第104話
8月1日
新しい月が始まった。
ということは、ダンジョンブレイクが起こる日でもある。
尾張ダンジョンは毎日のように探索しているから大丈夫だとは思うが、それでも少し不安になる。
朝起きると、テレビをつけた。
朝のニュースはどの局もダンジョンブレイクの特集だ。
『本日午前九時、ダンジョン発生から二度目のダンジョンブレイクが発生する可能性があります。』
『午前七時現在、国内外ともにダンジョンブレイクの報告は入っておりません。各地のダンジョンから中継でお伝えします。』
画面は新宿へ切り替わる。
『こちらは新宿ダンジョン前です。先月一日に発生したダンジョンブレイクでは、近隣ビルの火災も含め、死者六十八名、行方不明者三十七名という甚大な被害が発生しました。』
『現在、ダンジョン入口は防護壁で完全に封鎖され、自衛隊と警察による討伐も実施済みです。本日のブレイクは発生しないものと見られています。』
母さんがほっとしたように言う。
「尾張ダンジョンは今のところ被害がなくてよかったわね。」
いなりが胸を張った。
「あるじたちが毎日頑張っているからなのです!」
「いなりも頑張ってるじゃないか。」
「はい♪」
烈も負けじと前に出る。
「透様、俺も頑張ったぞ!」
すると静が苦笑した。
「烈だけではありません。みんなで頑張った結果です。」
「そうだな。烈も静も、本当によく頑張った。」
「「はい!」」
親父が新聞を畳みながら言う。
「透も安全第一でうまくやっているようだな。」
「うまくやれてるかは分からないけど、安全第一だけは守ってるよ。」
横を見ると、いなりが「あるじだけ褒められてる」と言いたげな目で見ていた。
……見なかったことにしよう。
「今日もダンジョンへ行くのか?」
「午後から行く予定。午前中は勉強するよ。」
「そうか。」
少し考えてから俺は続けた。
「ダンジョンへ行くようになってから、宿題も前より楽に解ける気がするんだ。」
「レベルアップの影響かもしれんな。」
親父は笑った。
「身体だけじゃなく頭も鍛えられているなら、いいことだ。」
◇
午前九時までは勉強を始めず、テレビの前でワイドショーを見ることにした。
『新宿ダンジョン前です。まもなく九時になります。自衛隊が防護壁の外で待機しています。』
『こちら大阪ダンジョン前です。探索者と警察による警戒体制が敷かれています。』
『こちら尾張ダンジョン前です。管理棟からモニターで入口を監視しており、午前九時までは門を開放しないと繰り返し案内されています。』
画面には長い車列が映っていた。
一般公開初日ということもあり、ダンジョン前の道路は大渋滞だ。
「すごい人だね。」
「お昼過ぎには空くかな?」
「もし混んでいたら、今日は藤堂さんたちの手伝いをしよう。」
「「「はーい!」」」
午前九時。
全国どこのダンジョンでも、ダンジョンブレイクは発生しなかった。
◇
昼食を終え、ダンジョンへ向かう。
佐布里池の交差点を曲がると、道路脇には路上駐車の車がずらりと並んでいた。
警察官が拡声器で移動を呼びかけているが、とても追いついていない。
「まだ混んでるね。」
「気を付けて行こう。」
「はい。」
車の横を歩いて進むと、今度は長い人の列が見えてきた。
入口では辻元さんが拡声器を持って叫んでいる。
「探索者カードをお持ちでない方は左側の列へ! カードをお持ちの方は右奥の列へお並びください!」
俺は辻元さんに声を掛けた。
「こんにちは。すごい人ですね。」
辻元さんは苦笑する。
「朝からずっとこんな感じなんだよ。」
「外も大渋滞でしたし、まだまだ来そうですね。」
「はぁ……。」
頭を抱えたあと、こちらを見る。
「透君、悪い。今日も手伝ってくれないか?」
「今日は潜れそうにありませんし、いいですよ。」
「第六層から入らないのか?」
「第五層で俺の錫杖と静の盾が壊れちゃって。今日は装備の確認もしようと思ってたので。」
「そういうことなら助かる。藤堂所長のところへ行ってくれ。」
「分かりました。」
◇
管理棟へ入ると、ロビーには臨時の受付がいくつも並び、職員たちが慌ただしく動き回っていた。
受付には綾部さんだけでなく、藤堂さんまで座って対応している。
「あっ、透君!」
綾部さんがこちらに気付き、手を振った。
「助かった! 辻元さんから聞いてる!」
「手伝いに来ました。」
「じゃあ、そこに折り畳み机を並べて受付を書いてもらう場所を作って!」
「受付用紙を書いてもらうだけでいいんですか?」
「うん。書き終わったら私たちが確認するから。」
俺は周囲を見回した。
入口付近に人が集中しすぎている。
「だったら、ここに机を何台か並べましょう。」
「記入する場所と並ぶ場所を分けた方が流れが良くなります。」
藤堂さんも頷いた。
「いい考えだ。頼む。」
「烈、静。机を運んでくれ。」
「「はい。」」
「いなりは列を少し後ろへ下げてもらえるようお願いして。」
「はいなのです!」
◇
十分ほどで受付スペースが完成した。
俺は列の先頭へ向かい、大きな声で案内する。
「前から順番に受付用紙を受け取ってください。」
「記入が終わった方はこちらの列へお願いします。」
「分からないところは僕たちに聞いてください。」
列は少しずつ動き始めた。
烈と静は机への案内。
俺は記入方法の説明。
いなりは書き終えた人を受付へ誘導する。
四人で分担したことで、受付の流れは驚くほどスムーズになった。
