初めてのコンビ結成
戦いが終わった後後、アンジェがようやく足を止めた。肩で息をしている。外套の端は裂け、頬には細い傷がある。俺は少し離れた場所で、剣の血を拭っていた。しばらく、どちらも喋らなかった。そして、アンジェが俺へと視線を向けた。
「……あなた、何をしてるの」
俺は手を止めた。
「剣の手入れだ。軍用規格品はちゃんと整備すれば、長く使える」
「誤魔化さないで」
彼女は顔を上げた。淡い青の目が、真っ直ぐ俺を見ている。
「……さっきの路地。あなたは追うなって言ったわ」
「ゴブリンが突っ込んできた時も、あと二歩って言った。あたしが止まる場所も、あの石が落ちる場所も、全部分かっていた」
アンジェリーナは唇を噛む。
「どうして?」
俺は剣を鞘へ納めた。言うべきか少し迷った。まだ自分でも、この力、《戦域管制》が何なのか分かっていない。
人生をやり直した代償なのか。死ぬ寸前に聞いた女の声が残したものなのか。それとも、戦場で壊れた頭が見せる幻なのか。だが、アンジェリーナには説明しなければならない。これからも一緒に戦うなら。
「死線が見える」
アンジェリーナが瞬きをした。
「……死線、何それ?」
「敵の攻撃。味方が死ぬ場所。踏み込めば追い込まれる地形。そういうものが、頭の中で赤黒い線みたいに見える。俺はそれを死線と呼んでる」
「未来予知ってこと?」
「違うな」俺は首を振った。「未来が見えるわけじゃない。このまま動けば、誰がどこで死ぬか。その可能性が濃い線として見えるだけだ」
アンジェリーナは黙って聞いている。俺は路地裏を見た。
「お前が昨日、ぬかるみに踏み込んだ時も見えた。膝から地面へ伸びる線が」
アンジェリーナの手が、膝の上で止まる。
「……だから、あんなふうに言ったの」
「ああ」
「今朝も?」
「見えていた」
彼女は少しだけ顔をしかめた。怒っているというより、自分の知らない場所を見られていたことが落ち着かないのだろう。
「そんな便利な力があるなら、最初から言いなさいよ」
「悪かった」
「謝るんだ」
「見たくて見ているわけじゃない」
俺は少し間を置いた。
「それに見えても、助けられるとは限らない」
アンジェリーナが、俺を見る。
「どういう意味?」
「死線が見えても、俺の指示が間に合わなければ終わる。敵が多すぎれば、結局は物量で押し切られる。そもそも、味方が指示を聞かなければ、意味はない」
俺は拳を握った。
「見えていたのに助けられない。それが一番きつい」
アンジェリーナは、しばらく何も言わなかった。やがて、膝から手を離す。
「じゃあ、あたしが速ければいいのね」
俺は彼女を見る。
「何?」
「あなたが指示して、あたしが刺す」
彼女は少しだけ笑った。
「それなら、あなた一人で全部助けなくて済む」
その言葉に、俺は少しだけ目を細めた。アンジェは、困ったように笑った。
胸の奥が、少しだけ詰まった。一度目の人生では、誰もそんな言い方をしなかった。皆、俺が前に立つのを当然だと思っていた。受けろ。残れ。耐えろ。お前は重装だから。
アンジェリーナは続ける。
「……今日は、あなたを信じたわ。止まれって言われた時も。右鎖骨の下を刺せって言われた時も」
「ああ」
「でも、次はもっと早く言って。死ぬ道のこと」
俺は少し考えた。それから頷く。
「分かった。黙っていてすまなかった」
アンジェは、鐘楼の方を振り返った。
「それにしても、あの鐘。普通じゃないわよね」
「ああ。後で調べる価値がある」
俺たちは鐘楼の足元を調べた。地面へ埋め込まれた金属板。青銅の導線。古びた受信片。そして、鐘の内側に刻まれた文字。
ただの鐘ではない。ただのゴブリンの巣でもない。俺は鐘の青銅を見上げる。前の人生で、ここに何があったのか。俺は知らない。だが、知らないまま通り過ぎた場所にも、未来を変える種は埋まっているのかもしれない。
