監視塔
雪は、午後に入ってから強くなった。細かい雪だった。
大粒ではない。だが、風に乗って横から吹きつけ、外套の縫い目や鎧の隙間へ入り込んでくる。道の輪郭は少しずつ曖昧になり、丘陵の稜線も白く霞み始めていた。
俺たちは、隊列を崩さずに進んだ。
先頭のダグラスは、もう無闇に前へ出ない。盾を半分上げたまま、足元と斜面を見ている。カイルはその隣で、前方だけでなく時折後方へ視線を送るようになっていた。
フェイは杖を握る手に力を入れたまま、黙って歩いている。
先ほどの戦闘で、火球を撃とうとした自分が何をしかけたのか、まだ腹の底で消化している途中なのだろう。少しだけ慎重になる。悪いことではない。
ノアは尾根を見ていた。右、左、後方。視線が無駄に泳がない。ミレアは全員の歩幅と呼吸を見ている。誰かが遅れれば、すぐに気づくだろう。
セラは中央前で、杖先の反響幕をかすかに震わせていた。アンジェは左側面を歩いている。たまに前へ出たそうな気配を見せるが出ない。
混成隊は、少しずつ隊になり始めていた。だが、それはまだ薄い氷の上にある。
「見えたぞ」
先頭のダグラスが低く言った。全員の足が止まる。雪の向こう。丘陵の切れ目に、黒い影が立っていた。
旧監視塔。塔というより、折れた槍のようだった。
上部は半ば崩れ、片側の壁は大きく裂けている。石造りの外壁には蔦が張り付き、雪が積もって白く縁取られていた。かつて見張り窓だった穴は、暗い目のようにこちらを向いている。
塔の手前には、低い石壁と、崩れた兵舎跡が広がっていた。
屋根は落ち、壁は腰の高さまでしか残っていない。兵舎の間には古い道具置き場、壊れた井戸、雪に埋もれた荷車の残骸が見える。
その向こうに、監視塔の入口があった。黒い口。雪の中で、そこだけが妙に暗い。
「思ったより、残っているわね」
アンジェが言った。
「外側だけだ」俺は答える。「内側は分からない」
カイルが地図を広げる。
「旧記録では、塔内部に地上一階、地下第一層。地下は物資倉庫と退避室、雨水槽。調査隊の最終連絡も地下第一層からです」
オルディンが頷いた。
「その通り。異常な冷却反応を確認したとの連絡後、通信が途絶えた。救助対象が地下にいる可能性は高い」
俺はオルディンを見た。
「可能性、ですか」
「断定はできんよ」
「だが、地下へ行かせたいのでは」
オルディンは微笑んだ。
「救助のためには、避けられない」
相変わらず、言葉だけなら正しい。だから信用しない。
「セラ、塔の音を拾えるか」
セラは目を閉じた。杖先の膜が震える。風の音。雪の音。古い石壁に当たって返る音。セラの表情が、少しずつ曇っていく。
「塔の中……反響が変です」
「どう変だ」
「広い場所と狭い場所が、重なって聞こえます。外から見える塔の大きさより、音が深いです」
マロニエの地図が頭に浮かぶ。地図にない地下第二層。下層管理廊。冷却循環部。
「地下に空間があるか」
「あると思います。でも……普通の地下室ではありません」
セラは杖を抱え直した。
「音が、下へ吸われています」
カイルが言った。
「警戒して進みましょう。まずは塔の外周確認。調査隊の痕跡を探します」
今度は悪くない判断だった。俺は頷く。
「入口へ直行するな。外周を半円で確認する。ノアは塔の上部。フェイは足元。ダグラスは崩れた兵舎跡を見る。ミレアは血痕と荷の位置を確認しろ」
カイルが一瞬こちらを見る。命令を被せられたと感じたのだろう。だが、すぐに頷いた。
「その通りに。全員、動きます」
