天槍杭撃
俺は答えなかった。答える余裕もなかった。だが、カイルがそれを知っていても不思議ではない。
帝国軍の戦史に、重騎士の名は残っている。分厚い鎧を着て、重い盾を構え、味方の戦列の前に立つ騎士。
速くはない。華やかでもない。生還率も高くない。だが、魔族の大型獣が戦列を割ろうとした時、最後にそこへ立つのが重騎士だった。
逃げないためではない。後ろにいる兵士を逃がすために、そこへ立つ。重騎士の技は、敵を斬るためのものではなかった。
止めるためのものだ。突撃を止める。巨体を止める。崩れかけた戦線に、一本の杭を打ち込む。
その代表技が、天槍杭撃。戦気を槍先に集中させ、敵の中心ではなく、動きの流れそのものへ突き立てる。
氷河期戦争を生き残った重装兵の古い必殺技。だが、同時に代償の大きい技でもある。
「撃てるんですか」
カイルが聞いた。
「一度だけだ」
「なら、皆で道を作ります。何をすればいい」
昔のカイルなら、そんな言葉は言わなかった。少なくとも。俺の知っている未来のカイルなら。
「眼を逸らして、脚を止めてくれ。一秒でいい、右下の管を露出させろ」
アンジェが笑った。
「分かりやすいわ。一秒だけ、化け物の目をごまかせばいいのね」
セラが杖を握る。
「壁を消します」
「何?」
「アルゴスの眼は、塔の壁と通路の反響を使って位置を補正しています。兵舎跡の左壁の反響を三秒だけ消せば、視界がずれます」
「負担は」
「重いです。でも、できます」
アンジェが何か言いかけた。セラは先に言った。
「倒れません」
その声は弱かったが、意志はあった。アルゴスの眼が動く。こいつも学習している。フェイの地盤操作を避けるように、脚の置き方が変わった。ノアへ向いていた眼も、一つずつ点灯時間をずらしている。同じ手はもう長く効かない。次で決める。
「アンジェ」
「はいはい」
彼女が細剣を肩へ乗せた。
「世界で一番目立ってくればいいんでしょ? ちゃんと見てなさいよ」
「敵が見てる」
「あなたがよ!」
そう言ってアンジェが走った。《風踏み》が発動し雪を蹴る。今までで一番速い。正面。俺なら、普通は絶対に選ばせない進路だ。隠れない。避けない。青白い霜の中を、一本の光が走る。眼が動いた。真正面。アルゴスの八眼が一斉に動く。残った六つのうち四つがアンジェへ向いた。
「全眼、アンジェさんへ!」
セラが叫ぶ。アルゴスが完全に誤認した。最速。最接近。何度も眼と関節を攻撃している。
こいつが主攻だ。そう判断した。アンジェはわざと正面へ入った。細剣を胸部へ向ける。本当に核へ突き刺すように。
「来なさい!」
アルゴスの迎撃脚が二本。冷却針。観測光。全部が彼女へ集中する。
「セラ!」
《反響幕》が強く震えた。兵舎跡の左壁。そこだけ、音が消える。アルゴスの観測が一瞬乱れた。
「ノア!」
カイルの声だ。三本の矢が飛ぶ。一つ。二つ。三つ。外眼の外輪が砕ける。アルゴスの頭部が揺れた。
「フェイ!」
「沈めぇぇ!」
地面が崩れた。右前脚が一気に落ちる。関節まで。巨体が傾いた。胸部が開く。濃い青白い光。攻撃へ切り替わる。セラが叫んだ。
「右下! 開きます!」
循環管。残り三秒。だが。アルゴスの一本の脚が、突然、俺ではなく後ろの陣地へと伸びた。俺が何をするか分からなくても。退路を塞げばいいと判断した。
「ここは通さない!」
