第61話
神様たちの気配が消えると、強い日差しと境内の喧騒が戻ってきた。
蝉の声。
参拝客の話し声。
砂利を踏む足音。
さっきまでの出来事は、夢か幻だったんじゃないか。
……いや。
目の前には、烈と静がいる。
「改めてよろしくな、透様!」
「よろしくお願いいたします。透様」
「ああ。よろしくな」
俺がそう返すと、烈は嬉しそうに笑い、静は丁寧に頭を下げた。
その時だった。
「小森様でいらっしゃいますか?」
後ろから、穏やかな声がかかる。
振り返ると、神職の装束を着た男性が立っていた。
年齢は四十代くらいだろうか。
落ち着いた雰囲気で、こちらへ丁寧に一礼する。
「はい。小森ですが。真清田神社の神職の方ですか?」
「はい。お迎えに上がりました」
男性は、改めて頭を下げた。
「当社の参集殿に、お話しするお部屋をご用意しております。こちらへどうぞ」
「よろしくお願いします」
◇
神職の男性に案内され、境内をしばらく歩く。
やがて、大きな建物の前へ着いた。
参集殿、と書かれた建物だ。
案内役の神職さんが、中の会議室らしい扉を開ける。
「こちらへお入りください」
室内には、すでに三人の男性が座っていた。
一人は、立派な神職の装束を身につけた六十代くらいの男性。
残る二人は、きちんとしたスーツ姿だった。
俺たちが入ると、三人はそろって立ち上がった。
「ようこそお越しくださいました」
神職の男性が、穏やかに頭を下げる。
「真清田神社で宮司を務めております、橘と申します」
「神社庁の柳です」
「同じく、柏木と申します」
スーツ姿の二人も、それぞれ名乗った。
「小森様ご一家で、お間違いありませんね?」
「はい」
親父が答える。
俺たちは勧められた席へ座った。
いなりと烈、静も、俺たちの近くに座る。
橘宮司が、机の上に置かれた書類へ手を添えた。
「本日は、いなり様、烈様、静様の今後について、ご説明させていただきます」
その言葉を受けて、柳さんが一枚の資料を取り出した。
「まず、神社庁側で急ぎ整えることになった制度について、ご説明します」
柳さんは、親父と母さんへ順番に視線を向ける。
「小森家には、神使受入家庭になっていただきたいと考えています」
「神使受入家庭?」
親父が、聞き慣れない言葉を繰り返した。
「はい」
柳さんはうなずく。
「神使受入家庭とは、人の世で生活することになった神使に対して、住居、生活環境、そして保護者にあたる立場を提供する家庭のことです」
「今回のように、神使が人の姿で日常生活を送り、学校へ通う可能性がある場合。単に神社で預かるだけでは、十分とは言えません」
「生活の拠点。日常的な見守り。学校や行政とのやり取り。そういった役割を担っていただく家庭を、神社庁側では神使受入家庭と呼ぶことにしました」
柏木さんが、補足する。
「短期的に預かるホストファミリーに近い面もあります。ただし、こちらは一時的な滞在ではありません」
「神使の皆様が人の世で暮らし、自立していくまでの生活基盤を、家族として支えていただく仕組みです」
「宇迦之御魂神様からは、いなり様が日常生活を送れるように取り計らい、必要であれば学校にも通えるようにしてほしい、というご意向を受けています」
柳さんが続ける。
「また、天火明命様からも、烈様と静様が人の世で生活し、経験を積めるようにしてほしいとのお話をいただいています」
「なるほど」
親父は、いなりと烈、静へ視線を向けた。
「つまり、三人を小森家で預かり、生活の面倒も見る。そういうことですね」
「はい」
柳さんは深く頭を下げた。
「なにとぞ、よろしくお願いいたします」
「ホストファミリーみたいなもの、ということですか」
母さんが尋ねる。
「はい。ただ、神使の皆様にとっては、日常的に帰る場所になる家です」
柏木さんが答えた。
「現時点では、学校を卒業するまでを一つの目安にしています。ただし、神使の皆様の成長や、ご本人たちの希望によっては、その限りではありません」
「学校というと」
母さんが、いなりたちを見る。
「いなりちゃんと、烈くん、静くんは、どこの学校へ通うことになるんですか?」
「烈様と静様は、年齢としては中学一年生相当と判断しています」
柏木さんが答えた。
「小森家の住所を基準に、近隣の中学校へ通学していただく方向で、教育委員会と調整を進めています」
「いなり様については――」
柳さんが、書類を見て言葉を止めた。
「……失礼しました。伏見稲荷大社への参拝予定があると記されています。これは、来月で間違いありませんか?」
「夏休みに行く計画には入っていますけど」
俺は首を傾げた。
「どこから、その話を……」
そこで、何となく察した。
「まさか、神様からですか?」
「はい」
柳さんは、少しだけ困ったように笑った。
「伏見稲荷大社にて、透様といなり様の状態を確認したうえで、いなり様がどの学校へ通うのが適切か、決めるとのことです」
「そこまで決めるんですね……」
「神様ですから」
柏木さんが、妙に真面目な顔で言った。
それ以上、何も言えなかった。
「とりあえず、分かりました」
親父が、ゆっくりうなずく。
柳さんは、次の書類を取り出した。
「神使受入家庭となる小森家には、生活支援費として、一名につき月額十万円をお支払いします」
「いなり様、烈様、静様の三名ですので、月額三十万円です」
「また、衣類や通学に必要な物品、医療、学校にかかる費用など、通常の生活支援費で不足する部分については、別途こちらで負担いたします」
「学校にかかる費用も、すべてですか?」
母さんが尋ねる。
「はい。入学準備費、教材費、制服代、行事費などを含め、神社庁側で対応します」
「話が大きすぎて、いまいち理解が追いついていないんだけど」
母さんは、いなりと烈、静を見た。
「いなりちゃんと烈くん、静くんは、うちで一緒に暮らすということでいいのよね?」
「はい」
橘宮司が、深く頭を下げる。
「なにとぞ、よろしくお願いいたします」
いなりは、不安そうに俺たちを見ていた。
烈は背筋を伸ばしているけれど、どこか緊張している。
静も、表情は落ち着いているが、膝の上で手をきちんと重ねていた。
親父は三人を見たあと、母さんと目を合わせた。
「家族が増えるだけだな」
「そうね」
母さんが、すぐに笑う。
「もう、いなりちゃんだけでも賑やかだったのにね」
「母様……」
いなりの目が、少し潤んだ。
「ただし」
親父は、烈と静へ向き直った。
「うちは普通の家だ。神使だからといって、何をしてもいいわけじゃない。家のルールは守ってもらう」
「了解です、父上!」
「承知しました、父上」
「いや、まだ父上とは呼ばなくていい」
親父が思わず突っ込む。
烈が、きょとんとした。
「そうなのか?」
「いきなり家族になった感が強すぎるわね」
母さんが、くすくす笑った。




