第34話 家族偏愛 家族の終わり
私が初めて人を殺してから雪の降る時期が二回過ぎた。
私は十歳になっていた。
朝になれば起きる。
起きて小川で顔を洗い朝ごはんを食べる。
それから見回りに出て、餌を探す。
見つけたら家族と協力して狩る。
見つけられなければ巣に帰って昼ごはんを食べる。
昼も見回りに出る。
見つけたら殺す。
見つけられなければ巣に帰ってご飯を食べる。
小川で体を洗い寝る。
これがこの森での生活の全てだった。
長い時でも三日もすれば餌は見つかったし、最悪木の実もある。
お腹が空いて辛い記憶はあんまりない。
初めの一年くらいの狩は凄く簡単だった。
私の人間を狩る能力は非常に高かったといっていいだろう。
方法は簡単だ。
初めて狩をした時のように、一人で採集にきた冒険者の前に姿を晒して近寄ってきたところを刺す。
それだけで狩が成立した。
そんな私の狩をいつもムーが草陰から見守ってくれていた。
頭の良い彼等は私がもし殺し損ねた時にフォローしてくれるつもりだったのだろう。
幸いそのフォローを受けることは無かったが……。
だが、始めの雪が解けた頃になると人間は私の姿を見ると逃げるようになった。
その人間は逃げ際に口をそろえて『亡霊だ』と言っていた。
そう、森の近くの村では私はいつしか亡霊として知られるようになっていたのだ。
このせいで私の今までの狩は人間に通用しなくなってしまった。
困った私は他の家族と一緒に狩をしようと考えた。
この時に一番驚いたのが私の身体能力の向上だ。
足の成長が一番目立った。家族と並走どころか一歩先を走れる程に私の足は速くなっていた。
その当時は『私って成長したんだな』程度にしか思っていなかったが確かに異常な速さだった。
他に比べる人間が居なかったこともあって深く考える事はなかったが今でならわかる。
私は冒険者を狩ってLVが上がっていたのだ。
九歳の体に身体能力と感知能力の強化がなされていた。
その恩恵のおかげで私と家族の狩はスムーズに成功し続けた。
私が飛び出して人間を襲う。
殺しきれなければ、家族が出てきて体中に噛みつく。
それで終わりだ。
逃した者は一人もいない。私達の領域に近づく人間は全て殺して餌にした。
そんなこんなで私は三度目の雪の時期も生き抜いた。
その日も私は人間を狩った。
珍しく小奇麗な恰好をした太ったおじさんだったが、私達の領域に入ってきたので関係なく殺した。
服は分厚く高そうだった。勲章もいくつかついていたのだが、私はそれが何かわからず洞窟の外に捨てた。
持ち物は特になかったが、お金が入っていた。
この森ではお金なんて価値はないのだが、一応巣の奥に保管しておく。
その獲物については正直その程度の記憶しか残っていない。
だが、その獲物は近くの村の領主だったのだ。
それから三日程して私は夜に目が覚めた。
ムーとユーが騒がしかったからだ。
いつもならスース―と寝息を立てていたのだが、ぐるぅがるぅと低い声を出していた。
私は飛び起きて、アンとミンとメイを叩き起こす。
この異常を私は幼いながらに感じ取っていた。
私はすぐに偵察に出た。
ムーとユーが付いてこようとしたが私はそれを留めて一人で偵察に出る。
私だけならば最悪、人間の子供のふりが出来るからだ。
そう思っていたのだが……。
現実は甘くなかった。
偵察に出てすぐに人間を見つけた。
しかも数十人程いた。
私はその数に愕然とする。
多すぎる。
私はすぐに逃げようとしたが人間達は私を見逃さなかった。
私は森の中を全力で駆けた。
地図なんて必要ない。全ての木を覚えている。
どこを走ればどこに着くかなんて体が覚えていた。
LVが上がった事もあって夜目がかなり効くことも大きかった。
だから、追って来る人間を私は一人づつ殺していった。
そして、追いかけてくる最後の一人になるまで私はそれを続けた。
特に難しいことは無かった。
土地勘もあり、地面の状況や戦いにくい場所等ハッキリと覚えている。
一方的に有利な戦闘を行えるところで仕掛けて一撃で殺す。
ただ、それだけを繰り返せば良かった。
だが、最後の一人になって事情が変わった。
強かった。
剣を一本抜いただけで構えも何も取らない人間がどうしても殺せなかった。
なんど仕掛けても剣ではじかれる。ただ向こうからは攻撃をしてこない。
ただただ何度も弾き返されただけだ。
私は戦い疲れてとうとう膝を地面についた。
珍しい帽子を被った男が剣を鞘に入れて近づいてきた。
その紫色の目を見ると気持ち悪かった。
吐き気に襲われたがなんとか耐えた。
「ほう。耐えるか」
男は私に話しかけてきた。
「お前。名前は?」
答えない私を無視して話を続ける。
「ふむ。お前は強い。だが殺さなければいけなくなった」
私に殺すと宣言している割にこの男からは殺す気がまったく感じられなかった。
「お前は面白い。最後のチャンスをやろう。自分の命は自分で拾え」
そう言って男は私に剣を構えた。刃の無い細い突くことに特化した剣。
その先が私に向けられた。
「俺がいまから一回攻撃する。それで死ねばお前の負けだ。生き残れば好きに逃げろ」
その言葉を聞いて私は立ち上がった。
構えも何もない。ただ右手にナイフを持って相手へ向ける。
その瞬間あれが来た。
私の体全体が痺れたように感覚がなくなる。
体中の汗腺が開き液体が流れ落ちる。
『死』
それが私の全てを掌握した。
男は唇を吊り上げて笑う。
その口がその頬がその眼がお前を殺すと言っている。
殺される。
私はそう思った。
だが、同時に私は違う事を考えていた。
死ぬことが怖いのか?
