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封じられた第二層

 塔の内部は、さっきよりも冷えていた。石壁の奥で、低い振動が続いている。

 

 音というより、骨に触れる震えだった。足裏から膝へ、膝から腹へ、腹から胸へ上がってくる。眠っていた巨大なものが、地中でゆっくり呼吸を始めたような感覚。

 

 アンジェは左側面、セラは中央で杖を握っている。顔色はまだ悪い。だが、地下へ向ける目だけは鋭かった。

 

 「音が下へ落ちています」

 セラが言った。

 

 「雨水槽の奥です。扉が……開いています」

 「主起動印なしで?」

 カイルが低く言う。

 

 「補助認証片だけで、扉を動かしたんだろう」

 俺は答えた。

 「正規の開き方じゃない。だから、炉が不安定に鳴っている」

 

 セラが頷いた。

 「はい。眠っていたものを、無理に起こしている音です」

 

 階段を下りる。地下第一層の空気は、さらに重くなっていた。水の匂い。錆の匂い。冷えた魔力の臭い。

 さっきまでは眠っていた管路が、いまは細く青く光っている。完全に起きてはいない。だが、死んでいたわけでもない。刺激を受けて、神経だけが目を覚まし始めている。

 

 「壁に触るな。床の光っている線も踏むな。何が起こるかわからない」

 

 アンジェが舌打ちする。

 「足場がどんどん減るわね」

 「減った足場で進むのが仕事だ」

 「簡単に言うわね」

 「簡単じゃないから、お前がいる」

 

 アンジェの足が一瞬だけ止まりかけた。

 「……今そういうこと言う?」

 「事実だ」

 「だから困るのよ」

 

 だが、彼女の動きは乱れなかった。むしろ、少しだけ鋭くなる。左の壁際。右の水溜まり。天井の管路。アンジェは踏める場所だけを選び、俺たちより半歩先の危険を拾っていく。

 雨水槽へ向かう通路には、オルディンの足跡が残っていた。雪ではない。水と霜の上に残った靴底の跡だ。迷っていない。一直線に、水槽奥の金属扉へ向かっている。

 

 「これではっきりとしました。オルディン殿は本当に知っていたんですね」

 カイルが言った。

 

 「ああ、知らない場所へ向かう足取りじゃない。知らないふりをしていただけだ」

 俺は答えた。カイルの拳が握られる。

 

 「僕は、あの人を中央に置きました。確認もしました。それでも抜けられた」

 「今は悔やんでいる時ではない。対応を考えるんだ」

 

 カイルは息を吐いた。

 「はい」

 

 雨水槽の扉は、開いていた。黒い水が、さっきよりも深く見える。円形の水槽室の奥。巨大な金属扉は、半分ほど開いていた。扉というより、地中に埋まった獣の顎が、無理やりこじ開けられたようだった。扉の縁から青白い霜が伸び、床の水を凍らせている。

 

 扉中央の窪みには、何もない。主起動印はカイルの証拠袋の中だ。だが、扉の側面に小さな認証孔が開いていた。そこに、薄い金属片の欠けた跡がある。

 

 「補助認証片……」

 カイルが呟く。セラが扉の前で膝をついた。

 

 「ここから入っています。補助側から無理に開けています。正面の認証じゃなくて、保守用の細い穴から」

 「閉じられるか」

 「今は無理です。中から炉の音が引っ張っています」

 「分かった」

 

 俺は水槽室の壁を確認した。ここから先は、地図にない場所だ。マロニエの地図にすら、輪郭しかなかった場所。

 

 「入ろう。アンジェ、先に飛ぶな。足場を見てから進め」

 「分かってる」

 「セラ、音を拾いすぎるな。必要な線だけでいい。カイル、オルディンを見つけても斬るな。まず止めるんだ」

 

 カイルは一瞬だけ目を閉じ、開いた。

 「ええ、止めてみせます」

 俺たちは、第二層へ入った。


 第二層は、第一層とはまるで違っていた。そこは地下通路ではなかった。巨大な機械の内側だった。

 

 床は石ではなく、黒い金属板。壁には無数の管路。天井には輪のような魔導機構が重なり、青白い光がゆっくり巡っている。

 

 冷気がある。だが、同時に熱もあった。肌は凍えるのに、肺の奥だけが熱を吸わされるような感覚。

 

 普通の炉ではない。燃やしているのではなく、奪っている。周囲の熱、魔力差、地の底から上がる力。それらを集め、冷却し、圧縮し、また流す。

 

 古代魔導炉。いや、リーネの言葉を使うなら、冷却炉心管理区画。帝国が喉から手が出るほど欲しがるもの。そして古代文明が、簡単には触れさせないよう封じたもの。セラが小さく呻いた。

 

 「音が多すぎます……」

 「必要なものだけ拾え」

 

 彼女は杖を胸に抱え、目を細めた。

 「正面の奥。大きな炉心。右側に人の足音。左奥に……動かない人」

 「ハルムでしょうか」

 

 カイルが言った。リーネが口にした名前。第二層奥で死んだ調査員。そして、監督官の記録片を隠した可能性がある人物。

 

 俺たちは左奥へ寄った。黒い金属板の床に、男が倒れていた。資源局の防寒服。胸元の識別札には、ハルム・セクトとある。年は三十前後。身体は凍っていた。

 

 だが、監督官のように胸を貫かれたのではない。壁際まで這った跡がある。指先は黒く変色し、爪が剥がれていた。

 

 最後まで何かを隠そうとしたのだろう。炉心制御盤の下。リーネの証言。俺は制御盤の下を探った。凍った血の跡。金属板の隙間。そこに、小さな記録片が差し込まれていた。監督官の記録片。いや、監督官から奪ったものかもしれない。カイルが震える手で受け取る。

 

 「読めますか」

 「表面だけなら」

 

 セラが杖を近づける。記録片の表面に、淡い文字が浮いた。

 『第二層存在確認済』

 『炉心、部分反応あり』

 『主起動印、監督官管理』

 『補助認証片、資源局本隊同行者管理』

 

 カイルの顔が青ざめる。資源局本隊同行者。つまり、オルディンだ。セラは続けた。

 『起動可能性確認を優先』

 『救助判断、現地状況により封鎖へ切替』

 『強制補助起動時、防御機構作動の危険』

 『天眼監視機獣アルゴス――』

 

 文字はそこで欠けていた。だが、十分だった。十分すぎた。カイルは記録片を証拠袋へ入れた。

 手が震えている。怒りだ。恐怖だ。自分たちが最初から、炉の確認作業に使われていたという事実への怒り。

 

 「遺体は」

 カイルが言いかけた。

 

 「運べない。今は記録を持ち帰る」

 俺はハルムの死体を見た。

 「遺体を背負えば、生きている奴が死ぬ」

 

 カイルは目を伏せた。苦い判断だ。だが、飲むしかない。

 「……はい」

 

 彼はハルムに向かって、短く頭を下げた。

 「記録は持ち帰ります」

 

 その言葉に意味があるかは分からない。死者は返事をしない。だが、生き残った者が自分を保つには、必要な言葉というものがある。

 

 その時、右奥から金属音が響いた。がん、と。何かが制御盤へ押し込まれる音。セラが顔を上げる。

 

 「右奥。炉心前です」

 「行くぞ」

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