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人生の転機

 転機は、その一週間後に来た。昼過ぎ、ギルドホールは妙に騒がしかった。

 普段なら依頼帰りの冒険者たちで混み始める時間だが、その日は受付奥の職員たちの動きが慌ただしかった。書類が行き交い、何人かの上位冒険者が呼び出されている。

 

 壁際では、若手冒険者たちが噂していた。

 「北の方で魔物が出たらしいぞ」

 「またかよ」

 「高ランク勢がまとめて呼ばれてるってさ」

 「じゃあ、こっちの依頼はどうなるんだ?」

 

 俺はその会話を聞きながら、掲示板の前に立っていた。北。その言葉だけで、背中の奥が冷える。北方。魔界氷河圏。戦争の記憶。凍った泥。魔物の群れ。十五歳の俺たちが放り込まれた場所。アンジェリーナが隣に来た。

 

 「何かあったみたいね」

 「ああ」

 

 セラも不安そうに受付の方を見る。

 「高ランクの方たちが、皆さん奥へ……」

 

 ギルド奥の扉が開いた。出てきたのは、エルナだった。彼女は俺たちを見つけると、一瞬だけ迷った顔をした。

 そして、真っ直ぐこちらへ歩いてくる。その表情を見た瞬間、俺は分かった。良い知らせではない。

 

 「ロイドさん。少し、お時間ありますか」

 エルナは声を落とした。

 「何があった」

 

 彼女は周囲を見回し、さらに声を低くする。

 「緊急依頼です」

 

 その言葉で、心臓が一度強く鳴った。緊急依頼。一度目の人生の最後の日。雪山で死ぬ前、俺が最後に受けようとした依頼。

 「内容は」

 

 俺の声は、自分でも驚くほど低かった。エルナは書類を胸に抱えたまま言った。

 「境界圏北部、旧監視塔区域で、帝国北方資源局の調査隊が未帰還になりました」

 

 空気が止まった気がした。アンジェリーナが眉をひそめる。

 「旧監視塔区域って、戦争時代の?」

 「はい」

 

 セラの顔色が変わる。

 「魔力異常が強い場所です……」

 

 俺はエルナの持つ書類を見た。赤い緊急印。記憶と同じ色。だが、違う。時期が違う。一度目の人生でこの依頼が俺の前に現れたのは、三十四歳の終わりだった。

 

 今は二十歳。十四年も早い。いや、本当に早いのか?

 一度目の俺が知らなかっただけで、異変はこの頃から始まっていたのかもしれない。

 

 低ランクのD冒険者だった俺には、上位案件の詳細など回ってこなかった。ギルドの掲示板に貼られる頃には、事態が悪化しきっていただけかもしれない。

 

 「危険度は?」

 俺は聞いた。

 

 「現時点では、C級相当の可能性あり。ただし、正確な情報が不足しています」

 「高ランクは?」

 「北方の魔物発生対応で、主力が出払っています」

 

 アンジェリーナが腕を組む。

 「嫌な感じね」

 「ああ」

 

 俺は短く答えた。高ランクがいない。情報が不足している。官製依頼。旧戦場。未帰還調査隊。危険な依頼の条件が揃いすぎている。エルナは続けた。

 

 「ギルドは臨時混成隊を編成する方針です。上位が不足しているため、Dランク以下からも補助要員を出す可能性があります」

 

 アンジェリーナが目を細める。

 「補助要員って、便利な言い方ね」

 「危険な場所に低ランクを連れていく時の言い方だ」

 

 俺が言うと、エルナは苦しそうに視線を伏せた。

 「……ロイドさんたちにも、候補として名前が上がっています」

 

 セラが小さく息を呑む。アンジェリーナは意外そうに眉を上げた。

 「私たちが? まだ低ランクよ」

 「低損耗での連続達成実績があります」

 

 エルナは俺を見る。

 「それに、環境術、機動前衛、戦術判断。旧監視塔区域のような不安定地形では、有効な組み合わせだと判断されました」

 

 俺は黙った。正しく見られ始めた。それは喜ぶべきことなのかもしれない。

 

 だが同時に、制度は有用な人間を危険な場所へ送る。一度目の人生で嫌というほど見た。価値を認められることと、大切に扱われることは違う。使えると判断された人間は、使われる。問題は、どう使われるかだ。

 

 「ロイドさん」

 エルナの声が、少し震えていた。

 「まだ正式決定ではありません。断ることもできます」

 

 一度目の彼女も、同じような顔をしていた。断ってもいいのよ。そう言った。だが、あの時の俺には次がなかった。

 

 今は違う。二十歳。Eランク。仲間がいる。時間もある。断れる。そのはずだった。

 

 だが俺は、旧監視塔区域という言葉から目を逸らせなかった。そこには、一度目の人生の最後に繋がる何かがある。

 

 未帰還調査隊。魔力異常。北方資源局。そして、魔界氷河期の影。

 

 この依頼は、ただの高危険任務ではない。俺の二度目の人生が、なぜ始まったのか。この世界で何が起きているのか。その端に触れる可能性がある。アンジェリーナが俺を見た。

 

 「受けるの?」

 セラも、不安そうにこちらを見る。俺はすぐには答えなかった。受けるなら、三人を危険に晒すことになる。

 

 一度目の俺なら、自分一人で行くと言ったかもしれない。自分が殿をやればいい。自分が危険を引き受ければいい。そう考えたはずだ。だが、それでは同じだ。今度は、一人で抱えないと決めた。

 

 「情報を集めよう」俺は言った。「受けるかどうかは、その後だ」

 

 エルナはほっとしたように息を吐いた。

 「はい。資料を用意しておきます。ギルド終業前にまた来てくれますか」

 

 アンジェリーナは少し笑った。

 「意外。即決するかと思った」

 「即決で死ぬやつを見てきた」

 「また重い」

 

 セラが小さく言った。

 「でも……その方が、安心します」

 

 俺は二人を見た。アンジェリーナ。セラ。未来で折れるはずだった才能たち。

 そして、俺自身。氷河期世代の退役兵。一度死んだ男。旧監視塔区域。そこへ行けば、何かが変わる。だがその前に、準備がいる。

 

 情報。契約。退路。役割。記録。生きて帰るための全部だ。

 

 俺は赤い緊急印の依頼票を見た。血のような色だった。一度目の人生では、その赤が俺の終わりへ繋がった。

 今度は違う。終わりにしない。俺は静かに息を吸った。肺はまだ痛まない。手も震えていない。そして、隣には二人がいる。

 

 「エルナ。旧監視塔区域の過去記録を見たい。戦争時代の地図もだ」

 

 エルナは頷いた。

 「用意します」

 「契約条件も。補助要員扱いなら、責任範囲を曖昧にさせるな」

 

 エルナの目が少し鋭くなった。

 「分かっています」

 

 アンジェリーナが呆れたように言う。

 「戦う前から書類の話?」

 「戦う前だからだ」

 

 俺は答えた。

 「ここで負けると、戦場に着く前に詰む」

 

 セラが杖を握り直した。アンジェリーナは少しだけ真剣な顔になった。

 

 ギルドホールの喧噪の中、赤い緊急依頼票だけが、妙に鮮やかに見えた。次の戦場は、旧監視塔区域。俺が知っているはずで、まだ知らない場所。

 そしておそらく、この二度目の人生で最初の大きな分岐点だった。

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