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第107話

8月4日 

今日こそはダンジョンに潜りたい。

そんなことを考えながら、俺たちは尾張ダンジョンへ向かった。

管理棟の前には、今日も探索者の列ができていた。ただ、昨日までと比べるとかなり短い。

受付にいた綾部さんが、こちらに気づいて手を振った。

「あっ、透君。こんにちは」

「こんにちは。今日は少し落ち着いてますね」

「午前中は入場する人が多かったけど、午後からはだいぶ減ったよ。今日は手伝いじゃなくて、ちゃんと潜れそうね」

「それはよかったです」

俺たちは四人分、合計四千円の入場料を払い、入場待機列の最後尾へ並んだ。

いなりが嬉しそうに俺を見上げる。

「あるじ、久しぶりのダンジョンなのです」

「そうだな」

ここ数日は受付の手伝いや堀工業への訪問で、まともに探索できていなかった。

「ただ、静の盾が出来上がるまでは先へ進まない。今日は第一層から第四層までを回って、連携の確認をしよう」

「は~い」

烈と静も黙って頷いた。

尾張ダンジョンは、一つの入口から一組ずつ別の空間へ入るインスタンス型だ。

一組が入るのに、およそ五分。

誰も使っていない時は入口全体が黒く、誰かが占有している間は白く光る。

俺たちは少しずつ前へ進みながら、順番を待った。

やがて、黒い入口まであと五組というところまで来た。

その時だった。

白く光っていた入口から、三人の男が飛び出してきた。

二人が、もう一人の両脇を抱えている。

抱えられている男は全身血まみれで、左足があり得ない方向へ曲がっていた。

支えている二人も服や腕を血で汚している。

周囲が一気にざわついた。

「救護班!」

係員が叫び、近くにいた職員たちが駆け寄る。

三人は入口から離れた場所へ運ばれた。

左足を折っている男はそのまま担架へ乗せられ、管理棟の医務室へ運ばれていく。

残った二人のうち、一人が息を切らしながら係員へ訴えた。

「まだ一人、中に残ってる!」

「腕と足をやられて、運べなかったんだ!」

「悪い。もう一度入らせてくれ!」

係員は入口へ目を向けた。

まだ白く光っている。

先ほどの三人が使っていた空間が、完全には解放されていないのだろう。

係員は次に並んでいたパーティへ向き直り、深く頭を下げた。

「申し訳ありません。救助活動を優先するため、こちらの方を先に入場させます。少々お待ちください」

並んでいた探索者たちは、医務室へ運ばれていく怪我人を見て、すぐに頷いた。

「構わない」

「救助が先だ」

「早く行ってやってくれ」

数秒後、入口を覆っていた白い光が消えた。

入口全体が、再び真っ黒になる。

係員はそれを確認してから、男へ声を掛けた。

「空きました。どうぞ!」

男が入口へ向かって走り出す。

俺は反射的に声を上げた。

「待ってください!」

男と係員が振り向く。

「俺も手伝います。ヒールが使えます」

「ヒール?」

男が目を見開いた。

係員も驚いた顔をしたが、すぐに俺だと気づいたようだった。

「透さんだったんですね。お願いします」

俺は三人を振り返った。

「悪い。少し待っていてくれ」

いなりはすぐに頷く。

「あるじ、気をつけるのです」

烈と静も静かに頷いた。

「必ず戻る」

「お気をつけて」

俺は男の後を追った。

男が黒い入口へ足を踏み入れた瞬間、入口全体が白く光り始める。

占有状態になった合図だ。

俺もそのまま白い入口へ踏み込み、男と同じダンジョンへ入った。

◇

視界が切り替わる。

見慣れた第一層の通路だった。

先に入った男は、周囲を見回しながら叫んでいる。

「森岡!」

「森岡ぁ!」

俺はその背中を追いながら声を掛けた。

「取り残された方が森岡さんですか?」

「ああ。俺は宮本。さっき運ばれたのが村上で、もう一人が目加田だ」

「小森透です」

「小森君、頼む。森岡を見つけたら助けてやってくれ」

「そのために来ました」

宮本さんの左腕から血が流れている。

服も大きく裂けていた。

「その前に、宮本さんの怪我を治します」

「俺はまだ動ける。それより森岡が先だ」

「その状態で森岡さんを支えられますか?」

宮本さんは一瞬黙り、自分の腕を見た。

「……頼む」

俺は傷口へ手をかざした。

「《ヒール》」

淡い光が宮本さんの腕を包む。

裂けた傷がゆっくりと塞がっていった。

宮本さんは何度か腕を動かし、信じられないものを見るように傷跡を見つめた。

「痛みがない」

「本当に魔法なんだな」

「はい。今は僧侶の職に就いているので使えます」

「僧侶……」

「詳しい話はあとにしましょう。森岡さんはどこですか?」

宮本さんは我に返ったように顔を上げた。

