第16話
その日の晩ご飯は、いなりも一緒に食べることになった。
母さんは宣言通り、いなり用に少し薄味のものを取り分け、小さな皿に盛ってくれた。
いなりは最初、食卓の上に置かれた自分用の皿を見て、かなり戸惑っていた。
「いなり、ここで食べていいのです?」
「いいのよ。いなりちゃんも、今日から家族なんだから」
「か、かぞく……」
いなりが俺の方を見る。
その目は、困っているような、嬉しいような。
いろんな気持ちが混ざった、不思議な表情だった。
「よかったな、いなり」
「あい……」
母さんの勢いに押されたのか。
それとも、もう諦めたのか。
いなりはおとなしく皿の前に座り、ちょこんと頭を下げた。
「いただきますです」
そして、ゆっくりと食べ始める。
一口食べるたびに、耳がぴくぴく動く。
尻尾も、気づけば小さく揺れている。
「おいしい?」
母さんが身を乗り出す。
「おいしいです、母様」
「そう! よかったわ!」
母さんは、それはもう嬉しそうだった。
親父は親父で、いなりが箸ではなく小さな口で器用に食べている姿を見て、なんとも言えない顔をしている。
現実を受け入れようとしている。
でも、まだ少し処理しきれていない。
そんな顔だ。
まあ、気持ちは分かる。
俺だって昨日までは、喋る妖狐と一緒に夕飯を食べる未来なんて想像していなかった。
けれど、食卓は思っていたより穏やかだった。
母さんがいなりにあれこれ話しかける。
いなりが「あい♪」「おいしいです、母様」「ありがとうです」と返す。
親父は時々難しい顔をしながらも、いなりが困るとさりげなく助け船を出してくれる。
俺はその様子を見ながら、少しだけ肩の力を抜いた。
いなりは、ここにいてもいい。
そう思えた。
◇
夕飯が終わり、片づけもひと段落したところで、親父が湯のみを置いた。
「それで、いなりちゃんのことはどうする」
さっきまでの和やかな空気が、少しだけ引き締まる。
俺は隣に座っているいなりを見た。
いなりは小さな身体で、俺の横にちょこんと座っている。
「できれば、隠したい」
俺は正直に言った。
「いなりのことは、知られたくない」
「そうだよな」
親父は静かにうなずいた。
「下手に知られたら、いろんなところに連れていかれて、実験動物みたいに扱われる未来しか見えない」
その言葉に、いなりの耳がぴくりと震えた。
俺は思わず、いなりの頭に手を置く。
「うん。だから、いなりのことはできるだけ隠したい。でも、親父や母さんには知らせないと、俺だけでは隠せないと思った」
言葉が少し詰まる。
勝手にダンジョンへ入った。
勝手にいなりを連れて帰った。
そのうえで、隠すのを手伝ってほしいと言っている。
自分でも、かなり無茶なことを頼んでいる自覚はあった。
でも、親父は俺の言葉を遮るように、ゆっくり首を横に振った。
「透。頼ってくれていいんだ」
「親父……」
「その判断は間違っていない。少なくとも、一人で抱え込むよりずっといい」
親父は、今度はいなりを見た。
「俺も母さんも、いなりちゃんの味方だ」
「そうよ」
母さんが即座に言った。
「もう、うちの子なんだから。よそにはやらないわ」
「うちの子……」
いなりが小さくつぶやく。
そして、何かを確かめるように俺を見る。
俺は笑ってうなずいた。
「よかったな、いなり」
「あい……ありがとうです、父様、母様」
いなりは深々と頭を下げた。
その声は、いつもより少しだけ震えていた。
「ありがとう」
俺も親父と母さんに頭を下げる。
胸の奥につかえていたものが、ようやく少し軽くなった気がした。
「でも」
親父が、現実に引き戻すように言う。
「明日は連れていけないな。警察の前に出すわけにはいかない」
「いや、それなんだけど」
俺はいなりを見る。
「いなりは隠形も使えるんだ。いなり、ちょっと見せてくれ」
「あい」
いなりが元気よく返事をした。
次の瞬間。
ぽふん、と小さな音がした気がした。
いなりの身体がさらに小さくなる。
