第5話:頬が熱くなる理由
昨夜の出来事は、すべてが熱に浮かされた悪夢のようだった。
めぐみは朝、自室の鏡の前で、自分の肌に刻まれた変化を凝視していた。
「……あ……」
喉の奥から、かすれた声が漏れる。
指先でそっと触れた鎖骨のあたりには、タカシが残した赤い痕が、まだ生々しく居座っている。それは[#傍点]仕事[#傍点終わり]の対価であり、地味な読書少女が「女」へと作り替えられた証拠だった。
メガネをかけても、伏せ目がちになっても、内側から滲み出る熱を隠すことはできない。
教室に入ると、空気の冷たさが心地よかった。だが、その冷気すら、めぐみの火照った頬を冷ますことはできなかった。
「めぐみ、おはよ」
背後からかけられた声に、肩が跳ねる。
三浦健人だ。彼は昨日、駅で見せた不穏な表情を飲み込んだような、無理に明るい笑顔を作っていた。
「……おはよう、健人くん」
「昨日……なんか、きつく言って悪かったな。心配だったからさ」
健人の大きな手が、いつものようにめぐみの頭に伸びてくる。
だが、その瞬間、めぐみの脳裏にはタカシの冷たい指先がフラッシュバックした。
「……っ、やめて!」
反射的に、健人の手を強く振り払ってしまう。
しんと静まり返る教室の隅。健人は空中で止まった自分の手を見つめ、呆然と立ち尽くしていた。その隣で、登校してきたばかりのこのかも目を見開いている。
「めぐみちゃん、どうしたの……? 健人くん、そんなに強く叩いてないよ?」
「……ごめん。ちょっと、体調が悪くて……」
めぐみは逃げるように席につき、顔を伏せた。
頬が熱い。頭がぼんやりとする。
健人の優しさが、今の自分にはあまりにも眩しすぎて、形成されていく汚れた今の自分を突きつけられているようで、吐き気がした。
その時、机の中に入れたスマホが小さく震えた。
プロデューサーのタカシからの、短いメッセージ。
『昨日の「経験」、無駄にするなよ。今の君の顔は、昨日の配信よりずっと「女」の顔だ。今夜、その顔をファンに見せろ』
メッセージと共に送られてきた画像は、昨夜、事務所のソファで意識が遠のきそうになっていた自分の姿だった。
めぐみの心臓が、ドクンと嫌な音を立てる。
恐怖。拒絶。
……そして、その奥底で疼く、奇妙な高揚感。
(私はもう、普通の女の子じゃない。私は、Meguなんだ……)
昼休み。図書室のいつもの席に、三人は集まっていた。
けれど、流れる空気は重く、歪だった。
このかは健人と楽しげに喋ろうとしているが、その視線は時折、めぐみの首筋に向けられる。
「ねぇ、めぐみちゃん。そのカーディガン、今日はずっと脱がないの? 今日、結構暑いよ?」
「……うん。寒気がするから」
「そう……。あ、健人くん。見てよ、このスケッチ。めぐみちゃんを描いてみたんだけど……」
このかが差し出したスケッチブックには、いつも通り「地味で大人しいめぐみ」が描かれていた。
だが、その絵を見た健人が、小さく眉を寄せた。
「……なんか、違うな」
「え?」
「この絵のめぐみは、昔のままだ。今のめぐみは、もっと……なんて言うか……」
健人の視線が、伏せ目がちなめぐみの横顔を射抜く。
艶を増した髪。潤んだ瞳。そして、何もしていないのに赤く染まった頬。
健人は、自分の知っている幼馴染が、得体の知れない「何か」に塗り替えられつつあることを、本能で察知していた。
「……私、もう行くね」
耐えきれず、めぐみは立ち上がった。
背後に残された二人の視線が、刺青のように背中に焼き付く。
「めぐじゃーにー……」
廊下を歩きながら、彼女は呪文を無意識に唱えていた。
頬が熱いのは、熱のせいじゃない。
誰にも言えない「秘密」を抱え、最愛の二人を欺いているという、極限の背信行為が、彼女の身体を甘く焦がし続けているからだった。
今夜の配信。
めぐみは、タカシに命じられた通り、昨日教えられた「大人の仕草」を試すつもりだった。
100万人という数字のために。
そして、健人という光から、もっと遠くへ逃げ去るために。
第5話をお読みいただきありがとうございました!
【次回予告】
第6話:髪に艶が出始めた日
「Megu」のチャンネル登録者数が急上昇する。その美貌の進化は、ネット上で大きな話題となるが、比例するようにめぐみの学校での孤立は深まっていく。そんな中、このかがめぐみの「決定的な証拠」を見つけてしまい……。




