035 だから手を伸ばして!
高く高く、手の届かない先へとシーニャが浮かんで上って行く。
それを成す術も無く見上げることしか出来ないマナ。
マナはそんなシーニャの姿を見ながら自分の事を嫌悪していた。
(バカ、馬鹿、ばかっ! なんであそこでためらった! どうして手を伸ばしきらなかったっ! どうしてっ!)
根底にあるのはシーニャへの恋心。それに影響されてシーニャに触れることが恥ずかしくなったことにある。
普段であればそれほど問題はなかったであろう。だが、こと命がかかることになるとそれは致命的となる。
そしてそれは現実になってしまった。
(アタシのバカ! 自分の勝手な気持ちでシーニャを危険にしてどうするんだ!)
浅ましくもドス黒い気持ちを抱いてしまった自分。
穢れの無い清らかな目を向けてくれるシーニャに対してそんな思いを向けるべきではないと、抑え込んできた気持ち。
それは全てシーニャの事を思うが故。
マナの想いとは裏腹に最悪の結果になってしまった。
――ヴィィィィ ヴィィィィ ヴィィィィ
今まで虹色に光っていたライトが一斉に赤色に染まり、静かだった巣の中に警報が響き渡る。
「なんなのこの音? まさかガーヴァルが来るの!?」
警報という概念を知らないマナ。
普通ならガーヴァル接近注意などという理由で警報が鳴るが、ここはそもそもガーヴァルの巣。わざわざ自分の接近に音を出したりはしない。
実際はこの音は獲物が罠にかかったことをガーヴァルに知らせる合図。
用途の予想は違っていたが、結果としてガーヴァルが来る事になるのは正しい。
今この巣のなかにガーヴァルがいなかったとしても、遠からず戻ってくるに違いない。
(シーニャがガーヴァルに……殺される?)
脅威が差し迫っている事を肌で感じたマナ。
頭の中に最悪な想像が広がる。
宙に浮いて身動きの取れないシーニャ。視界も広く、ガーヴァルに見つかって睨まれただけで体が爆散する。
そうでなくても太く圧倒的な力を持つ触手は人間の体を簡単に肉片に変えてしまう。動けないならなおの事。
(シーニャが……シーニャが……)
死と隣り合わせの旅。いつ、どこでもそうなってもおかしくはない。
だけどこれまでは死についてできるだけ考えずにいた。いや、考えたとしてもぼんやりと薄かった。隣にはシーニャがいたからだ。
笑顔を向けてくれるシーニャ。クルクルと踊るシーニャ。何かと引っ付いてくるシーニャ。
そんなシーニャが死ぬなんてことを考えたくないという頭が働いていた。
今、改めて大好きなシーニャを失うかもしれないと、マナは心で感じた。
(グズグズするなマナ! お前がグズグズ、うじうじしてるからこうなったんだ! まだグズグズうじうじするのか? そんな事をしてて本当に手遅れになったらどうするんだ?)
その瞬間、熱い想いがマナの胸の中で爆発した。
すでに起こしてしまった事実と葛藤。そして今の自分の不甲斐なさと引き起こされる未来。
それらが複雑に混ざり合って心の内から噴き出した。
(ダメだ。だめだだめだだめだっ! ガーヴァルになんて殺させはしない! 守る! 守って見せる! シーニャは渡さない! 私のシーニャなんだ! 誰にだって渡すもんか!)
いつの間にか涙が流れていた。
それを袖でぐっとぬぐう。
(へにゃっと笑うシーニャ……、ふふふ~と笑うシーニャ……、もうっ、って膨れた顔をするシーニャ……、おなかが減った顔のシーニャ……。)
沢山のシーニャ。いろんなシーニャの姿がマナの頭に浮かんでくる。
(シーニャ、シーニャ、シーニャ! シーニャ!!)
マナの頭の中をシーニャが埋め尽くす。
出会ってから今までのシーニャ。シーニャの全てが、全てのシーニャがマナの心を埋め尽くす。
(大好き。あたしの大好きなシーニャ。全部大好き。あたしはシーニャの事が好き! この気持ちに、もう嘘はつかないっ!!)
マナは思いを決めた。
大好きだと、シーニャの事が大好きなんだと伝えることを。
マナは空を睨みつける。
フワフワと浮かびながら小さくなっていくシーニャの姿。
とてもじゃないが手を伸ばして届く距離ではない。
だけどそんな事を言ってはいられない。
ガーヴァルに見つかる前にシーニャを助けなければならない。
「あの柱を使えば!」
近くには高く天井に向かって聳え立つ柱があった。
それは一辺が50センチ程度の四角柱。
ツルツル滑りそうな金属ではあるが、抱き着いて登ることはできそうだ。
思ったら行動はすぐ。
マナは柱に跳びつくと、両手両足を駆使して器用にその柱を登り始めた。
(シーニャ! 絶対に助けるから!)
マナが柱をよじ登るよりもシーニャの浮遊速度のほうが僅かに早い。
上を向いて必死に登って行くも、想い人の姿は小さくなる一方だ。
(大丈夫だ。どこまで登って行ったとしても天井で引っかかるはず。問題はこの柱がどこまで伸びてるのかだけど……んーん、必要ない事は考えない。今はただ登るだけ!)
頭に回すリソースをカットして体の動きに回す。
スッスッスと器用に四角柱を登って行くマナ。大木を登るようには行かないが、運動神経のよいマナならこの程度の柱は問題はない。
(シーニャ! 止まってる?)
