オルディン・レーン
応接室の扉の前には、見慣れない男が立っていた。灰色の外套。腰には剣ではなく、細い革の書類筒。胸元には、円環と三本線の資源局章。護衛には見えない。
だが、立ち方が警備兵に近い。俺たちの手元より、肩と腰の動きを見ている。
「面会は――」
男が言いかけた。マロニエが横から、軽く手を振る。
「依頼を受ける予定の冒険者だ。こいつらに会わせないで誰に会わせる」
男の目が細くなる。俺はその前へ出た。
「条件を聞きに来た」
「条件?」
男は一瞬、馬鹿にしたように笑った。
「君たちはEランクだと聞いている」
「そうだ」
「なら、余計なことを考える必要はない。与えられた依頼を果たし、相応の報酬を得ればいい」
アンジェリーナの指が、細剣の柄へ近づく。俺は横目で止めた。ここで剣を抜く必要はない。こういう相手は、こちらが怒るのを待っている。
怒れば、未熟な冒険者になる。声を荒げれば、扱いにくい若者になる。そして紙の上では、相手の方が正しくなる。
「それは依頼じゃない」俺は言った。「命令だ」
男の顔から笑みが消えた。
「緊急事態だ。言葉遊びをしている場合ではない」
「だからこそ、契約を厳格にする」
俺は扉を見た。
「中へ通してくれ。話は担当官とする」
しばらく沈黙が続いた。やがて男は、苛立たしげに扉を開けた。
「五分だ」
「十分いる」マロニエが言った。「お前らの依頼書は、読むだけで五分以上かかる」
応接室の中には暖炉があった。火は強い。だが、部屋の空気は温かくなかった。
中央の卓には、北方の地図、封蝋された命令書、参加者名簿、資源局の正式依頼書が並べられている。
卓の奥には、三人の男が座っていた。
一人はオルディン・レーン。北方資源局の役人。年齢は四十前後。細身で、背は高い。黒に近い灰色の髪をきっちり後ろへ撫でつけ、濃紺の官服には北方資源局の徽章が留められている。
二人目は五十代半ば。短く刈った白髪交じりの髪。太い首。濃褐色の上着の胸には、冒険者ギルド支部長章が留められている。顔には古い傷が一本。ノーマン。この街の冒険者ギルド支部長だった。
そして三人目は、カイル・ヴァーレン。濃紺の上着。肩と襟に、ヴァーレン家の銀糸。腰には飾りの多い細剣が下がっている。背筋だけは真っ直ぐで、こちらを値踏みするような目をしていた。カイルは俺を見ると、わずかに眉を上げた。
「初めまして、ロイド殿。まさか、この任務でご一緒するとは思いませんでした」
言い方は丁寧だった。だが、その声には、前世で聞いたのと同じものが混じっている。お前のような人間が、ここへ来るのか。そういう響きだ。
「カイルも参加するのか」
俺が聞くと、カイルは軽く顎を上げた。
「ええ、今回の臨時救出隊では、僕が現場責任者を務めますので」
「そうか」
「あなた方にも補助班として同行していただきますが、あくまで全体の指揮は僕が取ります。そこは誤解のないようにお願いします」
相変わらず癇に障る性格だった。だがここで噛みつく必要はない。誰が指揮官かは紙の上で決めるものだ。誰の指示で人が生き残るかは現場で決まる。今はまだ、紙の上の話をすればいい。
「それで構わない。ただし、指揮権と責任範囲はちゃんと書面に残してもらう」
カイルの表情がわずかに強張った。
「ずいぶん慎重ですね」
「慎重な方が帰って来る時、死体は減る」
「慎重な隊の方が、帰還時の人数が多い」
ノーマンの口元が、ごく僅かに動いた。笑ったのかもしれない。エルナが静かに書類を開いた。
「それでは、確認を始めましょう。今回の緊急依頼は、旧監視塔区域に入った資源局調査班の救助です。調査班は五日前、旧監視塔に到着。三日前の夕刻に定時連絡を最後に消息を絶ちました」
彼女は手元の依頼書を開く。
「調査班は五名。測量士二名、魔導技師一名、資源局監督官一名、護衛冒険者一名。最終連絡では、監視塔地下第一層に異常な冷却反応を確認した、とあります」
冷却反応。俺は内心でその言葉を繰り返した。昨日の地図にあった文字。《冷却循環部》。線が一本、繋がる。俺はオルディンに尋ねた。
「救助対象は五名で間違いありませんね」
「ああ」
オルディンが頷く。
「生存している可能性は不明だが、資源局としても可能な限り救助を望んでいる」
「可能な限り。便利で愁傷な言葉だな」
マロニエが、壁際から言った。オルディンが眉をひそめる。
「あなたは?」
「ロイドの契約補佐だ」
「契約補佐?」
ノーマンが答えた。
「冒険者側は一名まで私的補佐人の同席を認めている。本件では私が許可した」
オルディンの目がノーマンへ向く。支部長が認めている以上、それ以上は言えない。マロニエは楽しそうに笑い、卓へ近づいた。
「ありがたいね。じゃあさっそく仕事をするか」
マロニエは卓へ近づき、一枚の契約書を抜き取った。
「第三条。『任務中に発見された古代遺物、魔力結晶、記録媒体、および付属資材は、すべて帝国北方資源局へ帰属する』。まあ、これはいい」
ページをめくる。
「第六条。『任務行動中に生じた損害について、受託者は自己責任を負う』。これも、危険依頼ならありがちだ」
さらに、ページをめくる。マロニエの指が止まった。
「第八条。『現地での指揮判断及び撤退判断は、資源局同行者の承認を必要とする』」
ノーマンの目が細くなった。カイルも書類へ目を落とす。
「エルナ。この条項とギルド規約は?」
「競合します」
エルナは即答した。
「ギルド標準契約では、危険区域における緊急撤退判断は現場責任者、または現場責任者が判断不能の場合、最上位の戦闘担当者へ委任されます」
オルディンが淡々と言う。
「現地には重要な資源局資産があります。無秩序な撤退を防ぐための措置だ」
マロニエは追及した。
「救助より資産の回収が優先されるわけですね」
「そうは言っていない」
「だが、書いてある」ノーマンは契約書を指した。「ロイド。現場側から見て、この条項の何が問題だ」
俺は契約書へ目を落とした。
「撤退には、適切な時機があります」
全員の視線が集まる。
「敵の数が増え始めた時。地形が崩れ始めた時。魔力低下が限界へ近づいた時。その時点なら撤退は可能です」
少し間を置く。
「ですが、そこを過ぎてから撤退の判断をしても、今度は撤退じゃありません」
「何になる?」
ノーマンが聞く。
「敗走です」
部屋が静かになった。
「許可を待つ数分で、退路が消えることもある。そうなれば救助者も救助対象も両方死にます。死んだ後に残るものだけ回収するなら、最初から救助依頼と書くべきではありません」
オルディンの目が初めて俺へ向いた。
「Eランクの冒険者に、契約上の判断を求めてなどいない」
「俺もあなたに戦術判断を求めていません」
空気が凍る。アンジェリーナが、俺の背後で息を止める気配がした。オルディンの視線が冷える。
「言葉を選びたまえ。ロイド君。君は今、帝国の機関と話している」