キーホルダーのぬいぐるみくらいの大きさだ。
そして、その姿がふっと薄くなった。
「え?」
母さんが目を瞬かせる。
「消えた?」
親父も目を細める。
二人とも、完全にいなりを見失ったようだった。
けれど、俺にはなんとなく分かった。
見えているわけではない。
でも、気配がある。
いなりがどこにいるのか、ぼんやりと伝わってくる。
小さな足音も立てずに、いなりはとことこと床を歩き、俺の足元まで来た。
そして器用に服をよじ登り、俺の肩にちょこんと座る。
「いなり、隠形を解いていいぞ」
「あい」
次の瞬間、俺の肩の上に金色の小さないなりが現れた。
「あっ!」
「いつの間に……」
母さんと親父が驚いた顔をする。
二人からすれば、母さんのそばにいたはずのいなりが、いつの間にか俺の肩に移動していたように見えたのだろう。
「こんな感じで隠れられる。外では、これで隠れててもらうつもり」
「それなら、いなりちゃんも一緒にいられるわね」
母さんは安心したように言った。
でも、すぐに少し考え込む。
「ただ、透が学校に行っている間までずっと隠れてついていくのは、いなりちゃんも大変じゃない?」
「あい……学校って、長いです?」
「長いな」
俺は苦笑する。
「授業中は喋れないし、動けないし。退屈だと思う」
「それなら、透が学校に行っている間はいなりちゃんが家にいればいいのよ」
母さんが、すぐに言った。
「私と一緒にお留守番しましょうね。お昼も一緒に食べましょう」
「あるじと一緒に行けないです?」
いなりが、少しだけ耳を下げる。
「外に出る時は一緒に行こう。ただ、学校は……まだ危ないと思う」
「そうですね……」
いなりは少し考えてから、こくりとうなずいた。
「あい。母様と、お留守番するです」
「うんと甘やかして、透の魔の手から救わないとね」
母さんがなぜか、俺を見た。
「か、母さん?」
魔の手って何だ。
俺、いなりの主人なんだけど。
ちゃんと助けた側なんだけど。
親父が苦笑しながら、母さんを軽くたしなめる。
「まあ、そのくらいで」
「冗談よ」
母さんは笑っている。
たぶん、半分くらいは本気だ。
親父は話を戻した。
「とりあえず、いなりちゃんのことは隠す。それでいいな」
「お願いします」
「あい。いなり、がんばって隠れるです」
「分かった」
親父はうなずき、話を切り替えた。
「明日はダンジョンを見に行くが、どうすればいい?」
「親父は、レベルを上げたい?」
「レベル?」
「ああ。中の土偶を倒すと、レベルが上がる。俺はそれで職業も解放された」
親父の表情が少し険しくなる。
「倒すには、特別な武器が必要なのか?」
「特別なものじゃなくても倒せると思う。ただ、土偶は結構硬い」
俺は昨日と今日の戦いを思い出した。
「石を投げて、鉈で何度も叩いて、ようやく倒せた。スコップでも、バールみたいなものでも、何人かでやればいけるとは思う」
「バールみたいなものって、急に事件感が出るな」
「俺も言ってから思った」
親父は少しだけ笑ったが、すぐに真面目な顔に戻った。
「その辺は、中を見てからだな。無理はしない」
「それがいいと思う」
俺も、親父にいきなり戦わせたいわけじゃない。
ただ、ダンジョンの危険性を知ってもらうには、実際に見てもらうのが一番だと思った。
「明日はキャンプで使った道具だけ持っていくよ。警察が来るまで時間があれば、コーヒーくらい飲みたいしね」
「こんな状況でコーヒーか」
「落ち着くためにも必要だろ?」
「それもそうだな。準備は任せた」
「了解、親父」
明日の予定が決まった。
親父と一緒に裏山へ行く。
ダンジョンを確認する。
そのうえで、警察に連絡する。
いなりのことは隠す。
やることは多い。
不安もある。
でも、一人じゃない。
親父と母さんが味方になってくれた。
いなりも、俺の肩の上で小さく胸を張っている。
「あるじ。いなりも、がんばるです」
「ああ。頼りにしてる」
そう言って頭を撫でると、いなりは嬉しそうに目を細めた。




