マントの一人を見つけたのよ。そこから八年かけて世界中を回って全員殺したわ」
「お……おう」
さらっとえげつない事を言われた気がする。
「そして、最後の一人がいるのがここエルディアだったのよ」
「そうなのか?」
「ええ。街中の酒屋で飲んでいたからそのまま殺したのよ」
「酒屋で?」
「そうよ。最後の一人だったし。復讐が終わったら私は死んでもいいと思っていたからね。後先なんて考えてなかったわ」
「その頃はまだ殺戮マシーンのアイナさんで?」
「そうね。キュシアのおかげで大分ましになっていたけれど、それでも復讐を始めてからは『鮮血』って名付けられるくらいには苛烈だったわね」
「…………」
「そこで騒ぎを聞いて駆けつけてきたのがリードだったのよ」
「それでリードと戦ったんだっけ?」
ここでリード登場か。
「私としては死んでもいいと思っていたからね。捨て身の酷い戦い方をしていたと思うけど、あの人は私の全て受け止めたわ」
「まあ、あれ展開されたら流石に……」
「そうね。そして私に止めを刺してもくれなかった」
「アイナが負けたんだっけ?」
「そうよ。結局動きを封じられて投獄される事になったわ」
「まあそうですよね」
「その後結局、あの人に口説き落とされて結婚したのよ。ハイ。終わり」
最後は恥ずかしがったのか言いたくなかったのかわからないが、アイナはサラッと流して終わらせた。
「終わり終わり! もういい時間ね晩御飯の準備しなくちゃ」
そう言いながらアイナはソファーから立ち上がると台所に向かっていく。
だがリビングの出口付近でアイナが急に立ち止まった。
なんとなくふっと立ち止まったアイナの背中を俺は眺める。
「結婚する時にね。この背中の傷跡に誓ったの。必ず家族を守るって。
それはたとえ親友を敵に回しても変わらない誓い」
アイナはそう言うと顔だけこちらに向けた。
その表情は誤魔化したような笑顔ではなくて真剣な眼差しだった。
「だから。チロは何も気にしなくてもいいわ。これは私の生きるための誓約だから」
そう言ってアイナはキッチンへ向かっていった。
アイナの気遣いは心に沁みた。
俺の心は痛みとホッとした気持ちが同居していた。
俺はそんな複雑な心境のまま、赤くなり出したエルディアの街を窓から眺めた。




