第30話 醜き聖痕
「チロって私と戦ってる時、私のこと殆ど見てないよね?」
お昼ご飯を食べた後のゆったりと過ごす午後にアイナの言葉はぐさりと刺さる。
「確かにあんまり見てないかもしれないです……」
「あんまりじゃないでしょう? 今日なんて私の攻撃をそっちのけで動いてたわよね?」
「はい」
わかってるんだ。
でも、見てからじゃ既にアイナの突きは俺に到達しているんだよ。
自分の強さを理解してから言って欲しいわなんて……言えない。
「チロと戦ってると未熟な冒険者を相手にしているみたいなのよね~」
「未熟なのは認めます……はい」
「違うのよ。チロは頭の中が人間なのよ」
そりゃあ元人間なんだからしょうがないでしょうよ。
「まあ、元人間ですから」
「それがダメなのよ。チロの人間みたいな考え方がチロの長所を全部潰しているのよ」
「長所?」
「そうよ。チロの視覚と嗅覚で今日の私を捉えられないわけがないもの」
アイナと訓練する時は結構集中していると思うんだけどな。
それでもやっぱりアイナの動きは速すぎる。
「そんなこと言ったって……今日の?」
「今日のというか、今日までのね。私はチロが捉えられるスピードでやってるつもりなんだけど?」
今日のアイナは少し機嫌がわるそうだな。
いつものほんわかとした雰囲気がお説教をする女教師みたいになっている。
というかアイナあれでもスピード落としてたのか。
まあ、確かにキュシアと戦ってた時はもっと速かったな。
知覚すらできなかったほどだ。
俺が捉えられるスピードでやってくれていたのか。
「確かに最近は見えるようにはなってきたけど、それでもまだ捉えられるところには到達できないな」
俺は素直にそういった。
今日の感想そのままだ。
だが、アイナは俺の言葉を聞いて目を閉じた。
アイナの機嫌がまた少し悪くなったような気がする。
少し眉間にしわが寄っているような……。
アイナは呼吸を整えてから口を開いた。
「じゃあチロは森に居た時より弱くなってるのね」
アイナの痛烈な批判が俺の頭を殴りつける。
森に居た時よりも弱くなっている? どういうことだ?
なんでアイナが森に居た時の俺を知っているんだ?
そして、なんでこんなに機嫌が悪い?
「あっ、ごめんなさい。言い過ぎたわ」
アイナはハッとしてフリーズしている俺に向かって謝った。
「いや。こちらこそすまん。そこまで考えてくれているなんて思ってなかった。
でも、なんでアイナが森に居た時の俺の事を知ってるんだ?」
アイナはゆっくりと深呼吸をするよにもう一度呼吸を整えて言葉を紡いだ。
「へクスよ」
「…………」
アイナから出た言葉に俺は何も言い返すことができない。
「別に責めている訳ではないのよ。前も言った通り、冒険者が魔物に殺されるのは自業自得。それがこの世界の常識」
では、何故こんなに機嫌が悪いのか……。
わかってはいるんだ。
アイナだってへクスと知り合いだったんだ。
知り合いどころかリードの弟子だったんだからもっと深い付き合いだったのかもしれない。
たまにはへクスとも剣を交えていたのかもしれない。
アイナにだって普段は表に出さない感情があるはずだ。
それを俺はいつの間にか踏みにじっていたのだろうか?
「すまない」
「謝らないで! あの子が死んだのは私の罪よ」
「アイナの罪?」
「そう。あの子が付いて行くのを止められなかった私の責任よ」
アイナは悔いていた。
キュシアとあんな言い争いをしていたのに……。
あの日の夜。俺には責任は無いといいながら、あれからずっと自分を責めていたのか……。
そして、キュシアまで出て行って今までの日常が壊れて……。
俺の顔が沈んでいくのをアイナは両手を俺の顎の下に入れて上を向かせた。
「大丈夫よ。私には家族がいるもの。チロもその一人なんだからね」
そういって先ほどまでの少し怒りの混ざった表情を吹き飛ばし晴れやかな笑顔を俺に向けた。
やせ我慢だ。
辛いはずだ。泣きたいはずだ。
それでもアイナの笑顔は完璧で……。
「つまりまとめると、今日までの速さは大体へクスのスピードに合わせてたのよ。それをチロが捉えられない訳がないのよ」
そう言ってアイナは人差し指で俺の鼻をポンポンと優しく叩いた。
声はさっきまでとはうってかわり明るいいつものアイナそのものだった。
そのままの声音でアイナは続ける。
「へクスを捕まえた時はどうやったの?」
まるで鬼ごっこでどうやってタッチしたのくらいの気軽さでアイナは言った。
こんな事言える訳がない。
でも、アイナの目線は俺としっかり絡み合っていて、黙る事など許さないという圧力すら感じる。
俺は言葉を慎重に選びながら形にしようとする。
「あの時は必死だった。ペコが避けられて俺に真っ直ぐ走ってきて、そこを攻撃しようとしたら躱されて、へクスの攻撃を避けて振り向いたら母さんが死んでいた。
そこからは頭がおかしくなったみたいに目の前が真っ赤になって、世界がゆっくりになった。
あの時はへクスがどう動くかが手に取るようにわかって、簡単に捕まえられた」
俺はしどろもどろになりながら言葉を繋げた。
アイナは納得したようにうんうんと笑顔で頷いて満足気にしていた。
アイナの事が理解できない。
友人の子供が死んだ時の話をしているんだぞ? しかも面識もあるし、ついさっきまで自分を責めていた原因の話だぞ? なんでそんなに笑顔を取りつくることができるんだ?
