アルゴス戦
塔の入口を抜けた瞬間、夜明け前の冷気が顔を打った。
外へ出た。だが、助かったわけではない。旧兵舎跡は、すでに戦場になっていた。
フェイの土壁が半分崩れている。ダグラスが正面で盾を構え、塔から這い出してくる監視殻虫を必死に食い止めていた。ノアの矢が、塔の窓に浮かぶ青い目を射抜く。ミレアは微温結界の内側でリーネを守りながら、片手で銀杭を押さえている。
「戻ってきた!」
フェイが叫んだ。安堵と恐怖が、同じ顔に浮かんでいた。
「オルディンは?」
「死んだ。そして最悪の事態が起きた」
塔の内部から、低い音が響いた。石壁が震える。外壁の割れ目が広がる。
塔の上部が、内側から押し開かれるように歪んだ。青白い眼が、八つ。塔の闇の中に灯る。ダグラスが盾を握り直した。
「でかいな」
「でかいだけなら楽なんだがな」
俺は剣を構えた。アルゴスが出てくる。全身を見せる前に、まず長い金属脚が塔の裂け目から伸びた。
一本。二本。さらに四本。節の多い脚は、蜘蛛にも似ていた。だが、虫ではない。古代魔導機構。
炉を守るために作られた、天眼監視機獣。黒い装甲の胸部には、青白い円環がある。そこから冷気が流れ、空気中の雪を細かな霜へ変えていく。セラが膝をつきながら言った。
「胸の奥に核があります。でも、外からは届きません」
「眼は」
ノアが聞く。
「全部が本体じゃありません。外側の眼は観測用です。壊せば、冷却波の狙いが乱れます」
「なら、眼だな」
ノアが矢を番えた。
「待ってくれ」
俺は止めた。ノアの指が止まる。アルゴスの八つの眼は、こちらを順番に見ていた。ノア。フェイ。ダグラス。ミレア。カイル。セラ。俺。そしてアンジェ。三つの眼が、彼女の動きに合わせて止まった。
「セラ。こいつは何を見てる」
セラが目を閉じる。杖先の《反響幕》が細かく震えた。
「動くもの……です」
「詳しく」
「速いものほど、追っています。アンジェさんが姿勢を変えただけで、三つの眼が一緒に動きました」
やはりか。防御機構なら当然だ。敵を平等には見ない。炉心へ到達する可能性が高いもの。自分へ最短で接近できるもの。それらを優先して監視する。つまりこいつにとって、今一番危険に見えるのは――。
「アンジェ。これからはお前が主役だ」
アンジェが眉を上げた。
「珍しいこと言うわね」
「正確には、そう思わせる」
彼女の表情が変わった。
「……アルゴスに?」
「ああ」
俺は八つの眼を見る。
「お前が一番危険だと信じ込ませる」
アンジェは一瞬黙った。そして、細剣を構えた。口元に小さな笑み。
「いいわ。そういう役、嫌いじゃない」
カイルは剣を構える。
「ロイドさん、全体の指示を」
「カイル。お前は微温結界と退路を守れ」
彼の顔が一瞬だけ変わった。前へ出たい。オルディンを止められなかった責任。アルゴスを起こさせた怒り。それらが、彼を前に押している。だが、俺は言った。
「ここが抜かれたら、リーネが死ぬ。ミレアも死ぬ。回収した資料もなくなる。俺たちがここに来た意味が全部消える」
カイルは短剣を握りしめた。そして、頷いた。
「わかりました。ここは、私が守ります」
ようやく出た言葉だった。責任者の言葉。
「それでいい」
俺は全員へ声を飛ばす。
「ダグラス、正面で受けるな。アルゴスの脚を兵舎の外へ誘導するんだ」
「任せろ!」
「フェイ、土壁は高くするな。足を取る低い壁と、沈む足場だ。戻る道は塞ぐな」
「はい!」
「ノア、外側の眼を射て。全部狙うな。光った眼から落とせばいい」
「了解」
「ミレア、結界を維持しろ。冷却障害が出たら指を見ろ。色が白から青へ変わった奴を戻せ」
「分かりました」
「セラ、冷却波の前兆を拾え。核を開く瞬間があれば言え」
セラは杖を握った。顔は青い。だが、声は残っている。
「拾います」
アルゴスが塔から半身を出した。八つの眼が一斉に動く。空気が凍る。
「来ます! 右から冷却波!」
「伏せろ!」
白い波が走った。土壁の上部が一瞬で霜に覆われる。フェイが歯を食いしばり、杖を地面へ叩きつけた。
「沈め!」
アルゴスの右前脚の下で、雪と土が崩れた。脚が半歩沈む。その半歩で、冷却波の線がずれた。ミレアの微温結界の手前で、白い霜が止まる。
「助かったわ」
ミレアが短く言う。
「まだです!」
フェイの声が裏返る。だが、手は動いている。次の土壁。次の足場。火球ではない。地味な土の操作が、全員の命を支えている。
ノアの矢が飛んだ。一つ目の外眼が割れる。アルゴスの頭部がわずかに傾く。
二本目。三本目。青い光が砕けるたび、冷却波の狙いが少し粗くなる。
だが、止まらない。金属脚が兵舎跡へ突き込まれた。ダグラスが盾を斜めに構える。金属脚の先端が盾を擦り、火花と霜を散らしながら横へ逸れる。
「重いな、こいつ!」
ダグラスが身体を右に捻る。二本目の脚が土壁へ突き刺さり、フェイの作った低壁を砕いた。
「直します!」
「全部直すな。通す場所を作れ!」
フェイは壊れた壁をそのまま利用し、足元に浅い窪みを作る。アルゴスの脚がまた沈む。
そこへアンジェが走った。左側面から、一気に接近。細剣が青い眼の支柱を切る。一つ。二つ。三つ目に行きかける。
「戻れ!」
俺は叫んだ。アンジェは舌打ちしながら身を引いた。直後、彼女がいた場所に冷却針が降る。地面に白い花が咲いた。
「危なかったわね」
アンジェが息を吐くと同時に、アルゴスの胸部が開きかける。円環の奥に、より濃い青い光が見えた。セラが叫ぶ。
「ロイドさん……見えます!」
「何がだ」
「胸の核に、魔力が集まる前に、一瞬だけ下の管が開きます。たぶん、冷却と攻撃を切り替えるための圧抜きです」
「場所は」
セラは杖を震わせ、アルゴスの胸ではなく、右下腹部の奥を指した。
「ここです。でも、外からは見えません。脚の影に隠れていて……眼が三つ、守っています」
そこか。俺にも見えた。赤黒い死線の中に、一点だけ白く抜ける場所。アルゴスが冷却光を撃つ直前、右下の循環管が開く。時間は短い。せいぜい三秒。いや、二秒。
そこに攻撃すれば、胸の制御核へ逆圧が走る。だが、爆発させるのではない。止める。核ごと吹き飛ばせば、第二層も、塔も、救助者も巻き込まれる。壊すのではなく、制動する必要がある。
「準備する」
俺は言った。アンジェがこちらを見る。
「何を?」
「天槍杭撃」
その名を口にした瞬間、カイルの表情が変わった。
「その技は……まさか……!」




