第26話
昼過ぎ、ローヴェン近郊の川原。
「見える、見えるぜ……剣の頂って、世界を感じることで……辿り着くんだな」
警告を伝える前に座椅子へ腰を下ろしたカイルが、悟りに到達しようとしていた。
おそらくリラックスがあまりに深すぎるだけだと思うのだが、カイルの表情は全能感に満ちていた。
ハンモックの時もそうだった。
身体を支える部分をラフィーネの糸製にすると、危ういほどのリラクゼーションに包まれるのだ。
「戻ってこーい」
リクはカイルの肩を掴んで、手首にスナップを効かせた往復ビンタを浴びせる。
頬が赤くなるほど力は込めていないが、カイルも頑丈なのでそれほど遠慮はしていない。
「はっ……! 俺はいったい?」
「悪いなカイル。意識せずに座ると、精神が遠くへ旅立つって言い忘れてた」
「そうか。俺が掴みかけた剣の秘奥は、気のせいだったってことか」
「俺は剣に詳しくないけどさ、座っただけで悟れるようなもんでもないだろ?」
「違いねぇな。そうだ、注文の品を引き渡さないと!」
カイルはそう言って、手持ちのケースに入った金属製の道具を2つ取り出す。
1つは筒状の金属に、それを回すハンドルが木材でカバーされている『焙煎器』だ。
土台の部分には緑色の『風の魔石』が組み込まれており、これに少量の魔力を送り込めば、内部で風が発生する。
焙煎時に弾けた豆の表皮を吹き飛ばし、一気に冷却するための便利機巧だ。
2つ目は手巻き式のオーソドックスな『コフィーミル』だ。
見た目は元の世界のキャンプ動画で登場した、アウトドア用のミルに近い。
筒状で上部に折り畳みの回転ハンドルが付いた、持ち運びも考慮されている設計だ。
とてもざっくりとしたスケッチと、使いたいシーンの要望を伝えただけなのに、ボルカンは見事それを形にしたのだ。
「リクは魔石トーチも使ってたから、魔力を送って使う感覚はもう分かるだろ?」
「まぁなんとか。元々の魔力も少ないし、疲れない程度に送り込めば良さそうかな」
「おう、そんな感じでいけると思うぜ!」
魔石の部分はカイルも深く携わった部分なので、心なしか誇らしげな表情だった。
「ほんとにサンキューなカイル! ボルカンさんにも、後でコフィーを淹れに行かないと」
「そうだな! 飲むのはいつでも良いとか言ってたけど、ありゃ内心は良い物に仕上がってるか絶対気にしてんぜ?」
「何か分かる。俺も料理出したら食べてる人の表情とか気になるもんな」
男達の拘りを認め合うような暑苦しい会話をよそに、ラフィーネはローテーブルに置かれた布の包みをジッと見ている。
焼き上がってからこの場所に来るまで、まだひと口も食べていないりんごタルトの味が気になって仕方ないようだ。
「食べちゃだめなの?」
「待たして悪いな。今からコフィーを淹れるから、ちょっと座って待ってて」
「む、ままならない」
いつものあまり動かない表情の中に、微かな悔しさを滲ませて椅子に座る。
リクとカイルの醜態を見ているからか、はたまた糸を張った本人には無効なのか不明だが、ラフィーネの意識はちゃんとこちら……正確に言うとタルトの包みに向いていた。
申し訳ないがタルトは冷めること前提で作っているし、コフィーを淹れるまでの手順は妥協しない。
痺れを切らさない程度で、ラフィーネには大人しく待ってもらおう。
いざコフィーチェアリングの最終準備だ!
まず焙煎器の中心にある筒状の容器を開けて、カレントで購入した生豆を投入する。
焚火台には既に火が入った炭を置いてあるので、その上に焙煎器を固定して設置完了だ。
焙煎にはタイミングを読む力が必要不可欠である。
火が通って来て最初に音が鳴る『1ハゼ』、それが落ち着いてから前者よりは控えめな『2ハゼ』。
熱し過ぎると苦みが強くなり過ぎるが、足りないとコフィー特有の香りが立ってこない。
そんな繊細なタイミングを掴むため、火にかける間は焙煎器を回しながら耳を澄ますのだ。
リクがハンドルを回す度に、ガラガラと豆の擦れ合う音が響く。
吹き抜けるそよ風や鳥の鳴き声、自然から注がれる音と混ざり合って、この時間が尊く感じられた。
そんな感傷に浸っていると、焙煎器の中からパチパチ——と、豆の表皮が弾ける音が聞こえて来た。
その音は断続的にしばらく続き、やがて一旦落ち着いてくる。
ここからが集中だ。2ハゼの音を聞き逃さないよう耳を澄ます。
待つこと数分、今度は小さくぴちぴち——と、2ハゼの音が聞こえて来たところで、リクは焚火台から焙煎器を外す。
そのままハンドルを回しつつ、風の魔石に魔力を送るイメージを念じた。
台座の魔石は緑色に光り出し、中には風の吹き抜ける音が鳴っている。
こうして素早く冷ますのは、豆も余熱で焙煎が進んでしまうからだ。
多少苦みが強くなろうと、今回のタルトは甘いので十分に合うと思うが、せっかくなら道具の良さも存分に証明したい。
焙煎の出来栄えには、開発に携わった男たちの熱いこだわりが試されているのだ。
「よし、充分温度も冷ませたかな!」
「めっちゃ良い色と香りじゃんか」
「カイルとボルカンさんのおかげだよ! 想像以上の使い易さだし、これで失敗したら俺の経験不足だ」
「ま、答えは淹れて飲んでみてからだな!」
カイルの言う通りだ。
リクは焙煎器から出した豆を、今度はコフィーミルの筒へと投入していく。
ふたを閉めてハンドルを握り、いざ焙煎した豆を挽いていった。
驚くほど、嫌な抵抗感が無い。
ごりごりかりかり——と音を立てながら、本当に少ない抵抗感で、内蔵されたタングライト製の刃は回転する。
ミルの下部にある容器には、繊細で粒が揃ったコフィーの粉がちゃんと溜まっていた。
鼻を近付けずとも、香ばしくて芳醇な匂いが鼻腔をくすぐる。
ここまでカイルやボルカンさんも巻き込んで、本当に手間も時間もかけてきたが、報われる思いだった。
朝にラフィーネと一緒に作ったりんごタルトも、出番を今かと待ちわびている。
お湯も沸かしてドリップの準備も万端だ。最高の1杯を淹れよう!