「第二層へ降りる階段の少し手前だ」

「分かりました。こっちです」

第一層は何度も通っている。

道に迷うことはない。

俺たちは通路を急いだ。

◇

しばらく進むと、壁際に人影が見えた。

「森岡!」

宮本さんが駆け寄る。

森岡さんは壁にもたれたまま、苦しそうに息をしていた。

右腕と左足が不自然な方向へ曲がっている。

意識はあるようだが、顔色が悪い。

「宮本……」

「助けを連れてきたぞ」

俺は森岡さんのそばへしゃがみ込んだ。

「小森透です。今から治療します」

森岡さんが俺を見る。

「治療……?」

「ヒールが使えます。ただ、骨の位置を戻してからかける必要があります」

俺はまず左足を確認した。

「かなり痛いと思いますが、我慢してください」

森岡さんは歯を食いしばり、小さく頷いた。

「頼む……」

宮本さんに身体を支えてもらいながら、慎重に足の向きを戻していく。

森岡さんがくぐもった声を上げる。

骨の位置が合ったところで、すぐに手をかざした。

「《ヒール》」

淡い光が左足を包む。

腫れが引き、曲がっていた足が元の形へ戻っていく。

「どうですか?」

森岡さんは恐る恐る足を動かした。

「……痛くない」

「次は腕です」

右腕も同じように位置を合わせる。

「少しだけ我慢してください」

「分かった」

骨の向きを整え、もう一度ヒールを使う。

「《ヒール》」

光が消えると、森岡さんはゆっくりと右腕を曲げ伸ばしした。

「動く……」

宮本さんが大きく息を吐いた。

「よかった……」

「立てそうですか?」

森岡さんは宮本さんの肩を借りながら、ゆっくり立ち上がった。

左足へ体重をかける。

「歩ける」

「それなら外へ戻りましょう」

俺は二人へ念を押した。

「ただし、必ず病院で診てもらってください。人の骨折にヒールを使ったのは、これが初めてなので」

「分かった」

森岡さんが深く頭を下げる。

「助けてくれて、ありがとう」

宮本さんも頭を下げた。

「本当にありがとう。森岡を置いてきた時は、どうなるかと思った」

「お礼は外に出てからでいいです。まずは戻りましょう」

俺たちは三人で、ダンジョンの出口へ向かった。

   ◇

管理棟へ戻ると、係員がすぐに駆け寄ってきた。

「宮本さん、森岡さん、大丈夫ですか!」

「助かったよ。」

宮本さんが安堵したように答える。

係員は三人の無事を確認すると、俺へ向き直った。

「透さん、医務室へお願いします。」

「村上さんが待っています。」

「分かりました。」

俺は振り返る。

「みんな、ごめん。」

「今日の探索は中止だ。」

いなりはすぐに笑顔で頷いた。

「あるじらしいのです。」

烈も静も小さく頷く。

「そうだな。」

「はい。」

四人で医務室へ向かった。

   ◇

医務室へ入ると、簡易ベッドに村上さんが寝かされていた。

左足には添え木が当てられ、応急処置は終わっているようだ。

担当の職員が困った顔をしていた。

「止血はできました。」

「でも、この設備では骨折までは確認できません。」

「救急車を呼んでありますが、今日は日曜日なので整形外科の受け入れ先を探しているところです。」

その時、宮本さんが声を掛けた。

「村上。」

「森岡、助かったぞ。」

「……本当か?」

「透君が助けてくれた。」

村上さんは俺を見た。

「ありがとう……。」

俺は医務担当へ向き直る。

「村上さんにもヒールを使っていいですか?」

「お願いします。」

「こちらでは止血しかできません。」

俺は村上さんの左足へ手をかざした。

「添え木はそのままでいきます。」

「《ヒール》」

淡い光が左足を包む。

しばらくすると村上さんの表情が変わった。

「……痛くない。」

「添え木を外してもいいですか?」

医務担当が慎重に固定具を外していく。

村上さんは恐る恐る左足を動かした。

「動く。」

ベッドからゆっくり立ち上がる。

体重を掛ける。

一歩。

二歩。

「歩ける。」

医務室にいた全員が息を呑んだ。

「治った……。」

村上さん自身が一番驚いている。

俺は安心しながらも言った。

「良かったです。」

「でも必ず病院で診てもらってください。」

「人の骨折にヒールを使ったのは今日が初めてなので、本当に完治しているか確認したいです。」

「もちろんだ。」

村上さんは何度も足を動かしながら頷いた。

その時だった。

勢いよく医務室の扉が開いた。

「透君!」

藤堂さんと辻元さんが飛び込んできた。

「また何かやったと聞いたんだが!」

「今度は何をした?」

俺は苦笑しながら答えた。

「骨折した人にヒールを使いました。」

「今のところ問題なく歩けています。」

藤堂さんは医務担当を見る。

「本当か?」

「はい。」

