第3話
肉が食べたい!
痺れを切らしたのはラフィーネではない。リクの方だ。
転移して最初の夜に食べたステーキ以降、魚以外の肉は口にしていなかった。
現状をサバイバルとしてみれば、魚が安定して手に入るだけでも上出来と言えるが、リクは食に煩い日本人である。
対してラフィーネの方は、フットヒルパーチの塩焼きと少しのご飯が盛られたワンプレートを幸せそうに食べている。
ついでに言えば、ほんのり辛みがアクセントの野草を刻んだ薬味に、醤油をひと回し。
大変よろしいザ・朝食である。
そう、美味しいは美味しいのだ。
しかしこの舌が求めていた。肉の香りを、脂を、芳醇な旨味を!
欲しいと思った以上、聞くしかあるまい。
「なぁラフィーネ」
「もくっ、もくっ——なに?」
どうして食べる手を止めさせる? 言いたげな表情だったが構わず続ける。
「この辺で獣か他の魔物とかっていないのか?」
その内聞こうと思っていた。
森林地帯など普通に考えれば獣といくらでもエンカウントしそうだが、この森に来てリクは一度も見ていない。
ラフィーネは切り身をまた一口頬張りながら、周囲をぐるりと見渡す。
「いないよ。私がいれば近くに来ないから。あんぜん!」
危険度SSSは伊達じゃない……
「やっぱりかぁ~」
頭を抱えたリクに、プレートをほぼ平らげたラフィーネは首を傾げる。
順を追って聞いてみると、出会った少し前までのことが分かって来た。
リクが転移した日の数日前に、北の魔族領から移動してきたラフィーネもこの森に滞在し始めたらしい。
人間は滅多に訪れないし、自身の気配も遮断していないので、寄ってくる獣や魔物は皆無だった。
そんな中、彼女の気配が満ちるテリトリーにリクは転移してきて、しばらく様子を伺っていたとの事だ。
リクは強者の気配を感じられるほど野生の勘があるわけでもないし、一方で熊や猪みたいな獣が草木を揺らす音も一切聞こえなかった。
ラフィーネと出会うまでに、あまり危機を感じなかったのはこのためである。
「さっき言ってた気配って消したりできるの?」
「全部はむり。でも小さくはできる」
どうやら広がる範囲を数メートルくらいに狭めることはできるらしい。
面倒な戦いを避ける時とか、リクと出会う以前にお腹が減った時には、これで狩りをしていたようだ。
人間が手で捕まえるなら、数メートルで気付かれると言うのはかなり不便だが、彼女の能力を考えれば十分なのだろう。
それにしても、下処理や料理を全く知らないラフィーネが狩りをして食べる?
あまり深く考えない方が良いかも知れない。
独特な眠り方の時みたいに、今度は別の意味で目を背けることになりそうだ。
気を取り直して、準備ができたら森の中でハンティングである!
無論リクにその心得は無いので、ラフィーネの糸頼りになるのは仕方ない。
その分、料理で見せれば良いのである。
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拠点から少し離れた森の中。
拠点にいた時よりも、様々な鳥のさえずりに満たされている。
木々の葉が擦れる音に混じって、何かが土を蹴る音や、小さな唸り声みたいな音も聞こえて来た。
リクは近くの木に身を預け、ラフィーネは太い枝にちょこんと座りながら暇そうにしている。
彼女が気配を遮断している状態がようやく体感出来た。
リクはその圧力を直接は感じられないが、これだけ森が賑やかになった様子を見れば十分理解できる。
そんな目線の先には、野ウサギのような魔物がいた。
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『ホーンラビット』
ラビット属 ホーンラビット種
STR:E
AGI:B
DEX:C
INT:E
HP:E
MP:E
危険度:D
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一見ウサギらしい小麦色とサイズ感をしているが、額には黒ずんだツノが生えている。
もうこの時点で迂闊に近付きたくない相手だが、どうも危険度のところだけ見ると気が抜けそうになる。
ただそれは枝に鎮座する危険度SSSの魔族様がいるからであり、己の力でない以上は油断大敵だ。
「あの子でいい?」
「——っ!」
耳元で囁かれた瞬間まで気付かなかった。
リクは驚いて叫びそうになった声を何とか抑える。
ラフィーネは座っていた枝から、音もなく地上にいるリクの耳元まで、糸を掴んで下降していたのだ。
その距離感たるや、吐息が耳に届くほどの近さだった。
こくこく。
リクは音を立てないよう首を縦に振る。
了承と受け取ったラフィーネは、10メートルほど先にいるホーンラビットへ手を向けた。
人差し指がくるりと円を作って、軽く指先だけを手繰るように引く。
ぱたん。
ホーンラビットは、小さな音を立ててその場に倒れ込む。
前脚と後脚を2本ずつ糸でまとめられているので、いくら身動ぎしても逃げることは叶わない。
「できた」
「ナイス、ラフィーネ」
勝利が確定した以上、静かにする理由はもうないのだが、2人とも自然に小さな声で話していた。
状態:捕縛。
『神眼』で見ると、ステータスにはその項目が追記されていた。
なるほど。状態の変化やおそらく異常なども判断できるらしい。
ホーンラビットは、こちらを睨みつけてじたばたと足掻いている。
その視線がラフィーネを捉えた時は、その色が恐怖に変わったのも明確に感じ取れた。
恐怖された彼女の方と言えば、慣れているのだろうか? 特に感情が動いているようには見えない。
そしてここまで来た以上、避けては通れない側面がある。
食べるとはすなわち、命を奪うのだ。
リクにとっては、店で活魚を捌いたことは何度もある。
生きたままエラを切って血を抜いて、それが済んだら締めて息の根を止める。
場合によっては家庭でも経験することのある工程だ。
しかし獣を締めるところから経験する人間はそう多くない。
魚であれば、誰の手を借りなくても刃物さえあれば上手くできる。
しかしリクには、この魔物を苦しまずに逝かせてやれる自信はなかった。
「ちょっと聞いても良い?」
リクは神妙な面持ちでラフィーネに向き直る。
なるべく意図が伝わるように、どう処理したいかを彼女に伝えた。
ラフィーネの糸は、材質を自在にコントロールできる。
つまり極限まで細く強靭にして、瞬く間に切断することも出来るのだ。
彼女はウサギを捕縛した時のように、人差し指をくるりと小さく回す。
ほぼ視認することは出来ないが、朧げに反射する線が獲物の首に巻き付いた。
ラフィーネの指には、掴める太さの糸が輪っかになって引っかかっている。
「これでいいの?」
「ありがと。あとはさ、俺がやりたいから」
こうする意図をラフィーネは分かっていないようだが、状態としてはリクの注文通りである。
リクは彼女から輪っかを受け取って、ゆっくり呼吸をしてから一気に引いた。
キュ。
か細い音が鳴って、ホーンラビットの首が飛ぶ。
改めて、獲物の状態をリクは注視した。
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『ホーンラビットの遺体』
特徴:森の幸として重宝される。
用途:肉は食用、角は加工品。
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何かで聞いたうろ覚えだが、森では吊るして内臓などを抜く手法があるらしい。
ここも糸で吊るしてもらって、ナイフで最低限の処理を済ませる事が出来た。
今回は慣れないことをして、喜びを感じるのは難しかったが、きっとこの世界で生きるなら向き合う必要があったのだ。
そう思えば、ラフィーネがいてくれた事でかなりマイルドにしてもらったのだと思う。
手伝ってくれた彼女のためにも、食材となってくれたホーンラビットのためにも、リクは美味しく調理せねばならないと誓った。




