契約違反、軽蔑します
キャリー視点で、振り返ります。
義理の息子クリスの生家コーベット家にお邪魔した。
ちょっとした訪問ではなく、しばらく滞在させていただくことに。
というのも……。
夫が浮気して、私は離縁。
クリスも養子縁組を解消して、生家へ。
私は居場所のない実家に戻りたくないだろうと気を遣っていただき、クリスと一緒にコーベット家に一時避難させていただくことになった。
そこで、なんとコーベット家と親しい男爵家の養子にならないかとお誘いを受ける。
学生の頃に平民になる準備をしていたので辞退しようと思ったのだが、平民だと実家から無理難題をふっかけられたときに抗えないと指摘される。
そこで、ご厚意に甘えることにした。
縁組みの書類にサインした後、男爵家に行くのかと思いきや、男爵の家は狭いのでコーベット家に部屋を用意したと言われる。
ここまでが、午前中に起こった出来事だ。
怒濤の展開に為す術もなく、悪い話ではないから……と流されることにした。
コーベット家のエントランスは、スッキリとシンプルで、明るい陽ざしが作る陰を味わうような作りになっていた。
「お義母さま……いえ、キャリー様。今度こそ、昼食をご一緒しましょうね!」
クリスがかわいく誘ってくれる。
「ええ、ぜひ」
と応じたところ、次男のロン様が眉間に皺を寄せた。
「『今度こそ』? どういうことだ?」
「えっと……ホッブス卿とは食事を一緒にとらないお約束でしたので、養子として食卓に着くクリスとも別々だったのです」
離婚したので、「旦那様」と呼ぶのはやめた。
妻をひとり、部屋で食事をとらせるとは――コーベット家の面々に怒りの青筋が浮かんだ。
「一応、フォローしますと、途中で改心したと食事に誘われたのですが、契約違反になるとお断りしたのです。
実家でも一人で食べていましたし、口頭で謝ればすむと契約を軽んじているのも腹立たしいですし、一度でも甘い顔を見せれば図に乗ってどんどん要求がエスカレートしそうでしたし」
淑女の顔でにこりと微笑みながらも、言葉の端々に怒りが滲んでしまう。私は淑女の勉強はしたけれど、実践する場がほとんどなかったので、感情を抑えきることができないんだわ。
コーベット夫人が「素晴らしい心得ですね」と賛同してくれた。口調は厳しめだけど、優しい方でよかった。
早速案内された部屋には、なんと、ドールハウスの道具がデスクに用意してあった。
新品の、メモリがついたマット、接着剤、ピンセットにカッターナイフなど。
今までは中古を譲ってもらっていたので、新品にときめいてしまう。
「ありがとうございます!」
案内してくれたメイドにお礼を言うと、「ご主人様たちに言って差し上げてください。特にロン様が張り切って整えていらっしゃいました」と微笑まれた。
本当に、歓迎してくださっているのだわ。そう思うだけで、涙が出そう。
少し遅い昼食を取りながら、いろいろと質問を受けた。突然現れたんだもの、当然ね。
「他者に口外無用という項目はなかったので、ホッブス卿はおかしなことだと思っていないのかもしれません」
「ドールハウスのお店に通って、工房で制作して生活費を稼ぎました」
「昼食はドールハウスでオーナーとしっかり食べて、朝食と夕食は使用人のご機嫌次第。洗濯はドールハウスの奥さんにお願いして」
「ホッブス卿が心を入れ替えてからは、屋敷で食事と洗濯をしてもらうようになったけれど、逆に不安でした。ちゃんと洗って返してくれるのかと。捨てられたり、ボロボロにされたりしましたね」
「薄ら笑いで近寄ってきたり、初めからやり直そうと言ってきたりして気持ち悪かったです。
護身用に小さなペンチを持ち歩き、一度手の甲をひねり上げてからは、無理強いしてこなくなりました」
そう答えたとき「紳士の風上にもおけない」とロン様が拳を振るわせた。正義感がお強いのね。
ロン様は紳士的な距離感で、いい方ですもの。
「『女性に強引に迫られて女性恐怖症になったあなたが、同じことを私にするのですか』と怒鳴ったら、青ざめて大人しくなりましたよ。女性が全員自分のことを好きになると勘違いなさっていたみたいで」
家と市街地にあるドールハウスを一人で往復していたので、防犯意識は高いのです。とっさに反撃する道具は必携ですね。