いいえ。薄々この生が長く続くとは思っていなかった。
怖くないのか?
いいえ。怖い。死にたくない。
ならばどうする?
殺すしかない。
何を?
コイツを。
私は気がついたら飛び出していた。
目の前に薄く笑うこの紫の眼の男に向かって。
体中の痺れた感覚がなくなっていた。むしろ鮮明に体中の動きが脳に伝わって来る。
私はこの男の首に狙いをつけた。
あそこを切ればコイツは死ぬ。
それで終わり。
私の脳は考えることを全てを捨てて目の前の剣と男の首だけに集中する。
男は私の動きに驚いたような表情をしていたが、直ぐに引き締める。
そして私に向けた剣の先が動いた。
時が遅くなったように感じた。
剣がゆっくりと私に向かって進んで来る。
その頂点にナイフの腹を当てるように移動させる。
火花を立て金属同士がこすれ合う不快な音を聞きながら私はもう一歩前にでる。
そしてナイフを引き抜き男の首へ――。
その途中で時間が早送りされるように目の前の男は私の腹に蹴りを入れる。
くぐもったうめき声をあげながら私は吹き飛ばされた。
痛かった。
あばらが数本折れるのがわかった。私の口からは血が滴り落ちていた。
そんな私をみて男は嗤っていた。
「すまなかった。楽しくてついな。いいだろう好きに逃げろ私の負けだ」
私は体を無理やり起こして男の方を見る。
男は既に私に背を向けて立ち去ろうとしていた。
その途中で男は顔をこちらに向けた。
「お前。はやくこの森を抜けた方がいいぞ。もう一人ヤバイのが来てるからな。そいつに見つかったらお前は死ぬ。多分今頃はあっちの方だ」
男はその方向を指さした。
「向こうには行くな。お前には見どころがあるからな。またいつかどこかで会えるかもな」
そして男は後ろ手に手を振りながらさっていった。
私の頭の中はそれどころではなかった。
男が指を刺した方向。
そっちには私達の洞窟があった。
私は真っ直ぐにそっちへ走った。
お腹が痛い。
そんな痛みよりも胸が痛い。
死ぬ? そんなこと知らない。
死ぬよりも死んで欲しくない。
守りたい。
また、一緒に五匹と一人で眠りたい。
ふんわりとした毛とザラザラした舌。
あの温もりだけが地獄から生き延びた私への御褒美。
あれだけは失いたくない。
だから私は走った。
走って走って走って――。
だが、やはり……この世界は私に厳しかった。
私が洞窟についた時にはそこは既に血の水たまりがいくつも出来ていた。
沢山の人間の死体。
そしてそこに転がる黒い毛玉が……五つ……。
そして、そこに動くものは何も無かった。
全てが終わった後。
何も動かない。誰も動かない。ただ、赤い血の池が時折吹く風に小さな波を立たせるだけだった。
私は膝から崩れ落ちた。
そして目の前に転がるアンを抱きしめた。
まだ……暖かかった。
その温もりが私の涙腺を壊した。
泣いた。
号泣した。
声を出して喚いた。
私も殺して欲しいと思った。
また、一人で……私だけ生き残って……。
私は……私は……。
少し落ち着いた頃になって私は声を聴いた。
まさかと思って駆け寄ってみるとそこには人間が転がっていた。
その人間は私に向かって手を伸ばし助けを乞うた。
何故? 何故お前が生きているのか?
単純な疑問だった。
ムーもユーもアンもミンもメイも死んだ。
それなのに何でお前が。お前みたいな奴が。
私はその人間の額に全力でナイフを突き入れた。
ただの八つ当たり。
半ばまで刺さったナイフを足の裏で強引に奥までねじ込んだ。
何も変わらなかった。
こんな人間を一人殺したところで私の家族は生き返らない。
わかっていた。
私は家族を拾い集めて巣に戻った。
そしてベッドに並べて私も一緒に眠った。
少し暖かくて冷たくて、涙が止まらなくて……。
こうして私はまた五人の家族を亡くした。