それでもアイナは止まらない。
「そう。それよ」
「それ?」
俺はアイナの勢いに押されながらも疑問をぶつける。
「世界がゆっくりになる状態。私達は戦ってる最中は大体そうなるのよ」
「あの赤い世界に?」
「私は赤くはならないけどね。でも一度その領域に足を踏み込んだことがあるなら、あの時と同じようにやればいいのよ」
「同じように?」
「あの時は次の動きとか頭で考えてた?」
「いや。ただただ必死だった。動きを止めないとって」
「そう。考えるのは後よ。相手の動きが見えるようになってから初めて考えるのよ。それにチロは私達人間より感覚が鋭いから、やろうと思えばできるはずよ」
なんとなくわかってきた気がする。
アイナが訓練を通して伝えたかった事。
もっと早く言って欲しかったという気もしないではないが、そこは自分で気づかないといけなかったのかもしれない。
あの赤い世界へもう一度は入れたら確かにアイナの攻撃を捌ける。
あの時はまだ進化前だったはずだから今ならもっと簡単にできるはずだ。
作戦とかそんな事よりもやらないといけないことがあったのだ。
人間的な考え方か……。
なんとなく俺が向かう方向が定まった気がする。
今すぐに戻って試してみたいという願望に駆られるが、俺はその前にしなくてはならないことがある。
「アイナ。本当にすまなかった」
「いやだから……」
「違うんだ。辛い事を思い出させてすまなかった。俺がもっとしっかりやれていれば。アイナに辛い笑顔をさせる必要なんてなかったんだ。だからごめんなさい」
「…………」
アイナは笑顔を張り付けたまま黙ってしまった。
何を考えているのかわからない。
でも、悲しんでいる様子はない。
「家族だから……チロは家族だから……守らないといけないから……だから」
アイナはゆっくりと言葉を紡いでいく。
「だから。これから先どれだけ辛いことがあっても私はチロの味方よ」
そう満面の笑みで言った。
アイナの言葉が理解できない。
俺はアイナに何かしてあげれたのだろうか?
俺がしている事なんてエリスと仲良くして面倒を見ているだけだ。
それは別に俺がいなくてもアイナがやればいい事である。
手が空くという利点はあるかもしれないが、アイナがエリスの世話を面倒だと思う事もないだろう。
俺はアイナに家族と言ってもらえる資格なんてあるのだろうか?
困った表情の俺を見てアイナはフフフと声を出して笑った。
「そうね。チロにはわからない話ね。じゃあ少しだけ昔話をしようかしら」
「アイナの?」
「そうよ。
実は私ね。狼と家族になるのって初めてじゃないの」
「初めてじゃない?」
「そうなのよ。それに私には家族が32人もいたの」
いたという言葉が胸にひっかかる。
「そして今は誰も生きていない。私に残されたのはリードとエリスとチロだけ。だから私は守らないといけないの。家族を。絶対に」
アイナは少し悲しい顔をしながら俺に背を向けた。
そしてなにやらごそごそしているなと思ったらアイナは上着を脱いで上半身を晒した。
ぎょっとしたが俺の眼はアイナの色香よりも先にあるものから目を離せなかった。
醜かった。
アイナの真っ白の肌は真っ赤に腫れあがったように醜く重なり合いそれは背中の肩甲骨辺りからお尻付近まで長く大きく彼女を蝕み続けているかのようにまとわりついていた。
俺の頭が怒りでどうにかなりそうになる。
何に? 自分でもよくわからない。
それは自分にとっての神聖なものを汚されたかのような怒りに似た感情。
その激情は俺の中で暴れまわる。
「この火傷の痕はね、エーチが一度綺麗に治してくれるっていってくれたのよ。でも私は消さなかったた。だってこれは私には家族がいたことを示す聖痕。忘れてはならない過去の記憶。そして、家族を二度と失わないという私自身の誓い」
アイナは上着を身に着けてもう一度こっちを向いた。
「少し長くなるけどいいかしら?」
「ああ。構わなないよ」
アイナの問に俺は簡潔に答える。
するとアイナは語り始めた。
今のアイナを形成するに至った、過去の家族の話を。




