監視塔への突入
旧監視塔の内部は、外から見たよりも静かだった。
崩れた入口を抜けると、まず古い詰所があった。壁には錆びた槍掛け。床には割れた陶器と、凍りついた木片。かつて兵士が寝起きしていた場所なのだろう。だが、人の生活の匂いは残っていない。
あるのは、冷えた石と古い鉄の匂い。そして、地下からゆっくりと上がってくる、湿った魔力の臭いだった。
「まず、外と連絡線を繋ごう」
俺はセラを見た。
「入口と兵舎跡に反響針を打てるか」
「はい。ただ、塔の中は音が吸われるので、細かい会話は難しいと思います」
「合図だけでいい」
セラは頷き、腰の小袋から細い杭を取り出した。フィンが作った反響針。
銀導線を巻いた小さな杭だ。彼女はそれを入口内側の石壁の隙間へ差し込み、軽く杖で叩いた。澄んだ音が鳴る。
「合図は届くか?」
「短く叩けば、兵舎の反響針へ届きます。一回で無事、二回で負傷者。三回連続なら即時撤退です」
「それでいこう」
俺は入口の外へ振り返った。崩れた兵舎跡では、ダグラスたち四人が防衛位置についている。出発前なら、誰か一人くらいは「中に入らなくていいのか」と不満を漏らしていたかもしれない。
だが、今は違う。塔の入口が餌場だと見た後では、外を守る意味を理解せざるを得ない。
「これから探索を始める。ここから先は、何か見つけても、勝手に触るな。罠の可能性がある」
カイルが頷く。
「了解しました。全員、ロイド殿の指示に従ってください」
アンジェが軽く細剣の柄に触れる。
「私も?」
「お前は特にだ」
「信用がないわね」
「速い奴は、失敗も速い」
「……言い返しにくいことを言うの、やめてくれる?」
セラが少しだけ笑いかけたが、すぐに表情を引き締めた。彼女は杖を床に近づけ、目を閉じる。
「下に空間があります。塔の真下だけじゃありません。横へ広がっています」
「地下倉庫ですか」
カイルが問う。セラは首を横に振った。
「倉庫にしては、反響の音が硬すぎます。木材ではなく、金属が多いです」
オルディンが穏やかに言った。
「旧軍施設には、補給倉庫や雨水貯蔵槽が併設されることがある。北方施設なら、凍結対策の金属配管も珍しくはない」
「補給倉庫に、塔全体へ通る魔導管は必要ないでしょう」
俺は壁を見た。石材の奥に、青白い線が細く走っている。ただの配管ではない。まるで塔そのものが、何かの蓋として使われているようだった。
詰所を抜けると、床に資源局の測量杭が残っていた。新しいものだ。杭の頭に赤い印。その横に、石粉で書かれた矢印。調査隊がつけたものだろう。だが、途中から矢印が乱れている。
最初は規則正しく入口へ戻る方向に刻まれていた。だが、奥へ行くほど、誰かが慌てて削り直したように、線が二重三重に重なっている。
「迷ったのかしら」
アンジェが言った。
「違うな」
俺はしゃがみ、矢印の削れ方を見た。
「最初は入口への道を示している。だが途中から、別の誰かが行き先を書き換えている」
カイルの顔が険しくなる。
「調査隊の中で意見が割れた?」
「あるいは、違う方向に進ませようとした奴がいた」
オルディンは何も言わなかった。黙るのが早い。それだけで、こちらの疑いは増える。
地下へ降りる階段は、詰所の奥にあった。軍施設の階段にしては幅が広い。荷を運ぶためのものではない。もっと大きなものを、上から下へ、あるいは下から上へ動かすための広さだ。石段には、凍った血が点々と残っていた。
「新しいですね」
カイルが低く言う。
「数日前だ」
俺は答えた。血痕は階段を下りている。戻ってきた跡はない。
「行くぞ」
地下第一層へ降りる。空気が変わった。冷たい。ただの寒さではない。身体の表面ではなく、関節の内側から熱を抜かれるような冷気だった。
壁には古代文字。床には薄く水が張り、天井には錆びた管が通っている。
だが、その管の一部はまだ生きていた。青白い光が、ゆっくり脈を打っている。
「この施設、完全には死んでいません」
セラが言った。
「下で何かが眠っている感じです。まだ起きてはいません。でも、こちらが触れば反応します」
「触るなと言った意味が増えたな」
アンジェが小さく息を吐く。
「こういう場所、本当に好きじゃないわ」
「好きな奴がいたら困る」
オルディンがわずかに視線を逸らした。好きではない。だが、欲しがっている。そんな目だった。
第一層の通路を進むと、途中に破れた調査記録が落ちていた。水を吸って端が崩れている。オルディンが拾おうとしたので、俺は手で止めた。
「迂闊に触るなと言ったでしょう」
セラが杖先で紙を動かし、アンジェが短剣の先で乾いた部分を広げる。読める文字はわずかだった。
『地下第一層、予定より低温』
『雨水槽奥に金属扉』
『監督官、記録不要と指示』
『第二層――』
そこで紙は破れていた。カイルの指が、剣の柄を強く握る。
「第二層……」
依頼書にはない。ギルドの地図にもない。だが、調査隊はそこまで書こうとしていた。
「オルディン殿。この記録について、心当たりはありますか」
「現地調査中の一時記録だろう。混乱時には、未確認情報が書かれることもある」
「監督官が記録不要と指示した、とあります」
「ただの断片だ。文脈が分からん」
「便利ですね、文脈という言葉は」
カイルの声に、わずかに怒りが混じった。オルディンは微笑を崩さない。
「現場判断を誤らないために、断片だけで決めつけるべきではない」
「では、断片を増やしましょう」
カイルは紙を証拠袋へ入れた。良い判断だ。怒りを剣に乗せず、紙に残す。マロニエが見たら、皮肉混じりに褒めるだろう。
通路の先で、床が沈んでいた。水が溜まり、足場が悪い。その向こうに、古い帝国軍の標識があった。
『雨水槽』
その文字だけはかろうじて読める。セラが目を閉じた。
「この奥に、大きな空間があります。それと、金属の扉。かなり厚いです」
「監督官達は恐らくそこへ行ったな」俺は言った。「血も測量杭も、そっちへ向かっている」
アンジェが細剣を抜く。
「罠は?」
「あると思え」
雨水槽の扉は半分開いていた。冷気が漏れている。中は円形の大きな空間だった。
中央に黒い水が満ちている。壁際には細い通路。その奥に、巨大な金属扉がある。扉の表面には、古代文字と、渦巻く管路の紋様。
ただの水槽の奥にあるものではない。ここが、この塔の本体へ続く場所だ。そして、その扉の前に人が倒れていた。
資源局の制服。年配の男。胸元には監督官章。
「監督官……」
カイルが呟いた。
「止まれ」
俺は手を上げた。
「死体に見えるものは、罠でもある」




