第21話:3年ぶりの教室での再会(大人になっためぐみ)
三月の風は、まだ冬の名残を孕んで冷たかった。
卒業式を間近に控えた県立高校。三年生だけが登校する自由登校期間の教室は、どこか空虚で、浮ついた空気が漂っている。
三浦健人は、窓際の席でぼんやりとグラウンドを眺めていた。
かつてエースとして走り回っていた場所。だが今の彼に、あの頃のような輝きはない。どこか冷めた、諦めを覚えた大人の男の目。 shadow。その隣には、当然のように菅原このかが座っていた。
「健人くん、卒業旅行、どこにするか決めた?」
「……ああ、どこでもいいよ。このかの行きたいところで」
二人は今も付き合っていた。あの嵐のような夜を経て、逃げるように身を寄せ合った二人は、周囲から「公認のカップル」として扱われている。だが、その絆の根底にあるのは、燃えるような恋ではなく、共有してしまった罪と、独りぼっちになることへの「恐怖」だった。
二人の間には、あの日以来、一度も「彼女」の名前が出ることはなかった。
その時、教室の前扉が静かに開いた。
ガタ、と健人の椅子が音を立てた。教室中の視線が一箇所に集まる。
入ってきたのは、一人の女性だった。
長い髪は、かつての青黒い艶を保ったまま、美しく整えられている。
かつての分厚いメガネはない。
shadow。そして、何より目を引いたのは、その「瞳」だった。
かつてのように何かに怯えたり、あるいは配信のために無理やり潤ませたりしたものではない。透明で、深く、すべてを見透かすような、凛とした大人の女性の瞳。
「……めぐ、み……?」
健人の喉から、掠れた声が漏れた。
三年前、スタジオから消えたきり転校し、消息を絶っていたはずの隅島めぐみが、そこに立っていた。
「久しぶりね。……健人くん、このかちゃん」
声が、かつてのハスキーな「Megu」とも、消え入りそうだった「地味子」とも違う。柔らかく、心地よい響きを湛えた、本物の彼女自身の声。
めぐみは、かつて自分が座っていた図書室の「隅」ではなく、教室の中央、教卓の前に迷いなく立った。
このかは、健人の腕を折れんばかりの力で握りしめた。その顔は恐怖で引き攣っている。
「なんで……今さら、何の用なのよ……! あなたはもう、私たちの前から消えたはずでしょ!?」
めぐみは、このかの言葉に動じることなく、静かに微笑んだ。
その微笑みには、かつて配信で売っていた「恥じらい」など微塵もなかった。
「卒業式の前に、一度だけここに来たかったの。……あの夜の続きを、終わらせるために」
めぐみはゆっくりと歩み寄り、健人とこのかの目の前で足を止めた。
健人の鼻腔に、あの日、彼が吐き気を覚えるほど嗅いだ官能的な香水の匂いではなく、石鹸のような、清々しいハーブの匂いが届く。
「……めぐみ。お前、ずっとどこにいたんだよ。俺、……俺は……」
「健人くん」
めぐみは、優しく、けれど断固として彼の言葉を遮った。
「私ね、あの後、配信で稼いだお金で……一人で海外を回っていたの。誰も私のことを知らない場所で、誰の視線も気にせずに、ただ『隅島めぐみ』として息をする練習をしていたわ」
彼女の指先が、自分の首元に触れる。
そこにはもう、緑の蝶ネクタイはない。
「100万人の声を聞くより、たった一人の自分自身の声を聞く方が、ずっと難しかった。……でもね、ようやくわかったの。私が本当に裏切っていたのは、二人じゃなくて、[#傍点]自分自身[#傍点終わり]だったってこと」
めぐみの言葉に、健人は何も言い返せなかった。
三年前、彼女を「汚い」と罵り、このかと肌を重ねることで逃げた自分。その背信の記憶が、目の前の美しく自立しためぐみの姿に照らされ、無様に浮き彫りになっていく。
「……三人で過ごした、あの図書室の時間は、もう二度と戻らない」
めぐみはそう言って、バッグから二通の手紙を取り出し、机の上に置いた。
一通は健人へ。もう一通は、このかへ。
「さようなら。……私の、大好きだった人たち」
彼女は一度も振り返ることなく、教室を去っていった。
残された健人とこのかは、その背中をただ呆然と見送るしかなかった。
健人は、震える手で自分宛ての手紙を開いた。
そこには、[#傍点]たった一行[#傍点終わり]。
三年前、彼が最も聞きたかった、 shadow。そして今、最も彼を打ちのめす言葉が記されていた。
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【次回予告】
第22話:「おかえり」と言えなかった2人
めぐみが残した手紙に記された衝撃の告白。
健人は自分の本当の気持ちを、そしてこのかは自分の愛の正体を見つめ直さざるを得なくなる。
卒業式の前夜。健人は、どうしてもめぐみに伝えなければならない「最後の言葉」を胸に、彼女の家へと走る。