カイルが盾を構える。真正面ではない。俺から教わったように、半歩ずらす。脚を受けるのではなく、陣地の外へ流す。衝撃と共に盾が軋む。カイルの足が雪を滑る。それでも脚の先端は直撃しなかった。
「ロイドさん!」
カイルが叫ぶ。
「道は開いています!」
そ
の言葉を聞いて、俺は槍を構えた。古い帝国軍規格の槍。若い冒険者が使うような高価な特注品ではない。
飾りもない。だが、手に馴染んでいる。何度も修理し、何度も磨き、何度も死線を越えた槍だ。
戦気を流す。ただ一点、槍先へ。《戦域管制》が視界を変えた。雪。石壁。土壁。仲間の位置。アルゴスの眼。管路の脈動。赤黒い線。白い一点。敵の崩壊点だ。
アルゴスの脚が正面のアンジェへ襲いかかる。その直前、彼女の姿がぶれた。
「残念」
《幻歩》。金色の残像だけが直進する。金属脚が幻を貫いた。本物のアンジェは右側面。最後の観測眼の支柱を横から叩く。眼が外を向く。アルゴスの視界から完全に俺が消えた。
残り二秒。十分だ。俺は踏み込んだ。身体の奥で、古い戦場の記憶が燃える。氷河期の夜。砕けた城壁。仲間の叫び。撤退命令。置き去りにされた名前。全部を燃やすな。燃やすのは、一点だけ。
「天槍杭撃――」
槍の穂先に戦気が集まる。昔のような巨大な光ではない。細く鋭い杭の形をした戦気。
「フェニックス・ストライク!」
突き出した槍と一体になり、俺は空間を走った。青白い冷気を裂き、アルゴスの眼の隙間を抜け、右下の開いた循環管へ吸い込まれるように突き刺す。
一瞬。全ての音が消えた。次の瞬間、アルゴスの胸部制御核が内側から脈打った。
爆発ではない。逆流。冷却管を通っていた魔力が、杭を打たれた一点で詰まり、行き場を失って胸部へ戻る。八つの眼が同時に光り、そして順番に消えていく。
一つ。二つ。三つ。残った眼が、俺を見た。感情のない眼。それでも、最後の一瞬だけ、何かを記録しようとしているように見えた。アルゴスの脚が崩れる。
「全員、下がれ!」
カイルの声。ダグラスが盾で倒壊方向を見て叫ぶ。
「倒れるぞ!」
「フェイ、左へ寝かせろ!」
「やってます!」
フェイが地面を崩す。アルゴスの脚が沈み、巨体が兵舎跡とは逆側へ傾く。アンジェが飛び込み、残った支柱を一本切った。ノアの矢が最後の外眼を射抜く。
アルゴスの巨体が兵舎跡の外側へ倒れた。雪と石が舞う。冷気が爆ぜる。青白い霧が一瞬広がり、すぐに薄れていった。
胸の制御核には、杭の形をした戦気の跡が残っている。燃え尽きるのではなく、縫い止められたように。
だが、俺は槍から手を離さなかった。いや離せなかった。アルゴスの胸部で、青い光が小さく明滅している。完全には死んでいない。
槍が右下の冷却管に深く食い込んでいる。俺の天槍杭撃は、アルゴスを完全に砕いたわけではない。止めただけだ。
「セラ。反応は」
俺は低く呼んだ。セラは膝をついたまま、震える手で杖を胸に当てた。目を閉じる。耳で聞いているのではない。空気の震え、地面の鳴り、魔力の流れを拾っている。
「……止まっています」
「安全か」
「いいえ」
即答だった。
「ロイドさんの戦気と槍が栓になっています。抜けば反応が戻ります」
周囲の空気が変わった。勝った、という緩みが消える。全員の視線が、俺の槍とアルゴスの胸へ集まった。胸部の円環の奥。
青白い核片が、脈を打つように光っている。それは宝石のようにも見えた。だが、宝ではない。失敗すれば、俺たち全員を凍らせる爆弾だ。




