第5話
俺は、崩れた土偶のそばに落ちている光る石を見つけた。
爪の先ほどの、小さな石。
くすんだ茶色をしているのに、内側から淡い光が漏れているように見える。
「ドロップアイテム、なのか?」
ゲームみたいだ。
でも、さっきまで命の取り合いをしていた相手の残骸から出てきたと思うと、素直に喜べなかった。
とりあえず拾い、リュックの小さなポケットへ入れる。
リュックを背負い直し、鉈を握りしめた。
「……もう少しだけ、奥を見てみるか」
そうつぶやいて、ライトの光を頼りに通路の奥へ足を踏み出す。
もちろん、警戒はしている。
さっきの土偶みたいな魔物が、また出てこないとは限らない。
むしろ、一体だけで終わる方がおかしい。
俺はヘルメットのライトで足元と前方を照らしながら、壁際を選んで歩いた。
通路が分かれている場所では、リュックから取り出した赤いリボンを使って目印を残す。
山歩き用に持ってきていた、荷物や木の枝に結ぶための目印だ。
ただ、ここはダンジョンの中だ。
木の枝なんて、都合よく生えていない。
だから俺は、リボンを小さく結び、通路の隅に置いた。
輪になっている方を、来た方向へ向ける。
帰る時は、その輪の向きをたどればいい。
山で道に迷わないためには、戻るための目印を残せ。
それが親父の教えだった。
まさかダンジョンで役に立つとは思わなかったけど。
「……人生、何が役に立つか分からないな」
小さくつぶやき、また耳を澄ませる。
ずず……。
ずず……。
聞こえる。
けれど、それは、さっきの土偶が身体を引きずる音とは少し違っていた。
もっと小さい。
もっと弱い。
いや、これは――。
――キャン!
「……っ?」
奥から、小さな鳴き声が聞こえた。
犬?
いや、少し違う。
もっと甲高くて、弱々しい声だった。
俺は反射的に身を低くする。
誰かいるのか。
このダンジョンに、俺以外の探索者が入っているのか。
それとも、魔物の鳴き声か。
分からない。
分からないからこそ、慎重に進む。
壁に背を寄せ、ライトの向きを少し下げた。
明かりで、こちらの位置が丸分かりになるのは避けたい。
足音を殺しながら、鳴き声が聞こえた方へ近づいていく。
そして、通路の曲がり角から、そっと奥を覗き込んだ。
「……子狐?」
そこにいたのは、小さな狐だった。
ただし、普通の狐じゃない。
淡い金色の毛並み。
額には、小さな赤い模様。
尻尾はふわりと大きく、薄暗い洞窟の中でも、そこだけ淡く光っているように見えた。
可愛い。
場違いなくらいに、可愛い。
だけど、状況は最悪だった。
子狐は、三体の土偶に囲まれていた。
「ギ、ギギ……」
「ギィ……」
土偶たちは短い腕を振り上げ、子狐へ一方的に攻撃を叩き込んでいる。
子狐は必死に避けようとしているが、動きはもう鈍い。
小さな身体が、ふらつく。
足元には、赤いものが点々と落ちていた。
血だ。
「っ……!」
胸の奥が、ぎゅっと詰まった。
罠かもしれない。
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。
ここはダンジョンだ。
普通の動物がいる方がおかしい。
あの子狐だって、魔物かもしれない。
助けに入った瞬間、こっちを襲ってくる可能性だってある。
分かっている。
分かっているけど。
土偶の拳が、子狐の小さな身体を打った。
「キャンッ!」
子狐が悲鳴を上げて転がる。
その声を聞いた瞬間、俺の身体は勝手に動いていた。
「うおおおおっ!」
隠れるのをやめ、通路へ飛び出す。
一番近くにいた土偶が、ぎこちなくこちらを向いた。
遅い。
さっきの一体と同じだ。
動きは鈍い。
なら、やれる。
「どけえっ!」
俺は勢いのまま、鉈を振り下ろした。
刃が土偶の肩口に食い込む。
がっ!
湿った土の塊を割るような感触が、両手へ伝わった。
だが、鉈は肩の奥まで入らない。
「硬っ……!」
土偶は止まらない。
俺の鉈が肩に刺さったまま、短い腕を振り上げてきた。
慌てて土偶の胴体を蹴り、無理やり鉈を引き抜く。
ぐらり、と土偶が傾く。
だが、倒れない。
さっきの一体と同じだ。
一発や二発では、崩れてくれない。
「くそっ!」
子狐の方を見る。
残り二体は、まだ子狐の近くにいる。
今は、こいつを先に倒さないと駄目だ。
俺は土偶の横へ回り込み、鉈を横から振るった。
がんっ!
胴体に鈍い音が響く。
土偶の表面に、浅い傷が増える。
まだだ。
土偶が腕を振る。
俺は後ろへ跳んで避ける。
そのまま一歩踏み込み、今度は胴体の同じ場所へ、もう一度鉈を叩き込んだ。
がっ!
