第12話:チャンネル登録者40万突破記念配信
部屋の中に立ち込める、高価な香水と冷えた空気の匂い。
めぐみは、タカシが持ってきた新しい緑の蝶ネクタイを首に巻き、鏡を見つめていた。
一晩中泣き明かしたはずの瞳は、皮肉にもこれまでで最も潤み、その奥には底知れない虚無が張り付いている。頬は火照ったように赤く、髪は指が滑り落ちるほど艶やかだった。
「いい顔だ、Megu。昨日の醜態すら、ファンには『極上のスパイス』に見えているよ」
背後でタカシが満足げに頷く。
今日の配信タイトルは【40万人突破記念:Meguのすべてをあげる】。
めぐみはスマホを手に取り、配信開始のボタンを押し、カメラを自分に向けた。
瞬時に同時接続数は六万人を突破し、コメント欄は狂乱の渦と化す。
「……こんばんは。Meguだよ。……今日は、みんなにお祝いしてほしくて。……ねぇ、私のこと、汚いって思う……?」
囁くような声。
昨夜の健人の「[#傍点]汚ねぇよ[#傍点終わり]」という言葉が、めぐみの脳内でリフレインする。その痛みを麻痺させるように、彼女はカメラに向かって、ゆっくりとカーディガンのボタンを外していった。
『汚いなんてとんでもない!』
『最高にエロいよMeguちゃん』
『もっと見せて、40万人の前で!』
めぐみは、自分の太ももをカメラにさらけ出した。
そこには、あの黒いガーターベルト。
彼女はそれを、健人との絆としてではなく、もはや自分を縛り付ける[#傍点]鎖[#傍点終わり]として、あるいは視聴者を釣るためのエサとして、無造作に弄んでみせた。
「……めぐじゃーにー」
呪文を唱えるたび、彼女の心の一部が削り取られていく。
だが、その削り取られた隙間に、大量の「投げ銭」という名のデジタルの札束が流れ込んでくる。数字が積み上がる。称賛が溢れる。
この快感だけが、今のめぐみを支える唯一の酸素だった。
同じ時刻。
学校近くの河川敷で、健人はこのかの肩を抱き寄せていた。
健人のスマホの画面には、めぐみの配信が映っている。
「……見なくていいよ、健人くん」
このかが優しくスマホを奪い、画面を消した。
「あの人は、もう私たちの知ってるめぐみちゃんじゃない。……私たちは、私たちの時間を大切にしよう?」
健人は、夕闇に染まる川面を見つめた。
画面の中で見た、潤んだ瞳の「Megu」。
かつて自分が「大人になれよ」と笑いながら渡したガーターベルトを、見知らぬ男たちの前で弄ぶ彼女の姿に、健人の心は完全に折れた。
それは、怒りを超えた[#傍点]絶望[#傍点終わり]。 shadow。そして、自分を裏切った幼馴染への、深い拒絶。
「……ああ。そうだな、このか」
健人は、隣にいるこのかの髪に触れた。
めぐみの強烈な香水とは違う、このかのシャンプーの穏やかな香り。
健人は、自分を否定しないその温もりに縋るように、このかの唇を求めた。
めぐみが40万人の熱狂の中で「女」を切り売りしている間。
健人は、このかとの間に「幼馴染」という言葉では済まされない一線を越えようとしていた。
配信が終了し、タカシが帰った後の暗い部屋。
めぐみは、1,000,000円を優に超える今夜の収益画面を眺めながら、ぽつりと呟いた。
「……健人くん、見てくれたかな」
返事はない。
かつて三人の放課後を包んでいたあの温かな沈黙は、もうどこにもなかった。
あるのは、スマホのバイブレーション音と、自分の冷え切った吐息だけ。
めぐみは、ガーターベルトの金具を乱暴に外した。
肌に残った赤い痕を見つめながら、彼女は力なく笑った。
成功への階段は、まだ続いている。
けれど、その頂上に辿り着いた時、隣に誰もいないことに、彼女はまだ気づかない振りをしていた。
第12話をお読みいただきありがとうございました!
【次回予告】
第13話:2人だけの帰り道(健人×このかの距離が縮まる瞬間)
めぐみが仕事に没頭する一方で、学校では健人とこのかが「公認のカップル」のように振る舞い始める。それを知っためぐみは、配信での過激さをさらに増していく。「負けたくない」という歪んだプライドが、彼女をさらなる奈落へと突き動かす。




