第62話
張りつめていた空気が、少しだけ和らぐ。
柳さんが、咳払いを一つした。
「なお、ダンジョンに関する利益については、神社庁として関知いたしません」
「魔石の買い取りや、土地使用料、その他の収入については、すべて透様、もしくは小森家のものとして扱っていただいて構いません」
「分かりました」
親父が答える。
一方的に、いろいろなことを言われた。
神使受入家庭。
学校。
生活費。
戸籍や身元の手続き。
全部が急すぎて、頭の中ではまだ整理できていない。
それでも。
いなりが、もう隠れて暮らさなくていい。
烈と静にも、帰る場所ができる。
それだけで、今日ここへ来た意味はあったのだと思う。
俺は、隣にいる三人を見た。
「これから、よろしくな」
「はいです」
「了解だ!」
「よろしくお願いいたします」
三人の返事が重なった。
家に帰ったら、まず母さんが部屋のことを考え始めるだろう。
そして親父は、寝具や生活用品をどうするか悩むはずだ。
……俺の部屋が、これ以上狭くならないことだけを祈っておこう。
親父のワンボックスカーで、三列目のシートを出す日が来るとは。
帰りは二人増えて、六人だ。
余裕で乗れる車で来ていてよかった。
烈と静は後ろの席に並んで座り、窓の外を興味深そうに眺めている。
いなりは母さんの隣で、二人へ何かを説明していた。
どうやら、車に乗る時の注意でも教えているらしい。
「シートベルトは、ちゃんとするです」
「おう!」
「承知しました」
神使の先達らしい。
「さて」
親父が運転席で、軽く振り返った。
「いろいろあったが、帰るか?」
「お父さん」
すかさず母さんが手を挙げた。
「烈くんと静くん、それからいなりちゃんのお洋服を買っておきたいわ」
「服か」
「それだけじゃないわよ。空いている客間に、二段ベッドと机を三つ」
母さんは指を折りながら続ける。
「烈くんと静くん用に二つ。いなりちゃん用にも一つ必要でしょう?」
「いなりの机?」
いなりが、自分を指さした。
「いなりちゃんも、学校へ通うことになるかもしれないものね」
母さんは、いなりの頭を優しく撫でる。
「勉強する場所は、ちゃんと必要でしょう?」
「はいです」
いなりは少し照れながら、こくんとうなずいた。
「いなりも、そこでお勉強するです」
「それから、いなりちゃん用のベッドも必要よね」
「いなりのベッド?」
いなりが、もう一度自分を指さした。
「今のかごのベッドも、いなりちゃんのお気に入りだと思うけど」
母さんは、楽しそうに笑う。
「人の姿で眠る時にも、ちゃんとしたベッドがあった方がいいでしょう?」
「……はいです」
いなりは少し照れたように、うなずいた。
「普通のベッドでいいのか?」
俺が聞くと、母さんはすぐにうなずく。
「もちろんよ。いなりちゃんも、これから大きくなるかもしれないんだから」
「大きく……」
いなりが、少しだけ頬を赤くした。
「はい。大きくなっても、ちゃんと眠れるベッドがいいです」
「帰りに寄ってもらえる?」
「分かった」
親父は、すぐに答えた。
「買い物をしながら家の方へ向かうとするか。途中で晩飯も食べていこう」
「そうね」
母さんは烈と静へ笑いかけた。
「烈くん、静くん。食べられないものとかはない?」
「何でもいける!」
「私も大丈夫です」
「それなら、焼肉にしようかしら」
「焼肉!」
烈の目が、一気に輝いた。
「肉を焼いて食べるのか!?」
「そうですよ」
いなりが、少し先輩らしく胸を張る。
「あるじの家のごはんは、どれもおいしいです」
「楽しみだな!」
「烈。はしゃぎすぎるな」
「静だって、ちょっと楽しみそうじゃん」
「……否定はしません」
静は少しだけ視線をそらした。
その後。
俺たちは衣料品の安売りチェーン店へ寄り、烈と静の服を何着か選んだ。
母さんは、いなりの服も追加で見始めた。
いなりは最初こそ「もう着替えはいっぱいです」と遠慮していたが、母さんが選んだ薄い水色のワンピースを見て、少しだけ目を輝かせていた。
烈は動きやすそうなTシャツと短パン。
静は、落ち着いた色のシャツと長ズボン。
本人たちの好みも、思った以上にはっきりしていた。
次に寄った家具屋では、客間に置く二段ベッドと机を三つ注文した。
烈と静用の机が二つ。
そして、いなり用の机が一つ。
それから、いなり用のベッドも選ぶ。
今のかごのベッドは、子狐姿で眠るにはちょうどいい。
でも、人の姿で過ごす時間が増えるなら、いつまでも小さな寝床では困る。
母さんは、いなりが選んだ白いフレームのシングルベッドと、淡い赤色の寝具を注文した。
客間には、烈と静の二段ベッド。
そして、いなり用のベッドと三つの机。
少し前まで空いていた部屋が、もうすぐ三人の居場所になる。
そう思うと、家族が増えたという実感が、少しずつ湧いてきた。
母さんは店員さんと楽しそうに話しながら、寝具の色や机の配置まで決めていた。
いなりは途中から完全に母さんへ任せていた。
「母様が選んでくださるなら、いなりは何でもうれしいです」
「まあ。いなりちゃんったら」
母さんは、完全にご機嫌だった。
最後に寄った焼肉屋では、烈が予想以上に肉を食べた。
「うまい!」
「烈くん、慌てなくてもまだあるわよ」
「はい、母上!」
「母上はまだ早いわね」
母さんが笑う。
静は静かに食べていたが、追加注文の皿が来るたびに、ほんの少しだけ表情を緩めていた。
いなりは、焼けた肉を小さく切ってもらいながら、嬉しそうに頬張っている。
「おいしいです」
「そうだな」
俺も、つい笑ってしまった。
一人っ子だった俺の家に。
急に家族が三人増えた。
戸惑いがないわけじゃない。
これから部屋も、生活も、学校のことも変わっていく。
でも。
いなりも、烈も、静も。
みんないい子だ。
これからのダンジョンも、きっと今までより賑やかで、楽しくなる気がした。
食事を終え、店を出る頃。
母さんが、三人へ思い出したように言った。
「そうそう。学校は夏休み明けの九月からだから、それまでは家で一緒ね」
「はいです」
「了解だ!」
「よろしくお願いいたします」
三人の返事が重なった。
その声を聞きながら。
俺は、これから始まる新しい生活を少しだけ楽しみにしていた。




