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第八話

回 想

 どうやら私は死んでしまうようだ。記憶が走馬灯のように蘇ってくる。長いような短いような人生だった。まさかこんな死に方をするなんて・・・。若かったあの頃、情熱の炎が私の心にも灯っていた。順風満帆な学生生活を経て、思い上がっていた私は、社会に出てその厳しさを思い知らされた。


 私が移動させられた先は工事課だった。この部署は市民の生活を向上させるため、道路、橋梁、トンネル、上下水道などの土木構造物を整備するという名目はあったが、実際は古くなった構造物の維持管理が主な仕事になっていた。私は毎日、舗装の修繕工事や傷んだ橋梁の補修工事の予算書を作らされていた。決められた通り、機械的に数字をはじくだけの仕事だった。市民と触れ合うこともなく、やりがいの欠片すら感じなかった。そんなある日のことだった。一人の老女が市役所に現れた。足が不自由なのか、杖をついていた。狭いアパートにご夫婦と二人で住んでいたと言う。名を久保田武子さんと言った。今でもその名前を憶えている。武子さんは一ヶ月ほど前に主人に先立たれ、今は一人になってしまったと言った。私はその顔を覚えていなかったが、武子さんの方が私を覚えてくれていた。

「この前は私の家を訪ねてきてくれてありがとうね。主人に先立たれて私も死のうと思ったんだけど、あなたがね、誰もが希望をもって暮らせる街にするから、頑張ってくださいって言うから、もう少し生きてみようかなって思ったのよ」

 私はその言葉を聞いて、涙が溢れた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ぼくは何もできなくて・・・」

その後は言葉にならなかった。福祉課から飛ばされた身の私には、武子さんに手を差し伸べることすらできない、それが辛くて仕方がなかった。

「いいのよ、そんなに簡単に世の中が変わらないことはよくわかってるから。ただ死ぬのを待ってるような年寄りに希望を与えてくれて、それだけでありがたかったから、お礼を言いに来ただけよ」

 私は武子さんの手を取り、泣きながら何度も謝った。

「辛いことがあったんだねぇ。きっと乗り越えられるから、頑張りなさいね」

 励ます立場の私が、逆に励まされてしまった。私はもう一度奮起しようと思った。

 ―こんな私にも何か市民の役に立てることがあるはずだ。


 しかし、私はそれからも工事課で予算書を作り続けた。福祉課にいた時の私の言動が煙たがられて、体のいい仕事を押し付けられていることはわかっていた。私に二度と行き過ぎた言動をさせないように、ただ言われたままに書類を作成するロボットのような扱いだった。来る日も来る日も同じような書類を作り続けて十年、やっとほとぼりが冷めたのか係長に昇格した。遅い昇格だ。武子さんの言葉に報いたいと思いながら、ずるずると時間だけが過ぎていった。武子さんは、もうこの世にいないかもしれない。それでもその思いは、私の心から消えることはなかった。


 私はある日、一本の電話に応対した。その電話が私の運命を大きく変えることになった。声の主は一人の主婦だった。彼女は幹線道路の交差点が四六時中渋滞していて、買い物に行くにも無駄な時間が掛かってしまうから、何とかならないかと言った。私は上司の許可を得て、渋滞の状況確認を行うことにした。その当時は定点カメラのような便利なアイテムがなかったので、私は許可をもらって、丸一日見晴らしのいいマンションの最上階の廊下から、その道路の状況を目視することにした。渋滞は酷いものだった。朝から十分ごとに写真を撮り続けたのだが、日中はほぼ渋滞が途切れることがなかった。夜になってやっと通行車両がスムーズに流れる有様だった。


 その道路はもともと生活用として整備されたものではなかったのだが、しばらくして都市開発が進み、いくつものニュータウンが建設された。その地域の人口があっという間に増えてしまったのに、道路整備が全く追いついていなかった。特に渋滞が酷かったのは、二つの幹線道路の交差点だった。生活用道路が確保されないまま、地元住民の車両だけでなく、物流のトラックやタクシーやどこかの工事現場からやって来るダンプカーなどが入り乱れて走行することになってしたから、渋滞してもおかしくない道路事情になっていた。これでは市民の方々が困るのも無理がない、いやこんなことを市役所側が把握していなかったことに問題がある。よくここまで放置しておいたものだと、市の職員でありながら開いた口が塞がらなかった。

 私はこの道路の渋滞を解消するための方策を立てさせてほしいと、上司に嘆願した。上司は触らぬ神に祟りなしの態度で、私に関わるなと言った。それでも私は引き下がらなかった。やっと武子さんとの約束が果たせる、その思いが私を突き動かした。もし私の願いが通らない場合は、潔く市役所を辞める覚悟はできていた。


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