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第29話

 翌日。

 学校の授業が終わると、俺はいったん家へ帰り、いなりと一緒にいつもとは逆向きの電車に乗った。

 目的地は住吉町駅。

 西海南高校とは逆方向になるので、少しだけ変な感じがする。

 いなりは小さくなって、俺の肩に座っていた。

 もちろん、隠形は使っている。

 普通の人には見えない。

 でも俺には、首元にふわりとした温かさがあるのが分かる。

「いなり、ちゃんと隠れてるな?」

「あるじ、だいじょうぶです。いなり、じょうずに隠れてるです」

「頼むぞ」

「あい」

 小さな声が、耳元で返ってくる。

 住吉町駅で電車を降り、スマホの地図を見ながら少し歩く。

 駅前の大通りを進み、踏切を越えた先の小道へ入る。

 その奥に、住吉神社の鳥居が見えてきた。

 目的地は、その境内にある小さな稲荷社だ。

 朱色の鳥居。

 こぢんまりとした社。

 町の中にひっそりと残る、地元の神社という感じだった。

「あそこか」

 俺は朱色の鳥居の前に立つ。

 一礼して、鳥居をくぐった。

 小さな境内。

 静かな空気。

 すぐ近くには町の生活音があるはずなのに、鳥居の内側だけ、少し違う場所のように感じた。

 俺はいなりと一緒に、小さな社の前へ進む。

 その瞬間。

 ふっと、雑音が消えた。

「……え?」

 さっきまで聞こえていた車の音も、人の声も、風に揺れる木の葉の音さえ遠くなる。

 世界から、俺といなりだけが切り離されたようだった。

「あるじ……?」

 いなりも不思議そうに耳を動かしている。

 その時。

 頭上から、柔らかな声が降ってきた。

『ようこそ。お参りに来てくれましたね』

 この声は。

 いなりを助ける時に、聞いたような。

 俺は反射的に見上げた。

 そこには、美しい女性がいた。

 白く淡い光をまとい、空からゆっくりと降りてくる。

 優しげな瞳。

 長く豊かな黒髪。

 人間の女性に見えるのに、明らかに人ではない。

 神様。

 そう思った。

『わたくしは宇迦之御魂神。そこの妖狐の親……といっても、いいのでしょうか』

「いや、なんで疑問形なんですか?」

 思わず突っ込んでしまった。

 言ってから、血の気が引く。

 神様相手に何を言っているんだ、俺。

『いなりちゃんが嫌だと言ったら、どうしようかと思いまして』

「神様なんですから、もうちょっと威厳が……って、俺、神様にこんなこと言って大丈夫なんですか?」

『うふふ。神罰なんてしませんよ』

 宇迦之御魂神は楽しそうに笑った。

『いなりちゃんから、あなたはいい主だと聞いていますし』

「いなりから?」

 俺は肩の辺りを見る。

 いなりは、いつの間にか隠形を解いていた。

 小さな金色の子狐の姿で、俺の肩の上にちょこんと座っている。

 そして、どこか誇らしそうに胸を張っていた。

「あい。あるじは、いいあるじです」

「そ、そうか」

 照れる。

 神様の前で褒められるのは、かなり照れる。

 宇迦之御魂神は、穏やかな眼差しで俺を見た。

『ところで、透さん』

「はい」

『いなりちゃんは、あなたにとってどのような存在ですか?』

 その問いに、俺は少しだけ考えた。

 主従。

 テイム。

 妖狐。

 そういう言葉はいくつも浮かぶ。

 でも、俺の答えは最初から決まっていた。

「いなりは、仲間です」

 俺はまっすぐ答える。

「いなりは俺をあるじって呼んで、懐いてくれています。でも、俺はいなりを従わせたいわけじゃありません」

 いなりが、俺を見上げている気配がした。

「仲間として接したいと思っています。まだ幼いところもあるから、教えながら……一緒に成長していければと思っています」

 宇迦之御魂神は、少しだけ目を細めた。

『いなりちゃんは、やはり良い主を持ったのですね』

「そう言ってもらえるなら、嬉しいです。その期待に応えられるよう、頑張ります」

『はい』

 宇迦之御魂神は、満足そうにうなずいた。

『では、いなりちゃんの願いを聞くことにしましょう』

「いなりの願い?」

 宇迦之御魂神が、いなりへ視線を向ける。

 いなりは俺の肩から降り、小さな身体で一歩前へ出た。

「あい。いなりは、あるじといっしょにいたいです」

 いなりの声は、小さいのに真剣だった。

「でも、物の怪じゃなくて。ちゃんと神様にお仕えする狐になりたいです」

『よく言えました』

 宇迦之御魂神が優しく微笑む。

『あなたが望むなら。いなりちゃんはこれより、物の怪ではなく、わたくしに仕える狐となります』

 淡い光が、いなりの周囲に広がっていく。

 小さな金色の身体が、白い光に包まれた。

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