ひびが入る。
「あと……一発か、二発!」
土偶がこちらへ向き直る。
俺は、振り上げられた腕の外側へ回り込んだ。
そして、ひびの広がった胴体へ。
「倒れろ!」
全力で、鉈を振り下ろす。
がんっ!
大きな衝撃。
土偶の胴体に走っていたひびが、胸元から腰まで一気に広がった。
次の瞬間。
土偶は、ぼろぼろと崩れ落ちた。
一体目。
倒せた。
でも、喜んでいる暇はない。
俺はすぐに子狐と残り二体の間へ滑り込んだ。
「大丈夫か!」
声をかけたところで、答えが返ってくるはずもない。
それでも、言わずにはいられなかった。
子狐は荒い息をしながら、こちらを見上げている。
琥珀色の瞳が、かすかに揺れていた。
「ギィッ!」
残った二体の土偶が、同時に動いた。
短い腕を振り上げ、こちらへ向かってくる。
落ち着け。
さっき倒せた。
今度も倒せる。
俺は大きく息を吐く。
「ふー……!」
右側。
まずは右。
片方ずつ潰す。
俺は右の土偶へ踏み込み、鉈を横から叩きつけた。
がっ!
胴体に傷が入る。
だが、土偶は止まらない。
もう一度。
がっ!
さらにひびが広がる。
その時だった。
「近っ!?」
左の土偶が、もう目の前にいた。
反応が遅れた。
土偶の短い腕が、俺の腹めがけて振り抜かれる。
避けられない。
俺はとっさに身体を固くした。
殴られる。
そう思った直後。
小さな影が、俺の横をすり抜けた。
「キャンッ!」
子狐だった。
傷だらけの身体で、左の土偶に体当たりしたのだ。
小さな体当たり。
でも、それで十分だった。
土偶の身体がぐらりとよろけ、拳が俺の横を空振る。
「――助かった!」
俺はその隙を逃さなかった。
鉈を両手で握り直し、右の土偶へ振り下ろす。
がんっ!
三発目。
ひびが深くなる。
もう一度。
がんっ!
四発目。
土偶の胴体が、崩れかける。
「これで!」
五発目。
全体重を乗せた鉈が、ひびの入った胴体を叩き割った。
右の土偶が崩れる。
二体目。
残りは一体。
けれど、俺はすぐに鉈を振れなかった。
子狐が、ふらふらとよろめいている。
さっきの体当たりで、傷が開いたのかもしれない。
「駄目だ、こっちへ来い!」
俺は子狐を抱きかかえる。
軽い。
軽すぎる。
そのまま後ろへ下がろうとした時、左の土偶が突っ込んできた。
近い。
逃げるには、子狐を抱えたままじゃ遅い。
俺は子狐をそっと通路の端へ下ろした。
「そこで待ってろ!」
鉈を構える。
だが、土偶はさっきまでの二体より近い。
振り下ろす間合いがない。
土偶の拳が、俺の顔めがけて迫る。
「っ!」
とっさに、鉈を横へ放り投げた。
両腕を上げ、拳を受け流す。
重い。
腕が痺れる。
でも、さっきのようにまともに受けたわけじゃない。
土偶の腕が、俺の横を抜ける。
俺は踏み込んだ。
目の前には、土偶の胴体。
考えるより先に、右足が動いていた。
「うおおっ!」
腹の底から声を出し、土偶の胸元へ前蹴りを叩き込む。
どんっ!
鈍い感触。
土偶の身体が、少しだけ後ろへ下がった。
当然、倒れない。
「なら、もう一回!」
俺は一歩引く。
土偶が腕を振り上げる。
その腕を避け、今度は横から回し蹴りを叩き込んだ。
ばきっ!
胸元に、ひびが入る。
「いける……!」
鉈がない。
でも、逃げるわけにもいかない。
子狐を守るために、ここでこいつを止めるしかない。
土偶がまた拳を振るう。
俺は横へ避ける。
そして、ひびの入った胸元へ。
「これで、倒れろ!」
全身の力を乗せた、右の前蹴り。
どんっ!
土偶の胴体が、大きくへこんだ。
ひびが、胸元から全身へ走る。
それでも、まだ立っている。
「しつこいな!」
俺は歯を食いしばり、もう一度踏み込む。
今度は、土偶の身体が傾いた瞬間を狙った。
回し蹴り。
ばきんっ!
硬いものが割れる音が、洞窟に響いた。
土偶の身体が、横へ倒れる。
そして。
ぼろぼろと、ただの土くれになって崩れ落ちた。
『格闘の心得を取得しました』
『格闘家に転職可能になりました』
『レベルが上がりました』
頭の中に、連続して声が響く。
「……本当に、こういうタイミングなんだな」
鉈で倒せば戦士。
石を投げれば斥候。
そして、最後は素手と足で倒したから、格闘家。
そんな仕組みらしい。
でも、今はそれどころじゃなかった。




