第27話
暖めていたお湯が沸騰したようなので、適温になるまでの間、少しだけ時間を置く。
その間にリクは、りんごタルトの包みを解いた。
ザクザクなタルト生地の円に囲まれ、火が入ってしんなりしたりんごのスライスと、仕上げに塗ったアプリコットジャムの照りが期待感を煽る。
宿のキッチンで既に切り分けてあるので、そのまま3人分の座椅子に囲まれたローテーブルの上に、タルトを置いた。
「おいしそう!」
目に星でも浮かんでそうな表情のラフィーネが、椅子から乗り出して手を伸ばそうとする。
「待て! 待てだぞ、ラフィーネ」
「むっ……」
ロードへの扱いらしからぬ、犬を扱うようなニュアンスを感じ取った彼女の口が、への字に結ばれた。
そんなご不満を意に介さないリクは、用意していた漏斗と紙で作った即席ドリッパーに、焦げ茶色の粉をこんもりと放り込む。
お湯の温度も頃合いだろう。
リクはやかんから慎重に、細く線を描くような水量で豆をお湯に浸していく。
芳醇な香りを花開くように広げながら、豆は雲のようにふんわりと膨らんでいった。
「ん~、たまんねぇ香りだな! リク」
「あぁ、飲まなくても分かる。成功だなこれは!」
そう話している間にも、お湯は注がれ、下の容器には澄んだ漆黒の液体が溜まっていく。
転移してすぐ、自らの手では味わえなくなったカフェインの自由が、またこの手に戻って来たのだ!
リクは容器からそれぞれのカップにコフィーを注いで、ローテーブルに置く。
カレントでコフィー豆を購入出来てから早1週間ほど、ようやくこの光景までたどり着いた。
ラフィーネの糸によってメッシュが張り直され、最高級のリラックスが約束された座椅子。
ローヴェンの食材やカレントで仕入れた調理器具で、満足な仕上がりとなった『りんごタルト』。
この世界でようやく見つけたコフィー豆と、職人たちの協力でたどり着けた『ドリップコフィー』。
そして、暖かな日差しと吹き抜けるそよ風、水の流れる癒しの音に満たされた川原の空間。
——完璧だ。
「お待ちどうさん」
リクはやり遂げた顔で、ずっと待ち続けていたラフィーネにフォークを渡す。
「今回は、すごく長かった」
「ん~、鳩シチューより時間はかかってないと思うんだけどな?」
あっけらかんと答えるリクの様子に、ラフィーネは少しだけ頬を膨らませている。
「出来上がったお菓子を前にして、お預け喰らってったからじゃね?」
「そう、とても我慢した!」
「ごめんって。もう待つのは終わりだから」
そう言って、各々は手を合わせたりフォークを構えたりして、その時を迎える。
「「「いただきます!」」」
まずカップを鼻に近付けて、ゆっくりとコフィーの香りを楽しむ。
果実味を感じる芳醇な匂いと、少し深めに炒った香ばしさが、立ち上がる湯気に混在している。
ひと口だけ軽く口に含んでみれば、苦さの中に複雑な風味のハーモニーが口内を駆け巡った。
そんなリクの横ではラフィーネが、タルトを口いっぱいに頬張って、幸せそうな笑顔を咲かせている。
最初のひと口をじっくり味わったリクも、りんごタルトに手を伸ばした。
——しゃくり、さくり。
りんごの酸味、ジャムとカスタードの甘み、それらを受け止めるタルト生地の連鎖。
甘さと満足感が押し寄せてくる。そこに再度カップを手にして、コフィーを口内へ導いた。
調和だ。甘さと苦みが円環するように、交互に顔を出して譲り合う。
カフェでの優雅な時間を過ごすような心地、そして天候の良い川原で浸る素朴な体験。
これで良いのだ。これが良いのだ。
リクはこの場の全てに深く浸って空を見上げてから、カイルの方に目を向けてみる。
いつものちょっとやかましい雰囲気とは裏腹に、綺麗な所作でタルトをフォークで口に運び、静かにコフィーをすすっていた。
チェアリングの楽しみ方は自由だ。
たくさん食べて満足したって良いし、場の雰囲気を静かに楽しんだって良い。
うとうとするのも、本を読むのも、何もしないで景色を眺めるのも自由だ。
そんな中で、リクはコフィーを余すことなく楽しむシチュエーションを夢見た。
みんなで協力して、そんな体験を一緒に共有できたことが本当に嬉しかった。
「リク、タルトとこふぃー? 一緒にするとおいしいね」
「うん。合わせたらきっと美味しいって思ったから! 手伝ってくれてありがとな」
「ふふん、どういたしまして」
今回は椅子からタルト作りまでたくさん手伝ってくれたラフィーネも、言葉にしないだけで、手間をかける楽しさを体感してくれただろう。
「しっかし、マジでコフィー道具の出来は上手くいったな!」
「だな! マジでカイルとボルカンさんのおかげだよ。片付けたら飲んでもらいに行こうぜ」
「ぜってぇ目の色変えんぞ? 今から楽しみだわ」
それぞれ手に持っていたフォークやカップを置いて、拳を合わせる。
リクとカイルには互いにそっくりな笑顔、やり切った達成感が滲み出ていた。
リクには無双できるようなチート能力は無い。
この世界にはそんなヒーローを必要とするような物語も、今のところ転がっていない。
異世界から来たリクにも、魔族領から出て来たラフィーネにも、この街で出会ったカイルにも、日々を生きる人生がある。
せっかく生きているなら、この場所で楽しめることを全力で楽しみたい。
次はどんなアクティビティが待っているのだろうか?