「ロイド、戻るわよ」
アンジェが呼ぶ。
「ああ。今度こそ、ちゃんと帰ろう」
俺は鐘楼へ背を向けた。死ぬ道を消し、生きて帰る。それが、二度目の人生で俺が選んだ戦い方だった。
夕方、俺たちはギルドへ戻った。受付の前に立つと、エルナが驚いた顔をした。
「ロイドさん、アンジェリーナさん。もう戻られたんですか?」
「終わった」
俺は布に包んだ鐘を、カウンターへ置いた。指揮個体の首から外したものだ。黒ずんだ青銅。小さな鐘がいくつも繋がっている。
エルナはそれを見て、すぐに表情を引き締めた。
「鐘鳴きゴブリンの指揮個体……?」
「群れの統率源だった」
「討伐数は?」
「二十前後。正確には分からない。指揮個体を落とした後、残りは散った」
「負傷は?」
「なし」
エルナの羽ペンが止まった。
「なし、ですか?」
「ああ」
「お二人だけで、Dランク下位相当の変異群を?」
アンジェが横から言う。
「ロイドが、敵の戦術を予測して作戦を立てたの」
エルナが少し驚いたように俺を見る。
「あたしは、攻撃の指示を教えてもらっただけ」
「アンジェだから届いた」
俺が言うと、アンジェは少しだけ顔を背けた。
「……当然でしょ。あたしは誰よりも早いから」
「そうだな」
「そこで笑わないで」
「笑ってない」
「笑ってるわ」
エルナは二人を見比べてから、くすりと笑った。そして、依頼書へ丁寧に書き込んでいく。
討伐数。指揮個体の撃破。村落跡地の安全確認。帰還時の負傷者なし。それらを、一つずつ。見えない戦果が、紙の上に残っていく。
「報酬は、通常の討伐分に加えて、変異群の統率機構を確認した追加評価がつきます」
エルナが言った。
「それと……負傷者なし、という点も記録しておきます」
「そこまで書く必要があるのか?」
俺が聞くと、エルナは真剣な顔で頷いた。
「あります。討伐数だけでは、何が上手くいったのか分かりませんから」
俺は少しだけ黙った。前の人生では、こういうことを書いてくれる人間はいなかった。倒した数。回収した素材。報酬。それだけだった。誰が無傷で帰ったか。誰が壊れずに次へ進めるか。
そんなことは、誰も数えなかった。だが、今は違う。少なくとも、エルナは残そうとしている。
「エルナにはいつも助けられているな。ありがとう」
俺が言うと、彼女は少しだけ目を丸くした。
「いえ。事実ですから」
依頼の処理を終え、俺たちはギルドを出た。外はもう暗い。街灯の魔導灯が、石畳を淡く照らしている。
アンジェは少し先を歩いていた。だが、数歩進んだところで止まった。振り返る。
「ねえ、ロイド。一回だけ、共同依頼を受ける約束だったでしょう」
「そうだな。俺との約束はこれで終わりだ。晴れて自由の身だな」
「でも、次の依頼を受けないとは言ってないわ」
俺は黙って彼女を見る。アンジェは、壊れた制動環の残骸を手のひらに乗せていた。煤けた部品。派手でもない。高級品でもない。けれど、今日、彼女の足が壊れる前に機能した部品だ。
「フィンの工房にもまた行きたいし」
アンジェは言った。
「この《錨踏み》っていうの。ちゃんと使えるようにしたい」
「まだ完成してない」
「なら完成させればいい」
彼女は笑った。昨日までの、勝つことだけを考えていた笑顔とは少し違う。前へ進むためだけではない。次も戻ってくるための笑顔だった。
「あなたが見る」
アンジェが言う。
「あたしが刺す。あたしたちいいコンビになれそうじゃない?」
俺は頷いた。
「そうだな」
夜の街を、二人で歩き出す。俺は死ぬ道を消す。アンジェは、誰にも届かない一点へ届く。そして、二人とも生きて帰る。それが、俺たちの最初の共同依頼だった。




