急襲
街を出て半刻ほど経っていた。道の両側には、枯れた草地が広がっている。ところどころに、古い戦争の名残が残っていた。半分埋もれた杭。崩れた土塁。錆びた鉄片。黒く焦げた木の柱。その上を、薄い霜が覆っている。
魔界氷河期戦争から、まだそれほど時間は経っていない。戦争は終わった。そう帝国は言った。
だが、土地は雄弁に物語っている。焦げ跡は残る。骨は埋まる。壊れた防壁は、そのまま風に晒される。そして、戻ってきた者たちだけが「通常の社会生活へ復帰せよ」と言われる。笑える話だ。土地の方が、人間より正直だった。
「ここ、本当に昔の戦場なのね」
アンジェリーナが小声で言った。
「そうだな」
「あなたも、ここで?」
「近い場所では戦った」
正確には、この旧監視塔区域そのものではない。だが、北方の防衛線はどこも似ていた。凍った泥。血の匂い。雪煙の向こうで揺れた、長い銀髪。こちらへ伸ばされた手。届かなかった指先。白い闇の奥へ消えていく背中。
『あなたは生きて帰って、ロイド』
誰の声だったのか、忘れたことなど一度もない。忘れられるはずがなかった。だが、その先を思い出す前に、現実に引き戻された。
「ロイドさん。カイルさん」
前方からセラの声がした。小さいが、はっきり届く。彼女の表情は硬い。
「右の斜面、音が返ってきません」
俺は足を止めた。全員が止まるより一拍早く、ダグラスが盾を半分上げる。カイルは前を向いたまま、こちらを振り返りかけた。
「音が返らない?」
カイルが聞く。
「はい。雪が深いだけなら、もう少し鈍く返ります。でも、あそこは……吸われています」
街道の右手には、雪を被った緩い斜面が続いている。低木が数本。その奥には、戦争中に掘られた古い塹壕の跡がある。風は吹いている。左の枯れ草は擦れ、外套の裾も揺れている。だが、右斜面の枝葉が擦れる音だけがなかった。
「セラ。そのまま右の音を拾え。アンジェ、左へ半歩寄れ。隊列からは離れすぎるな」
「調べないの?」
「向こうがこちらを見ているなら、止まった時点で警戒されたと教えることになる」
敵がいるとは限らない。古い塹壕や空洞によって、音の返り方が変わっているだけかもしれない。だが、戦場では異常を見つけた時点で、異常ではなかったと証明されるまで警戒を続ける。何もないと思って死んだ兵士を、俺は何人も知っている。
俺たちは隊列の速度を崩さず、そのまま進んだ。右斜面の低木から、雪が落ちた。一つ。少し離れて、もう一つ。
風に落とされたのではない。何かが、俺たちと同じ速さで斜面を移動している。俺は街道脇の泥へ目を落とした。雪の下に、深い爪痕があった。
四足。大型。複数。俺たちとの距離を保ったまま、北へ伸びている。
「襲うつもりなら、すぐにでも距離を詰めるはずよね」
アンジェリーナも気づいたらしい。
「ああ」
「じゃあ、何をしてるの?」
俺は前方を見た。街道はこの先で狭くなる。右には崩れた土塁。左には雪解け水の溜まった低地。そこへ隊列が入れば、横へ展開する余地がなくなる。
「場所を選んでいる」
前方のカイルが振り返った。
「何かありましたか?」
「足跡だ。四足の魔物。複数。進行方向と並走している」
カイルは少し眉をひそめた。
「道中に低級魔物がいることは想定内です。必要以上に隊の足を止めるべきではありません」
「低級とは限らない」
「足跡だけで断定はできないでしょう」
「だから警戒しろと言っている」
フェイが小さく笑った。
「重装ってのは、慎重なんだな」
ダグラスも肩をすくめる。
「まあ、退役兵ならそんなもんか。昔の戦場を思い出したんだろ」
こいつらはわかっていない。臆病。戦場では、悪い言葉ではない。怖がらない者から死ぬ。警戒しない者から食われる。臆病を馬鹿にする者は、臆病者に拾われた命の数を知らない。カイルは少し考えた後、隊列を進める判断をした。
「警戒は継続。ただし、進行を優先します。日没前に旧第三監視塔付近まで到達する必要があります」
日没前。その言葉に、俺は小さく息を吐いた。時間目標は必要だ。だが、時間に追われると、地形を見る目が鈍る。
戦場でもそうだった。日没前に砦へ入れ。夜明け前に補給線へ戻れ。鐘が鳴るまで持ちこたえろ。そういう命令は、現場の変化を無視しやすい。俺はアンジェリーナとセラへ小声で言った。
「警戒度を上げる。いつでも対応できるようにしておけ」
セラが杖を握る。
「音、拾います」
「頼む」
風が少し強くなる。枯れ草が擦れ、乾いた音を立てる。その音の中に、ほんのわずかに別の音が混じった。湿った土を踏む、重い足音。セラの顔色が変わった。
「います」
「方向は」
「左……でも、音が変です。反響して……数は三、いえ、五……もっとかもしれません」
俺は正面を見る。隊列はちょうど、右側に崩れた土塁、左側に低地を抱える場所へ入ろうとしていた。まずい。そこは挟まれる。
「止まれ!」
俺は声を上げた。カイルが振り返る。
「何ですか」
「そのまま進むな。左右から来る」
「何も見えませんが」
「見えてからでは遅い」
カイルの返答より早く、右側から雪を蹴る音がした。続いて、低く歪んだ遠吠え。音が幾重にも重なり、前後左右から同時に聞こえる。隊列の何人かが、反射的に背中合わせになった。方向感覚を奪われている。
次の瞬間。左の低地から黒い影が飛び出した。魔物だ。響き角狼。俺は名を思い出す。角の内部に空洞を持ち、遠吠えと足音を反響させて、獲物の方向感覚を狂わせる狼型の魔物だ。単体ではそこまで強くない。だが、雪原や谷間では厄介になる。
敵を崖へ誘導する。足場の悪い場所へ追い込み、群れで襲いかかる。
「左から四!」




