指揮の失敗
卓へ近づくと、剣士の男がこちらを見た。
「何だよ」
俺は答えず、セラの前に置かれた依頼報告書を見た。討伐対象は、洞窟内の小型魔物《石噛み鼠》。数は八。討伐そのものは達成。だが、負傷者二名。素材損耗あり。報酬減額。
パーティー構成は、剣士、弓使い、火力魔術師、環境術師。なるほど石噛み鼠は暗所を好む。硬い牙で革装備や木製の道具を噛み砕く。単体では弱いが、洞窟内で群れると厄介だ。
視界が悪い。音が反響する。足場が不安定。本来なら、セラの能力が最も活きる依頼だった。
それで負傷者二名。セラのせいというより――。
「この依頼」俺は報告書を指差した。「洞窟内で戦ったのか」
剣士が眉を上げる。
「だったら何だよ」
「隊列は?」
「前衛が前。弓と魔術師が後ろ。普通だろ」
「石噛み鼠はどこから出てきた」
「左右の穴からだよ。だから面倒だったんだ」
「セラはどこに配置した」
剣士が一瞬だけ詰まった。
「後ろだよ。術師なんだから。教本通りだ」
俺はセラを見る。彼女は俯いたままだった。膝の上で、細い指が杖を握っている。その足元に、大きな背負い袋が置かれていた。濡れた革。泥のついた底。紐の一部が擦り切れている。俺は袋を指した。
「これは誰の荷物だ?」
セラの肩が小さく震えた。
「あの……私が……」
「中身は?」
彼女は迷いながら、袋の口を少し開いた。予備松明。水袋。採取袋。解体用の小道具。
替えの弦。火力魔術師用の予備触媒。さらに、討伐した石噛み鼠の素材まで入っている軽くはない。少なくとも、細身の術師に洞窟内で持たせる重量ではなかった。
「全部、お前が持ったのか」
「……はい」
「戦闘中も?」
セラは少しだけ唇を噛んだ。
「最初は……背負ったままでした」
俺は剣士を見る。
「環境術師に、洞窟で荷物持ちをさせたのか」
男の顔に苛立ちが浮かぶ。
「火力ないんだから、それくらいするのが普通だろ」
弓使いも鼻を鳴らした。
「誰かが持たなきゃならねえんだよ。前衛は盾と剣。俺は弓と矢筒。こいつは魔法を撃つための触媒がある」
火力魔術師が腕を組む。
「セラは杖一本でしょ。だったら荷物くらい持てるじゃない」
なるほど。筋は通っている。少なくとも、本人たちの中では。
「石噛み鼠が左右から出た時、セラはどうした」
剣士が面倒そうに答える。
「だから、後ろから術を使わせたよ」
「すぐに?」
「は?」
俺はセラを見る。彼女は小さく首を振った。
「……荷物を降ろしてから、杖を持ち直しました」
「何秒かかった」
「分かりません……」
「鼠は待ってくれたか」
セラは答えなかった。答える必要もなかった。俺は剣士へ向き直る。
「お前たちは、一番最初に異常へ気づける奴を最後尾へ置いた。そいつに、共同装備をまとめて背負わせた」
剣士の顔が険しくなる。
「だから何だよ」
「それで、役に立たなかった?」
俺は静かに言った。
「セラの運用法を理解してないだけだ」
「何だと?」
「環境術師は火力役じゃない。後ろへ置いて『何とかしろ』で働く職じゃない」
俺は報告書を指す。
「洞窟での依頼なら、環境術師に最初にやらせる仕事は索敵だ」
セラを見る。
「左右の横穴。足音。反響。松明の影。敵が隠れられる場所」
次に剣士を見る。
「戦闘が始まる前にこちらにとって有利な環境を作る」
「そんなことできるわけ――」
「できるか?」
俺はセラへ聞いた。突然振られ、彼女の目が大きくなる。
「え……」
「石噛み鼠が穴の奥で動けば、聞き分けられるか」
しばらく沈黙。それからセラが小さく言った。
「……近ければ。足音そのものは小さいです。でも……岩の穴だと、爪が擦れる音が返ってきます」
「数は?」
「正確には……でも、右と左くらいなら」
「十分だ」
セラが顔を上げた。俺は続ける。
「敵が出る前に『右から来る』と分かれば、前衛はそちらへ盾を向けられる」
アンジェリーナが横で腕を組みながら聞いている。
「弓も最初から狙えるわね」
「ああ」俺は頷く。「魔術師も詠唱を始められる」
魔術師の女が口を開きかける。だが、言葉は出なかった。俺はセラへ聞く。
「パーティーの足音を、別の穴から聞こえるようにできるか」
「……できます」
今度の返事は、少し早かった。
「近距離なら。完全には消せませんけど、方向をずらすくらいなら」
「それで十分だ」
剣士が苛立った声を出す。
「だから、そんな地味なことをやって何になるんだよ!」
「敵が間違った穴から飛び出す。前衛が待っている場所へな」
剣士が黙る。
「敵の視界も欺瞞出来ます」
セラが、今度は自分から言った。全員が彼女を見る。セラはびくりとした。だが、続けた。
「松明があるなら……影を少し動かせます」
「どのくらい?」
俺が聞く。
「一歩くらいの距離なら、長時間でも」
「それだけあれば十分だ」
俺は言った。
「魔物が前衛の盾を一歩外して飛び込む。そこを剣で落とす」
アンジェリーナが小さく息を吐く。
「それなら、かなり楽ね」
俺は剣士たちを見る。
「お前たちの依頼は、本来そういう楽な戦いが出来るはずだった」
剣士の拳が握られる。
「知ったようなこと言いやがって……」
「報告書に全部書いてある」
俺は淡々と答えた。
「負傷者二名。素材の大半は損耗。討伐時間は予定の倍」
指で紙を叩く。
「洞窟内で左右から挟撃されている。セラを後方に置いたまま、視界と音の操作範囲を指定していない。つまり、お前たちは環境術師を連れていながら、環境を一切作っていない。典型的な指揮の失敗だ」
剣士の顔が赤くなる。
「てめえ――」
「そこまでです」
静かな声が割って入った。エルナだった。
受付カウンターから出てきた彼女は、書類を抱えたままこちらへ近づいてきた。栗色の髪が肩の上で揺れる。表情は穏やかだが、目は仕事のそれだった。
「ギルド内での暴力行為は、規定により査定減点対象です。依頼報告に異議がある場合は、口頭ではなく書面でお願いします」
剣士が舌打ちする。
「……もういい。行くぞ」
弓使いと火力魔術師も、面白くなさそうな顔で立ち上がった。去り際、魔術師がセラに言う。
「次からは別のパーティー探してね。私たち、無能なやつは入れる余裕ないから」
セラの肩が小さく震えた。三人はそのままギルドを出ていった。ホールに、気まずい沈黙が残る。だが、すぐに周囲は元のざわめきへ戻った。冒険者たちは他人の揉め事に長く興味を持たない。明日は我が身だからだ。セラは椅子に座ったまま、俯いていた。