侍女も護衛もいないので、貴族女性と気付かれないように注意するのも得意ですよ。
「契約がどういう結果になるかシミュレーションしないで契約書を作るなんて、浅はかですよね。
使用人に侮られた女主人など、まともな生活なんか送れっこないのに」
ふふっと笑ってしまう。
長男のウィリー様がご自分の奥様に「君は大丈夫?」と訊いていらっしゃるわ。優しい旦那様で羨ましい。
「意地悪な使用人たちはクビにしたようで、バケツの水をかけられないか、足を引っかけられないかと警戒せずに廊下を歩けるようになりました。
新たに侍女や護衛をつけると言われても、今度は監視する目的だとしか思えないので、断固お断りしました。逐一ホッブス卿に報告するに決まってますもの。
クリスが来てお茶ができるようになって、とても楽しくなりましたよ。
つまり、結婚生活を振り返ると、前半は実家と同じくらいで、後半は実家より遙かにマシという感じでしょうか。未練などまったくありません」
「では、ここで比べものにならないくらい素敵な暮らしをしてもらわないと」ロン様がじっと見つめてくる。
「いえ、すでに、そうです。自室で作業ができるなんて、夢のようです」
なんだか恥ずかしくて、うつむき加減で答えた。
「オーナーから、徹夜しないように見張れと言われている」
「え、そんな……しませんよ。……たぶん」
オーナー、ロン様に何を言っているのですか!
微笑ましいものを見るような、生暖かい雰囲気がいたたまれないわ。
……焼きたてのパンが美味しい。
ウィリー様の奥様が私のドールハウスのファンだとおっしゃった。
「女の子が生まれたらぜひ購入したいと憧れていたのよ。こんなに若い娘さんだとは思わなかったわ。
ずいぶん昔から活躍しているわよね?」
「十歳で下請けを始めて、十二歳で作家デビューしましたので、十年以上ですね」
平民の子なら普通だけれど、貴族のみなさまは驚いている。
「実母からもらったドールハウスを義妹に奪われそうになったので、売りに行きました。
一部、壊されところを自分で修復していて。それをオーナーに説明したら、お仕事をくださったのです」
出来映えや納期の話し合いがいかに大切か――契約書までは交わさなかったけれど、約束は守らなければいけないと身に染みている。
だから、契約結婚の話をされたとき「一生、この関係なんだ」とがっかりしたし、仕方ないと覚悟を決めたのだ。
結婚したら明るい家庭を築けるよう「素敵な奥様」という本を読み込んでいたけれど、無駄な努力だったなと。
それなのに、気軽に契約変更を提案されたから……元夫のことがますます嫌いになった。
「実家で可愛がられなかったのは確かですが、下働きまではさせられていませんでした。
一応、学校にも通えましたし。
妹が飽きたというドレスをもらったときはそれを売って、平民の服を何着か買えましたし。
単に『家族』じゃなかっただけです」
あれ、「大丈夫だから気にしないで」と言いたいのに、うまく伝わっていないみたい。
それがあったから、今の、逞しくへこたれない私になったんだけどな。
う~ん、泣きそうな人もいるわ。
話題を変えた方がよさそう。
「クリスはこの先、どうするの?」
困ったときの義理の息子である。
あ、もう義理の息子ではなくなったから「クリス様」の方がいいのかしら。
「父様、どうなんでしょう?」とクリスが訊く。
「ロンに譲ろうと思っていた従属爵位をクリスに与えようかと考えている。
ロンは文化交流に貢献したのが認められて、自力で爵位が取れそうなのでな」
コーベット子爵が言うと、ロン様は誇らしげにうなずいた。
「まあ。そうなんですか! 素晴らしいですね」
「……ありがとう」
だから、思わせぶりに目をのぞき込むの、やめてください。
仕事の話ならてきぱき進められるけれど、仕事抜きの人間関係はどうしたらいいのか、わからないのよ。
数日後、
「次の商談、ドールハウスが盛んな国だけどついてくる?
……このままだと外聞が悪いから婚約しようか」
とロン様に言われ、かなり迷うことになるのだった。
かっこいいプロポーズじゃなくても、いいんじゃないかなと思ったりします。
義母あらため義姉候補になったキャリー様。




