第五話
回 想
真夏の工事現場では日差しを遮るものもなく、ただただ熱い。それに摂氏100℃を超えるアスファルトの敷き均しが始まると、ただでさえ暑い現場が赤道直下にでもいるような暑さにヒートアップした。こうも暑いと、アスファルトの温度を自分の五感で確かめてみたいと言う邪な衝動が私の心の中に沸き上がってきた。この意味のない行動が、私を奈落の底に落とす事件に発展していく・・・。
両膝と左の手の平をアスファルトの上に突いて、反力を増して右腕を引き抜こうとした。しかし、全く歯が立たない。私の右腕は少しずつアスファルトに飲み込まれて、とうとう肩の部分にまで達してきた。アスファルトの表面が私の顔のすぐ近くまで迫っている。頬が焼かれる。気が付くと踏ん張っていた両足までもが、アスファルトに引きずり込まれ出していた。
「だれかっ、助けてくれっ!」
私は大声で叫んだが、重機の音にかき消されて作業員たちの耳に届かない。部下たちは必至で写真を撮っていて、私のことなど気が付く素振りもない。
—まずい、身体ごとアスファルトの中に引きずり込まれてしまう。
私は呼吸を確保するために身体をひねって仰向けの体勢になったが、身体はなおも沈み続ける。顎紐を止めていなかったヘルメットは、私の頭から離れて落ちたが、そんなことに気を留めている場合ではない。私の胴体もアスファルトの中に沈み、首を目いっぱい上に曲げて口と鼻だけでも外に出そうとしたが、私の身体は成す術もなくアスファルトの中に取り込まれてしまった。
身体の感覚は確かにあるが、なぜか動かすことができない。目だけがアスファルトの表面に出ていて視覚ははっきりしている。耳はアスファルトに埋もれていて、かなり音は聞き辛い。私は自分の身体が厚さ数センチメートルの植物人間になってしまったようだ。それに熱い。身体が溶けそうになるくらいの猛烈な熱さだ。
「だれかっ、助けてくれっ!」
私はもう一度助けを呼ぶために叫ぼうとしたが、口が全く動かない。現場にいる作業員たちも、少し離れた場所で写真を撮っている部下たちも、私が姿を消したことにだれも気が付いていない。
右腕に力を込めてみたが、ピクリとも動かない。腕に、いや腕だけではなく、顔も足も胴体も厚さと言うものを全く感じない。自分の目で確かめることはできないが、身体全体が厚みのない干物みたいになってしまっている。その上に熱く重いアスファルトがのしかかっている。身体のどの部位も一ミリメートルすら動かすことができない。
どうすればここから脱出できるのか、私は必死で考えた。考えがまとまらないうちに、聞き辛くなった私の耳をつんざくような轟音が鳴りだした。その轟音は私を取り込んだアスファルトを大きく振動させながらゆっくりと近づいて来る。私の視界には何も捉えられないが、過去に同じような現場を見学した経験から、それが何かがすぐわかった。アスファルトを転圧するタイヤローターだ。私のすぐ傍まで近付いてきたかと思うと、私の足と思われる部分の上を踏みつけながら通過して行った。
―ぎゃぁぁぁぁぁ―
骨が砕かれるような痛みに、私は思わず叫び声をあげようとしたが口を開けることができない。何ということだ。十トン近い重量がある重機に、私が足を踏まれるとは・・・。
足の痛みが引かないうちに、今度は一人の作業員が私の方に近づいてきた。そして、私の顔と思われる部分を底の分厚い安全靴で踏みつけてきた。
―やめろっ、どかんか。
やはり声が出せない。その作業員は休憩でもしているのか、私の顔の上に足を置いたまま動こうとしない。
—なぜこんな品のないやつらに顔を踏みつけられなければならんのだ。
耐え難い屈辱だった。どうやればここから抜け出すことができのか。きれいに転圧された舗装をだれかに剥ぎ取ってもらわない限り、私はここから抜け出すことができなのか。しかし、それを伝える術がない。私は動かない口でうめき声をあげ続けた。
—誰でもいい。だれか気付いてくれ。
そう思った刹那、私の部下たちが近付いてくる姿が見えた。辺りをキョロキョロと見ている。どうやら私がいなくなったことに気が付いたようだ。私はもう一度うめき声をあげた。何度も何度も声をあげたが、部下の耳には届かない。やがて部下たちは私の視界から消えて行った。
―だめだ、誰も気付いてくれない。
私はアスファルトに取り込まれる前までかぶっていたヘルメットが、近くに落ちていることを思い出した。誰かがそれを見つけてくれて、私がいなくなったことに気付いてくれる、私はその瞬間に賭けることにした。しばらく待っていると、やがて足音が聞こえてきた。
―頼む、誰か気付いてくれ。
私は心から願った。
「おいっ、誰だぁ、こんなところにヘルメットを放り投げてるやつはっ」
聞き慣れない声だ。おそらく作業員の一人に違いない。しかし、無造作に置かれているヘルメットに気が付いてくれた。
―それは私がかぶっていたヘルメットだ、気付けっ!




