第70話
管理棟へ戻ると、橘宮司と神社庁の柳さんが待っていた。
「小森さん、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。あとは帰るだけですから」
「ありがとうございます。それでは、こちらの会議室へお願いします。ご自宅までは市の車でお送りします」
「ありがとうございます」
会議室へ案内され、全員が席に着く。
少し間を置いてから、柳さんが口を開いた。
「本日は一つお願いがございます。
このダンジョン敷地内に、宇迦之御魂神様の分祠を建立したいと考えております。ご許可をいただけないでしょうか」
「お稲荷様のお社を建てるということですか?」
「はい。
社殿や鳥居などの建設は神社庁で責任を持って行います。
ただ、御分霊をお迎えするためには、土地の御当主様ご自身が伏見稲荷大社へ赴き、正式に御分霊を受けていただく必要があります」
橘宮司も続ける。
「分祠は神様のお住まいになります。
神職だけで勝手にお迎えすることはできません。土地の持ち主である小森様のお力添えが必要なのです」
親父は少し考え込んだ。
「ちょうどお盆休みにキャンプを兼ねて伏見稲荷へ参拝する予定を立てていました。
その時でよければ、お受けしますよ」
柳さんの表情が明るくなる。
「ありがとうございます。
それでは神社庁総出で、お盆までに社殿と鳥居を完成させます」
そこまで聞いて、親父が尋ねた。
「建立場所ですが、市の施設計画と重なったりしませんか?
それと、分祠を建てる目的をお聞きしてもよろしいでしょうか」
柳さんは真剣な表情になった。
「今回の建立は、宇迦之御魂神様から直接下された神託によるものです。
加えて、ダンジョンへ入る探索者の安全を祈願する場としても、大きな意味があります」
……やっぱり。
頭の中に宇迦之御魂神様の姿が浮かぶ。
(あの神様……絶対、近くに住んで、いつでも遊びに来たいだけじゃないよな?)
もちろん口には出さない。
出したら、あとで何を言われるか分かったものじゃない。
「分かりました。
それなら、この辺りはどうでしょう」
親父は窓の外を指差した。
「管理棟の反対側です」
すると柳さんが申し訳なさそうに答えた。
「そこは新しい管理棟の建設予定地になっております」
「そうなんですね」
親父は少し考えてから別の場所を指差した。
「それなら、今の管理棟の奥はどうでしょう。
新しい管理棟が完成したら、この建物は取り壊す予定ですよね。
あそこなら正面からも見えますし、参拝もしやすいと思います」
橘宮司もうなずく。
「よい場所だと思います」
「では、藤堂さんに確認してまいります」
柳さんは席を立ち、部屋を出ていった。
その間に親父が思い出したように尋ねる。
「ちなみに、費用はどれくらい掛かるのでしょうか」
橘宮司が穏やかに笑う。
「今回の分祠建立は神託による特例です。
社殿、鳥居、御神体、祭具などを含め、費用はすべて神社庁が負担いたします」
「そうですか……」
親父は安心したように胸をなで下ろした。
「地主としてはありがたい話ですね」
◇
「それでは、ご自宅までお送りします。どうぞ車へ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えます」
帰りの車内。
辻元さんが思い出したように口を開いた。
「そうだ、透君。一つ説明を忘れていたよ。
一般公開が始まる八月一日から、ダンジョンの入場料をいただくことになった。一人一回千円だ」
「ということは、俺たち四人なら四千円ですね」
「そうなるね」
「魔石二個分か。分かりました」
辻元さんは少し申し訳なさそうに笑う。
「管理員を配置したり、施設を維持したりする費用があるからね」
「必要なお金なら仕方ないです」
「それと、開場時間は当面、朝八時から夜七時までになる」
「七時を過ぎたらどうなるんですか?」
「その日はダンジョン内で一泊かな」
その言葉に、いなりが真剣な表情になる。
「母様のご飯が食べられなくなるです。
あるじ、時間厳守ですよ」
「ああ。でも七時閉場なら、うちの『遅くても七時までには帰る』って約束と同じだから、大丈夫そうだな」
親父が笑う。
「いなりちゃんに時計を持たせたら、絶対に時間を守らせそうだな」
「はい、父様。いなりは絶対守るですよ」
「家に古い腕時計があったはずだ。あとで探して、いなりちゃんにあげよう」
「父様、ありがとうございます!」
耳も尻尾も嬉しそうにぴんと立つ。
親父は笑いながら続けた。
「透が時間を忘れて探索を続けそうになったら、引っ張ってでも連れて帰ってきておくれ」
「はい!」
元気よく返事をする。
「俺、そんなに信用ないのかな」
思わずぼやくと、親父が苦笑した。
「透は一人だと無茶をするからな。
前科もあるし」
「……はい。反省しています」
「「「あははは」」」
車内に笑い声が響いた。
やがて車は家の前へ到着する。
「到着しました。
今日はこのままダンジョンへ向かいますか?」
辻元さんが尋ねる。
俺は首を横に振った。
「今日は朝から式典でしたし、午後は夏休みの宿題を進めようと思います。
ダンジョンは明日からですね」
「了解。
メリハリを付けられるのはいいことだ。また明日」
「今日はありがとうございました」
車を見送る。
エンジン音が遠ざかると、親父が俺を見た。
「透なら、今日からダンジョンへ潜ると思っていたよ」
「宿題も早めに終わらせたいしね。それに……」
先を歩いて家へ向かういなり、烈、静の三人を見る。
楽しそうに話しながら歩く姿は、まるで本当の兄妹みたいだった。
「俺、あいつらの良い兄貴になりたいんだ」
親父が少し笑う。
「『あるじ』じゃないんだな」
俺も笑って答えた。
「まだ『あるじ』なんて胸を張って名乗れるほど立派じゃないよ。
本気で『あるじ』って呼ばれる人になれるように、もっと勉強して、もっと強くならないと」
親父は静かにうなずくと、ぽん、と俺の頭へ手を置いた。
優しく撫でられる。
「親父……俺、もう高校生なんだけど」
「高校生になっても、お前は俺の息子だ」
そう言って少し笑う。
「それに、この家もずいぶん賑やかになった。
子どもが三人も増えたからな」
家の玄関では、いなりたちがこちらを振り返って待っていた。
「父様、あるじー! 早く入るですよー!」
「昼ご飯が冷めてしまいます」
「父上、母上が待っています」
親父が笑う。
「俺たちも入るか」
「うん、親父」
親父と並んで玄関へ向かう。
こうして迎えた夏休み最初の日。
尾張ダンジョンは正式に動き始め、俺たちの新しい日常もまた、一歩前へ進んだ。