ところが。
「いなりちゃん、一緒に写真撮って!」
若い男性探索者がスマホを取り出した。
狐耳と尻尾、そして巫女服。
コスプレだと思ったのだろう。
シャッ。
撮影音が響く。
すると藤堂さんがすぐに前へ出た。
「管理棟内は撮影禁止です。」
「撮影された方は写真を削除してください。」
男性は慌てて削除する。
「す、すみません!」
「今後も撮影は禁止です。ご協力をお願いします。」
混乱はそれだけで収まった。
◇
受付は順調に進んだ。
それでも、人の列は途切れない。
時計を見ると午後四時。
藤堂さんが近づいてきた。
「透君。」
「カード発行は、今門の中に並んでいる人までで締め切ることにした。」
「あと三十分くらいで終わるだろう。」
「分かりました。」
俺は三人を見る。
「あと少しだ。」
「頑張ろう。」
「「「はい!」」」
◇
受付終了。
最後の探索者を見送り、四人で椅子へ座り込んだ。
「はぁ……。」
「ダンジョンより疲れたかも。」
俺が苦笑すると、
烈が肩を回した。
「途中で横入りしようとする人が何人もいました。」
静も頷く。
「記入漏れの方も多かったですね。」
「書けたと言われても、名前しか書いていない方もいました。」
いなりが頬を膨らませる。
「何回説明しても戻ってくれない人もいたのです。」
そのとき後ろから笑い声が聞こえた。
「だから『鬼教官』って呼ばれてたのね。」
振り向くと綾部さんだった。
ペットボトルを人数分持っている。
「はい、お疲れさま。」
「まずは水分補給。」
「「「「ありがとうございます!」」」」
綾部さんは笑いながら続ける。
「いなりちゃん。」
「すごかったわよ。」
「『住所欄が空いてます!』
『郵便番号も書いてください!』
『銀行口座を書かないと、お金を振り込めません!』
って、ずっと言ってたでしょ?」
いなりの耳がぴくっと動く。
「み、見られてたのです……。」
顔が真っ赤になる。
「恥ずかしいのです……。」
俺たちは思わず笑ってしまった。
そこへ藤堂さんもやって来た。
「今日は本当に助かった。」
「透君たちがいなかったら、受付は完全に止まっていた。」
「困ったときはお互い様です。」
俺が答えると、
藤堂さんは満足そうに頷いた。
「明日からは受付の人数を増やす。」
「それと、今日みたいに記入スペースを最初から別に設ける。」
「今日のやり方をそのまま採用するよ。」
「Web受付にはしなかったんですか?」
「依頼はしている。」
「ただ、個人情報を扱うから慎重に進めていてね。」
「開発は最終テストまで来ているらしい。」
「実質二か月でここまで作ったなら十分ですね。」
「将来的には国で一括管理になるんでしょうね。」
藤堂さんは苦笑する。
「そこまで行くには何年かかるかな。」
藤堂さんは思い出したように言った。
「そうそう。」
「今日のアルバイト代だけど、一人一万円でどうだろう。」
「十分です。」
「ありがとう。」
「じゃあ、探索者カードを貸してくれるか。」
「いつもの口座へ振り込んでおく。」
俺はカードを四枚差し出した。
「手続きをしてくる。」
「少し休んで待っていてくれ。」
「分かりました。」
藤堂さんが受付の奥へ消えていく。
俺はペットボトルを開けながら、三人を見る。
「今日は本当にお疲れ。」
いなりは笑顔で頷いた。
「でも、明日も忙しくなりそうなのです。」
烈が苦笑する。
「今度は本当にダンジョンへ潜れるといいですね。」
静も小さく笑った。
「そうですね。」
四人は顔を見合わせ、思わず笑い合った。
◇
家へ帰ると、母さんが夕食の準備をしながらテレビを見ていた。
画面にはニュース番組が映っている。
午前中は無事だった日本だが、世界ではそうはいかなかったようだ。
『本日午前九時以降、アフリカや南米の一部地域、中東の紛争地域などで複数のダンジョンブレイクが確認されました。』
『政府機関が存在しない地域や、治安が悪化している地域では、ダンジョンの制圧ができず、現在も魔物が周辺へあふれ出しているとのことです。』
映像には、道路を埋め尽くす魔物の群れや、避難する住民の姿が映し出される。
『現在、各国が対応を進めていますが、魔物が多く、現場へ近づくことも困難な状況となっています。』
『ダンジョンを放置すれば、その周辺一帯が魔物の支配する危険地帯となる恐れがあります。国際社会として、こうした地域へどのような支援を行うのかが、今後の大きな課題となりそうです。』
テレビの音が途切れると、少し重い空気が流れた。
母さんが鍋をかき混ぜながらつぶやく。
「人が入れないダンジョンは、あんなふうになってしまうのね……。」
俺も画面から目を離せなかった。
「少なくとも、尾張ダンジョンだけはああならないようにしないと。」
いなりが力強く頷く。
「あるじ、一緒に頑張るのです!」
「もちろん。」
烈も胸を張る。
「俺も守る!」
静も静かに続けた。
「尾張ダンジョンは、私たちがしっかり管理していきましょう。」
母さんは優しく微笑んだ。
「みんな、本当に頼もしくなったわね。」
親父も新聞をたたみながら口を開く。
「世界ではまだ混乱が続いている。」
「だからこそ、尾張のような成功例を一つずつ積み重ねていくしかないんだろうな。」
俺はもう一度テレビを見る。
遠い国で逃げ惑う人たちの姿が映っていた。
――ダンジョンは、日本だけの問題じゃない。
その現実を改めて実感した。