隊が広がる。広がりすぎない距離。声が届き、弓が届き、走れば助けに入れる距離。俺は最後尾ではなく、少し中央へ出た。ここからは、退路だけでなく全体の形を見る必要がある。
塔へ近づくほど、空気が冷たくなった。ただの冬の冷えではない。肺へ入る空気が、内側から熱を削るような冷たさだ。
「冷却反応だ」
オルディンが言った。声に、わずかな熱が混じっていた。怖がっている熱ではない。興味だ。
「やはり、まだ残っている」
「嬉しそうね」
アンジェが冷たく言う。
「資源局の人間としては、原因を確認する必要がある」
「救助のために?」
「無論だ」
アンジェは、それ以上言わなかった。塔の手前、雪に半ば埋もれた荷車が見つかった。資源局の印が入っている。
車輪は片方が折れ、荷台は横倒しになっていた。中身は荒らされている。測量杭、破れた布袋、折れた木箱。雪の上には、古い血の跡が黒く残っていた。ミレアが膝をついて確認する。
「血痕は複数。古いです。三日以上は経っています」
「死体は」
「見当たりません」
ダグラスが周囲を見る。
「引きずった跡がある」
塔の入口へ向かって、雪の上に浅い溝が残っていた。人間を引きずった跡。ただし、一人分ではない。
「調査隊が中へ逃げたか、何かに運ばれたか」
カイルが言う。
「どちらにせよ、塔内部の確認が必要です」
オルディンが静かに付け加えた。
「急いだ方がよろしい。冷却反応下では、生存者の体温低下が早い」
「分かっています」
俺は荷車の周囲を見た。足跡は乱れている。調査隊のもの。護衛のもの。そして、それ以外。細い爪跡。小さな足跡。
「ノア。この跡が見えるか」
ノアがしゃがみ込み、雪の上を見た。
「細い。軽い。数が多い。昆虫みたいだ。それに」
ノアは顔を上げた。塔の外壁。崩れた窓枠。屋根の陰。何もいない。いや、いないように見える。
「……嫌な感じだ」
ノアが呟いた。
「それでいい。嫌だと思った場所を覚えておけ」
その時だった。塔の上から、声が聞こえた。
「――助けてくれ」
全員が動きを止めた。風が止んだわけではない。だが、その声だけが、雪の中を真っ直ぐ降りてきた。
「誰か、いるのか!」
カイルが塔を見上げる。
「助けてくれ……下だ……地下に……」
声は男のものだった。かすれている。弱っている。救助を求める声。ダグラスが盾を上げ、塔の入口へ向かおうとする。
「待て」
俺は言った。ダグラスの足が止まる。カイルが振り返る。
「ロイドさん、生存者かもしれません」
「セラ」
俺はセラを見た。彼女は顔を青ざめさせていた。だが、恐怖ではない。違和感を聞いた顔だ。
「人間の声ではありません」
セラが言った。カイルの表情が変わる。
「何?」
「確かに、人の声に似ています。でも、息を吸う音も、吐く音もありません。喉も震えていない。同じ振動が繰り返されています」
アンジェが低く呟く。
「偽物ってこと?」
塔の上から、また声がした。
「助けてくれ……助けてくれ……」
フェイの顔が強張る。ミレアは唇を引き結んだ。救助依頼で、この声は悪質だ。聞けば、急ぎたくなる。急げば、足元を見る余裕がなくなる。
「古代の音響装置……」
オルディンが言った。声は落ち着いている。むしろ、興味深そうだった。
「録音された音声を再生している可能性があるな」
「知っていたんですか」
俺が聞くと、オルディンは首を振った。
「いや。ただ、古代施設には侵入者誘導のための音響罠が存在することがある」
「それを救助依頼の説明に入れなかった理由は?」
「今回の監視塔に存在するとは確認されていない」
確認されていない。また便利な言葉だ。
「カイル。入口へ直行するべきではない。罠の可能性が高い」




