アンジェリーナ
訓練場は冬の朝にも関わらず熱気に満ちていた。ギルド裏手の石造りの広場。地面には無数の剣傷。砕けた石。乾ききらない血痕。
ここは冒険者たちが模擬戦や戦術訓練を行う場所だった。依頼への出発前、各冒険者の力量確認が行われることがある。事故防止。建前はそうだ。実際には、新人たちの品評会に近い。
「次!」
教官の男が怒鳴る。元帝国兵らしい巨漢だった。頬に古い裂傷が走っている。
「アンジェリーナ・ヴァーミリオン!」
空気が揺れた。観客席代わりの石段で若い冒険者たちが身を乗り出す。
「来たぞ。噂の高速剣士」「貴族学校の首席だっけ?」
俺は腕を組みながら、その中心へ視線を向けた。アンジェリーナがゆっくり前へ出る。
軽装革鎧。腰のレイピア。重装主体のこの時代では、明らかに異質な装備だった。
盾がない。胸甲も薄い。代わりに、脚部の装備だけが妙に洗練されていた。彼女の靴底に埋め込まれた魔力導線は、安物ではない。銀の細線が幾重にも重なり、踏み込みと加速に特化した術式が組まれている。《風踏み》と呼ばれる高級加速具だろう。
「対戦相手!」
呼ばれて現れたのは、若い重装兵だった。大型盾。厚い胸甲。軍用長剣。俺と同じ典型的な旧式前衛。
戦争帰りだろう。まだ二十代前半だが、目の奥には既に疲労が沈んでいた。男はアンジェリーナを見るなり、露骨に眉をひそめる。
「……女かよ。触っただけで吹っ飛びそうだな」
周囲で小さな笑いが起きた。アンジェリーナは気にした様子もない。ただ退屈そうに首を傾げる。
「始め!」
教官が叫んだ。次の瞬間だった。アンジェリーナが消えた。
「——は?」
重装兵が間抜けな声を漏らす。いや、消えたように見えただけだ。速かった。異常なまでに。
アンジェリーナは低く滑るように踏み込み、一瞬で相手の側面へ回り込んでいた。剣閃。乾いた音。重装兵の肩当てが吹き飛ぶ。
「なっ——!」
男が反応する前に、二撃目。すかさず三撃目。
盾の死角だけを正確に突く。まるで水流だ。硬い岩へぶつかるのではなく、隙間を縫うように流れ、そして刺す。
それが今のアンジェリーナの戦い方だった。周囲が沸く。
「速え!! 全然見えなかったぞ!?」
俺は黙って彼女を見ていた。胸の奥に、冷たいものが落ちる。完成している。軍事革命というトレンドを無意識のうちに先取りしている。
避ける。流す。当たる前に殺す。それが次世代戦術。アンジェリーナは、それを既に体現していた。重装兵が怒鳴りながら踏み込む。
「ちょこまかと!!」
大振りだ。戦場帰りらしい実直な斬撃。だがアンジェリーナは半歩で避ける。本当に半歩だった。無駄がない。そして避けざま、膝へ一撃。重装兵の体勢が崩れる。次の瞬間、細剣の切っ先が喉元へ突き付けられていた。
「……終わりかしら?」
アンジェリーナが小さく言った。静寂。その後、一気に歓声が爆発した。
「すげぇぇぇ!!」「完封だ!」「マジで速すぎる!」
若い冒険者たちの目が輝いている。新しい英雄を見つけた目だ。一方で、石段後方のベテランたちは苦い顔をしていた。
「……一発貰えば終わりだろ、あんな軽装」「実戦じゃ長生きできねえよ」
古い兵士たちの反応は冷たい。だが俺は、そのどちらにも与しなかった。若手は正しい。だが旧世代も完全に間違っているわけではない。そこが厄介なのだ。
アンジェリーナは歓声を浴びながら訓練場を降りる。その途中、彼女は俺の前で足を止めた。
「……あなた、さっきから変な顔してるわね」
青い瞳が真っ直ぐこちらを見る。
「私の戦い方、嫌い?」
俺は少し考えた。それから正直に答える。
「いや、強いと思ってる。まさに新時代の戦い方だ」
アンジェリーナは一瞬きょとんとした。予想外だったらしい。周囲のベテランたちは露骨に否定していたからだ。
「……ふうん? でも、あなたの装備は真逆じゃない」
彼女は探るように俺を見る。
「ああ」
「なら、なんで?」
俺は訓練場を見ながら言った。
「保険だ。戦場ってのは、作戦通りに進むとは限らない」
アンジェリーナが眉をひそめる。
「お前の戦い方は正しい。だが、事故が起きた時に脆い」
「事故なんか起こさなきゃいいでしょ」
即答だった。若い。俺は苦笑する。昔の自分たちもそうだった。訓練で上手くいけば、実戦でも上手くいくと思っていた。
だが現実は違う。戦場は壊れる。視界不良。乱戦。誤認。不意打ち。そういう事故が起きた瞬間、回避主体は一気に脆くなる。俺はその未来を知っていた。
「……そのうち分かるさ。俺の言葉の意味が」
俺はそれだけ言った。アンジェリーナは不満そうな顔をする。
「変なの。まあ、いいわ。精々あなたも頑張って」
彼女が立ち去ると教官の声が響いた。次の試合だ。周囲の視線がこちらへ集まった。
「次、ロイド・クレイヴァー!」