マナはシーニャの姿が小さくなっていかないことに気づいた。
むしろ少しずつ大きくなっている。それはつまり浮かぶのが遅くなったか止まったことに他ならない。
チャンスだと思いスパートをかけるマナ。
「シーニャ! 待ってて!」
聞こえるかわからない。絶対に助けるからという思いを込めて叫んだ。
そして必死に柱を登る。
(ここが頂上!)
柱の頂上。50センチ四方の正方形。そこによじ登ると立ち上がり、自分の頭上のさらに上にいるシーニャを見上げる。
何らかの見えない力でシーニャは空中に固定されていた。
黄色い稲妻のような、磁力のような、マナにもシーニャにも分からない謎の力がシーニャを拘束している。
柱の上に立ち上がったマナからシーニャまでの距離は斜め上におおよそ5m。
「シーニャっ!」
マナは手を伸ばす。
(もう迷わない。この手でシーニャを取り返すんだ!)
「シーニャ! 手を伸ばして!」
お互いに手を伸ばせば、そうすればジャンプしたら届くかもしれない。
そんな中――
「あ、あれは、ガーヴァル!」
マナは視線の先にガーヴァルの姿を捉えた。
悪夢が現実となる時間が近づいているのだ。
「シーニャ! 手を!」
改めてシーニャへと呼びかける。
「シーニャ?」
だけど、必死の呼びかけにも関わらずシーニャの手は伸びてはいなかったのだ。
マナの声が聞こえていないのだろうか?
いや、声は聞こえている。
その証拠にシーニャは頭を左右に振ったからだ。
「……伸ばせないよ」
そしてシーニャは弱々しい声で一言そう言った。
「なんで! もしかして怪我したの!?」
「……違うよ」
「だったらなんで!」
「…………」
「シーニャ!」
俯いて無言のままのシーニャ。
マナの呼びかけにも応じない。
こうしている間にもガーヴァルは近づいてくる。
マナの想像してしまった悪夢が現実となってしまう。
マナの瞳に焦りが見え始める。
元々薄氷の上を行くような話だ。マナとシーニャが協力しあって初めてその上を渡り切ることが出来る。
だけど今は予想外の出来事が起こっている。
これまでも何度も予想外の出来事はあった。
だけどこれはまさに予想外の予想外。シーニャが手を伸ばしてくれないなんて、マナは考えもしなかったのだから。
マナの困惑した瞳。
それを見たシーニャはマナから目を逸らして……小さな声で理由を述べた。
「だって……。だって……もし手を伸ばしてマナが手を取ってくれなかったらって思うと……伸ばせないよ。……もし……、もし……手を握ってもらえなかったら……、もう、進めないから……」
「っ!!」
マナはハッと息を飲んだ。
シーニャの言葉は思いもよらなかったからだ。
自分の事だけで精一杯だったマナはシーニャの気持ちに気づけていなかった。そのことを今気づかされたのだ。
「だ、大丈夫だから!」
反射的にマナはそう叫んだ。
そう。大丈夫。マナはもう心を決めた。
先ほどまでの自分とサヨナラして、シーニャの手を取ることを決めたから。
だけどシーニャはそうではない。
「嘘を言わないで……。さっきだって……、ん~ん。さっきだけじゃない。その前も、ファッツさんの家でも、川のところでも……。出した手を握ってくれなかった……」
シーニャの言葉がマナの心に突き刺さる。
マナが恋心を自覚してからこれまでずっと。
それまではつないでいた手をつながなくなった。
シーニャから組み付かれていた腕をくまなくなった。
無意識のうちに一歩の距離を取るようになった。
全てはマナが「恥ずかしい」と思って、そうしてきたことだ。
(アタシが……アタシが、グズグズうじうじしてたのが、シーニャに嫌な思いをさせてたなんて……。アタシは馬鹿か!)
反省は早い。覚悟を決めたこともあって、これからの行動に戸惑いは無い。
だからそれを口にする。
「さっきはその、ちょっと恥ずかしかっただけ! もう大丈夫だから!」
「ウソだ!!!!!」
大きな拒絶の言葉が返ってきた。
シーニャの目には大粒の涙が浮かんでいる。
聞く耳を持ってもらえないほどに傷つけていた。涙を流させるまでに自分の信頼は失われていたのだと知った。
ここにきて、まだマナの心にためらいがあったのだ。
「聞いてシーニャ!」
「嫌だ! 聞きたくない!」
「アタシはシーニャの事が好きっ!!」
「えっ?」
「アタシはシーニャの事が好き。大好き!!」
「うそ……」
「嘘じゃない。大好き。子供の好きじゃないよ? 大人の好き。シーニャの事を大人の好きになっちゃったんだ。だから、こんなにグルグルどろどろした好きを持ってるなんてシーニャに知られたら傷つけてしまうから。嫌われてしまうから。そう思って我慢してた。手をつなぐことも、引っ付くことも、シーニャの顔を見ることも、あれもこれも避けてた。それがシーニャを傷つけていたのなら、悲しい思いをさせてたんだったら……ごめん。でも、だから分かったんだ。気づいたんだ。シーニャが大切なんだって。だからもう二度と離さないって決めたんだ!」
そこまで言い切って、マナはぐっと足に力をいれる。
「だから手を伸ばして! アタシの手を取ってっ!」
そしてシーニャに向かって思いっきり跳躍した。
狭い四角の柱の上から、広い世界へと飛び出し、手を伸ばした。




