第11話:学校を休んだ次の朝の匂い
カーテンを閉め切った部屋は、昼間だというのに深海の底のように暗かった。
めぐみはベッドの中で、重い泥に沈んでいるような感覚に囚われていた。昨夜の配信事故。引きちぎった緑の蝶ネクタイは、床に無惨に転がっている。
スマホの電源は切っていた。タカシからの罵倒も、視聴者からの嘲笑も、今は何も聞き届ける勇気がない。
ただ、自分の体からは、昨夜流した涙の乾いた匂いと、自分自身を切り売りし続けた「Megu」としての高い香水の残り香が、混じり合って漂っていた。
(……健人くん。今、学校で何してるかな……)
目を閉じれば、図書室の窓から差し込む光と、二人の笑い声が蘇る。
でも、もうそこには自分の居場所がない。昨夜、カメラの前で健人の名前を叫んでしまった自分を、彼はきっと心の底から軽蔑しているはずだ。
同じ頃、学校の屋上。
授業をサボった健人とこのかは、フェンスに背を預けて並んで座っていた。
めぐみのいない学校。それは、二人にとって「幼馴染の三人組」という結界が解かれた、ひどく剥き出しの空間だった。
「……めぐみ、今日も休みか」
健人の声は、掠れていた。
昨夜の配信を見てから、彼の頭の中は掻き乱されていた。知らない男に翻弄されながら、自分の名前を叫ぶ狂乱の少女。それが、自分が守りたかった幼馴染の成れの果てだという事実。
「健人くん……もう、いいんだよ」
このかが、健人の震える手に自分の手を重ねた。
このかの手は、めぐみのそれとは違い、温かくて、何の毒も孕んでいなかった。
「めぐみちゃんは、自分からあの道を選んだの。健人くんの優しさを、あの人は数字に変えて売ったんだよ。……そんな人を、まだ追いかけるの?」
「……わかってる。わかってるよ……」
健人は、昨夜見た「Megu」の潤んだ瞳を振り払うように、強く目を閉じた。
その瞬間、このかが健人の首に腕を回した。彼女の髪から漂う、柔軟剤の清潔な匂い。それは、めぐみが纏っている官能的な匂いとは対極にある、[#傍点]安心の匂い[#傍点終わり]だった。
「私を見て、健人くん。私はここにいるよ。……私は、あなたを裏切ったりしない」
このかの唇が、健人の頬に触れる。
健人は、一瞬だけ躊躇した。めぐみの顔が、図書室の隅で本を読んでいたあの頃の顔が、脳裏を掠める。
だが、次の瞬間には、あの過激な配信画面の「汚れためぐみ」がそれを塗り潰した。
「……あぁ……っ」
健人は、このかの細い腰を引き寄せた。
それは、失った光を埋めるための代償。
めぐみがいない場所で、めぐみが最も恐れていたことが、今、残酷なまでに静かに進んでいた。
夕方。
めぐみが空腹と頭痛に耐えかねて起き上がった時、部屋のチャイムが鳴った。
健人だろうか。
淡い期待を抱いて玄関を開けた彼女の前に立っていたのは、健人でもこのかでもなく――。
「……ずいぶんな顔だな、Megu。看板娘がこれじゃ、[#傍点]商売[#傍点終わり]にならない」
冷たい笑みを浮かべた、タカシだった。
彼はめぐみの制止を無視して、土足同然で部屋に上がり込んだ。
「学校を休んだのはいいが、仕事は休ませないぞ。今夜、君の『地獄』を見たいファンが過去最多を記録している。……ほら、シャワーを浴びて、新しい蝶ネクタイをつけろ」
タカシの手が、めぐみの青白い首筋を乱暴に掴む。
その指先からは、昨夜の健人の拒絶よりも冷たい、ビジネスの匂いがした。
めぐみは、自分の心から何かが音を立てて死んでいくのを感じた。
健人くんが今、このかに触れていることも知らずに、彼女は再び「Megu」としての仮面を手に取る。
「……めぐじゃーにー」
鏡の前で囁いた毒薬は、もう自分を救うものではなく、自分を殺すためのものになっていた。
第11話をお読みいただきありがとうございました!
【次回予告】
第12話:チャンネル登録者40万突破記念配信
完全に壊れためぐみの配信は、皮肉にも熱狂的に受け入れられる。登録者数は40万を突破。記念の夜、彼女は「最高のファンサービス」として、カメラの前で……。一方、健人とこのかの間にも、後戻りできない変化が訪れる。