「村上さんは歩けるようになりました。」

藤堂さんは驚いた表情のまま俺を見る。

「僧侶って、本当にあるのか?」

「あります。」

「俺は今、僧侶です。」

「戦士や斥候以外にも職業があるのか……。」

俺は頷く。

「斥候は飛び道具で魔物を倒す。」

「戦士は近接武器で倒す。」

「それは皆さん知っていますよね。」

二人は頷く。

「じゃあ僧侶は?」

俺は少し考えてから答えた。

「皆さん、ダンジョンで怪我人が出たらどうしていますか?」

辻元さんが即答する。

「外へ運び出す。」

「それだけだ。」

「俺もそうでした。」

「でも、その前に応急処置をしました。」

「その後、《僧侶の心得》が手に入りました。」

医務室が静まり返る。

「つまり……。」

藤堂さんが確認する。

「ダンジョン内で治療行為をすると?」

「たぶん、《僧侶の心得》が手に入ります。」

「その後、僧侶へ転職すると《ヒール》が使えるようになります。」

「そんな情報……。」

辻元さんが呟く。

「どこにも出ていないぞ。」

俺は笑った。

「俺もネットには書いていません。」

「実際になっただけです。」

藤堂さんと辻元さんは顔を見合わせた。

尾張ダンジョンで、また一つ新しい事実が見つかった瞬間だった。

   ◇

しばらく沈黙が続いた。

その静寂を破ったのは辻元さんだった。

「……この情報。」

「探索者Wikiへ書き込んでもいいか?」

俺はすぐに頷く。

「もちろんです。」

「俺はネットへ書いたことがないので、どうぞ。」

藤堂さんが腕を組んだまま言う。

「まずは内閣官房へ報告する。」

「そのあと、全国のダンジョン対策本部へも共有しよう。」

「それは構いません。」

俺は一つだけ付け加えた。

「でも。」

「発見者として俺の名前は出さないでください。」

「ネットにもですか?」

辻元さんが聞き返す。

「はい。」

「『尾張ダンジョンで確認された』くらいで十分です。」

「俺は目立ちたくありませんから。」

藤堂さんは少し笑った。

「君らしいな。」

「分かった。」

「個人名は伏せる。」

「ありがとう。」

その様子を見ていた宮本さんが俺の前へ来た。

深く頭を下げる。

「改めて礼を言わせてくれ。」

「ありがとう。」

「村上も森岡も助かった。」

「あと少し遅かったら、どうなっていたか分からない。」

村上さんも続いて頭を下げる。

「初日に足を失うところだった。」

「本当にありがとう。」

森岡さんも笑った。

「俺なんて置いていかれて当然だったのに。」

「助けに戻ってきてくれてありがとう。」

俺は首を振る。

「無事で良かったです。」

「それだけですよ。」

宮本さんはポケットから封筒を取り出した。

「これは受け取ってくれ。」

「命を助けてもらった礼だ。」

俺は中を見ずに返した。

「お気持ちだけで十分です。」

「でも……。」

宮本さんは引き下がらない。

「いや。」

「受け取ってくれ。」

俺は少し考えて答えた。

「じゃあ。」

「今日の入場料だけ返してください。」

「四千円です。」

「それで今日は収支ゼロになりますから。」

三人とも驚いた顔になる。

「……それだけでいいのか?」

「はい。」

「困った時はお互い様です。」

宮本さんはしばらく黙っていたが、やがて笑った。

「分かった。」

「その代わり。」

「今度、飯ぐらい奢らせてくれ。」

「それなら喜んで。」

医務室の空気が少しだけ和らいだ。

帰ろうとすると、藤堂さんが声を掛けた。

「透君。」

「今日は本当に助かった。」

「いや。」

「今日だけじゃない。」

「一般公開が始まってから毎日のように助けられている。」

「そんなことないですよ。」

「受付を少し手伝っただけです。」

「その"少し"が助かっているんだ。」

藤堂さんは笑った。

「今日の入場料は市で負担しよう。」

「あと。」

「少ないが謝礼も出させてくれ。」

俺は首を横に振った。

「謝礼はいりません。」

「入場料だけ返してもらえれば十分です。」

藤堂さんは苦笑した。

「君は本当に商売気がないな。」

「ダンジョンは好きですけど、お金儲けをしたいわけじゃないので。」

「そういうところも君らしい。」

管理棟を出る。

外では夕日がダンジョン入口を赤く照らしていた。

いなりが俺の横へ並ぶ。

「あるじ。」

「今日も助けちゃいましたね。」

「たまたまだよ。」

「違うのです。」

「あるじだから助けたのです。」

俺は少し照れながら頭をかく。

烈が静かに言う。

「透様らしい。」

静も小さく頷いた。

「はい。」

俺たちはそのまま家へ向かった。


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