第42話
そんな六月二十九日。
学校から帰ってきて、夕飯前に自室でくつろいでいた時だった。
突然、頭の奥に声が響いた。
前の神託と同じ。
年齢も国籍も関係なく、世界中の人間へ直接届く、あの声。
『改めて告げます』
その瞬間、いなりも顔を上げた。
「あるじ」
「ああ。聞こえてる」
『七月一日、午前九時』
『一か月以上、誰も侵入していないダンジョンは、予定どおりあふれさせます』
背筋が冷えた。
やっぱり。
ダンジョンブレイクは、本当に起きる。
『また、同時刻をもって、すべてのダンジョンは拡張されます』
『今後、ダンジョンは毎月一日、午前九時に改変されます』
『改変時にダンジョン内部にいる者は、自動的に外へ排出されます』
声が途切れる。
部屋の中に、重い沈黙が落ちた。
「……七月一日の、午前九時」
「ダンジョンが、あふれるですか」
いなりの声は、少しだけ硬かった。
「俺たちのところは、今月も入ってる。大丈夫なはずだ」
「はい。でも、ほかのダンジョンは……」
言葉の続きは、出なかった。
俺たちの裏山のダンジョンは、市役所も警察も把握している。
月に一度以上、侵入して土偶も倒している。
少なくとも、放置されたダンジョンではない。
でも、全国にはまだ見つかっていないダンジョンがあるかもしれない。
見つかっていても、危険すぎて誰も入れない場所もあるかもしれない。
その全部が、七月一日九時にあふれる。
想像するだけで、背筋が寒くなった。
◇
二度目の神託を受けてから、日本政府の動きはさらに速くなった。
内閣官房付けで、ダンジョン対策室が設置された。
各都道府県。
警察。
自衛隊。
消防。
自治体。
それぞれの連携が、一気に進められていく。
ニュースでは、専門家や政治家が連日出演し、ダンジョンブレイクへの備えを語っていた。
ネットも大騒ぎだった。
『七月一日九時って、日本時間? 世界同時?』
『うちの近所にダンジョンあるのか、誰か教えてくれ』
『今のうちに入ったら、あふれないんだろ? 行くしかなくね?』
『やめとけ。死ぬぞ』
『十年後に邪神って話、忘れてない?』
不安。
好奇心。
恐怖。
期待。
悪ふざけ。
全部がごちゃ混ぜになって、ネット上を流れていく。
学校でも、その話題でもちきりだった。
「なあ、小森。ダンジョンって本当にあふれると思うか?」
「さあな。政府がここまで動いてるなら、何かは起きるんじゃないか」
「怖っ」
「なら、見に行くなよ」
「いや、見には行かないけどさ」
そんな会話をしながら、俺はいつも通りを装っていた。
でも、内心は落ち着かなかった。
俺は知っている。
ダンジョンは本当にある。
中には魔物がいる。
レベルも職業も、本物だ。
魔石からエネルギーが取り出せるという話だって、たぶん本当なのだろう。
そして、あれがあふれたらどうなるのか。
想像すると、背筋が冷えた。
俺は窓の外を見る。
いつも通りの教室。
いつも通りの授業。
いつも通りの昼休み。
でも、世界は少しずつ変わっている。
いや。
もう、変わってしまったのかもしれない。
ただ、それをみんなが本当の意味で理解するのが、まだ少し遅れているだけだ。
そして。
運命の七月一日がやってくる。
その日、世界は初めて知ることになる。
神託は、警告では終わらない。
本当に、現実を変えるのだと。




