第17話
その夜。
風呂も済ませ、明日の準備もだいたい終えたところで、母さんが俺の部屋にやってきた。
「透、ちょっといい?」
「ああ。何?」
母さんが持っていたのは、脱衣籠だった。
いや、正確には、脱衣籠だったもの、と言うべきかもしれない。
中にはふわふわした布が敷かれていて、その上に小さな枕まで置かれている。
どう見ても、簡易ベッドだ。
しかも、サイズ的には完全にいなり用。
「……母さん、それ何?」
「いなりちゃんのベッドよ」
「いや、見れば分かるけど。いつの間に?」
「昔、親戚の子が遊びに来た時に使ってた人形用のお布団があったのよ。ちょうどよかったから」
「そんなものあったんだ……」
我が家の収納は、たまに謎の物が出てくる。
母さんは満足そうに、俺のベッドの横へ脱衣籠ベッドを置いた。
「これなら、透の近くで寝られるでしょ?」
「あい!」
いなりは目を輝かせて、ベッドの中へ飛び込んだ。
小さな身体が、ふわふわの布団にぽふんと沈む。
「わぁ……ふかふかなのです!」
「気に入った?」
「あい! 母様、ありがとうなのです!」
いなりはぴょこんと飛び出すと、母さんの前でちょこんと頭を下げた。
その瞬間、母さんの表情がふにゃりと崩れる。
「もう、いなりちゃん可愛い……! やっぱり母さんの部屋で寝る?」
「あ、あい?」
「母さん」
俺はすぐに止めた。
危ない。
今、普通に連れていかれそうになった。
「いなりは俺の部屋で寝るから」
「あら、残念」
残念そうに言いながらも、母さんはいなりの頭を優しく撫でた。
「じゃあ、いなりちゃん。おやすみなさい」
「おやすみなのです、母様」
母さんが部屋を出ていく。
扉が閉まると、部屋の中は静かになった。
いなりは自分用のベッドに入り、嬉しそうに前足で布団をふみふみしている。
その様子を見ていると、ふと考えてしまった。
学校に行っている間は、家で待っていてもらう方がいいだろう。
それこそ、この籠の中で寝ていてもいい。
それに、家にいれば母さんがいる。
少なくとも、ずっと隠れ続ける必要はない。
「いなり」
「あい?」
「俺の……いや」
俺は少し言い直した。
「いなりの家は、どうだ?」
「いなりの、いえ?」
「ああ。これから一緒に暮らすんだからな。ここは俺の家でもあるけど、いなりの家でもある」
いなりの耳が、ぴんと立つ。
「いなりの、いえ……」
「これから一緒に暮らすパートナーだからな。よろしく」
そう言って、俺はいなりの頭を撫でた。
いなりはしばらくきょとんとしていたが、やがて嬉しそうに目を細めた。
「あい。とっても気に入ったですよ、あるじぃ」
「そっか」
「ありがと、なのです」
いなりが俺の胸に飛び込んできた。
ここが、いなりにとっても家だと実感できたのだろう。
いなりにとって、ここがただの隠れ場所ではなく、帰ってこられる場所になったのなら。
それは、きっと悪いことじゃない。
「明日も早いし、寝よう」
「あい。おやすみなのです」
「ああ。おやすみ、いなり」
部屋の明かりを消す。
暗くなった部屋の中で、いなりの寝息が小さく聞こえてきた。
昨日までとは違う夜。
俺の部屋に、いなりのベッドがある。
たったそれだけのことなのに、不思議と胸が温かかった。




