第28話
家に着いた時には、もう昼前だった。
「ただいま」
「おかえり」
玄関を開けると、母さんの声がした。
「お昼できてるわよ。食べてから行きなさい」
「はーい」
「お父さんもね」
「はーい」
親父が俺と同じ返事をした。
思わず顔を見合わせる。
少し笑ってしまった。
居間へ行くと、いなりが母さんのそばにいた。
どうやら、すっかりくつろいでいたらしい。
俺を見ると、ぱっと顔を上げる。
「あるじ、おかえりです」
「ただいま、いなり。いい子にしてたか?」
「あい。母様といっしょにいたです」
「そうか」
母さんは満足そうにうなずいている。
やっぱり、母さんに任せておけば大丈夫だったらしい。
たぶん、甘やかされすぎるという別の問題はあるけど。
昼食は、久しぶりに家族そろって食べることになった。
親父。
母さん。
俺。
そして、いなり。
昨日までは存在しなかった四人目が、当然のように食卓にいる。
母さんはいなり用の小皿を用意して、食べやすいように取り分けていた。
「いただきます」
「いただきますです」
いなりが小さく頭を下げる。
その姿が、もうすっかり自然だった。
食事が少し進んだころ、母さんがふと思い出したように聞いてきた。
「そういえば、いなりちゃんの名前は、やっぱり稲荷神社から?」
「ああ」
俺はいなりを見る。
「狐って聞いて最初に思いついたのは、玉藻だったんだけどな」
「玉藻か」
親父が苦笑する。
「でも、いなりがすごく嫌がってさ。それで、狐といえばお稲荷様ってことで『いなり』にしたんだ」
「玉藻はねぇ」
母さんも少し苦笑した。
すると、いなりがきりっと顔を上げる。
「タマモだと、いなりは妖怪になっちゃうです。あるじと戦いたくないです」
「それで嫌だったんだ」
「あい。いなりは、あるじといっしょがいいです」
そう言って、いなりは尻尾を揺らした。
なんというか、理由が可愛い。
でも、いなりにとっては大事なことだったのだろう。
親父が少し考えるように言った。
「今度、いなりちゃんを連れて稲荷神社に行っておいで」
「稲荷神社?」
「ああ。近くにも、小さな稲荷社があったはずだ」
「近くにあるなら、まずはそこかな」
すると、母さんが楽しそうに口を挟んだ。
「夏休みになったら、豊川か伏見にも行ってみましょうか」
「いきなり大きいところに行くな」
「だって、いなりちゃんだもの。ちゃんとご挨拶しないと」
母さんは完全に乗り気だった。
「まずは近くの稲荷神社に、いなりと行ってみるよ。そのあと、豊川には行ってみたいかな。県内の有名なお稲荷様だし」
「豊川なら、休みの日にでも行ってきたら?」
母さんがさらっと言う。
「夏休みの旅行は京都にしましょう」
「京都?」
「伏見稲荷があるでしょう?」
「行く気満々だな」
「もちろんよ」
親父が笑いながら湯のみを置いた。
「じゃあ、宿も考えないとな。母さん、よろしく頼むよ」
「はいはい。ペット可のホテルか、コテージがあればいいわね」
「いなり、ペットじゃないです」
いなりが小さく抗議する。
母さんはにっこり笑った。
「そうね。いなりちゃんは家族ね。でも、外ではそう説明するしかないのよ」
「むずかしいです」
「そうだな。外では少し我慢してくれ」
「あい。いなり、がまんするです」
いなりは真面目にうなずいた。
その様子を見ていると、本当に昨日まで知らなかった存在とは思えない。
もう、うちの食卓に馴染んでいる。
「じゃあ、ごちそうさま」
俺は手を合わせて立ち上がる。
午後からは学校へ行かなければならない。
朝の件で遅れて行くことは母さんが連絡してくれているが、完全に休むわけにはいかない。
親父が車のキーを手に取った。
「高校までは車で送っていくよ」
「ありがとう。じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
母さんが手を振る。
いなりも小さな前足を上げた。
「あるじ、いってらっしゃいです」
「ああ。行ってくる」
少しだけ名残惜しい。
でも、学校には行かないといけない。
ダンジョンを見つけても。
子狐の相棒ができても。
俺はまだ、普通の高校生でもある。
……普通、かどうかは、もうだいぶ怪しいけど。
俺はそんなことを考えながら、親父の車に乗り込んだ。




