act-5 恋の始まりは…いつでも突然です?
本作品はフィクションです。
登場する人物、団体、企業、学校、事件等は架空のものであり、実在するものとは関係ありません。
また、作中には実在する神社仏閣、伝承、民話、地域名等を参考にした表現が含まれますが、物語上の演出および独自解釈によるものであり、実際の歴史・信仰・伝承とは異なる場合があります。
視線を落としたくない。
咄嗟に紘一はそんなことを思った。
思った筈なのに…視線が落ちてしまう。
見事なまでに、つま先の下にスマホがある。
記憶が正しければ『ディオ』とかいうタイプのスマホだ。
最上位モデルなら、会社員の月給が丸ごと飛んでいくような高級品だ。
できれば『ゴリラが踏んでも壊れない』という商品に包まれていることを期待したい。
…いや、そもそも、紘一が悪いのか。
恐るおそる持ち主だろう女を見る。
視線が合う。
女はくすっと笑った。
その笑みに紘一は溜息をついた。
不可抗力とはいえ、踏んでしまったのは事実だ。
『足元をよく確認してから歩きなさい!』と美里に言われていたな、と思い出す。
美里は何故か足元に物を置く癖があった。
机の上も、リビングも綺麗なものだ。
来客があっても、慌てて片付ける必要なんてない。
基本的に誰かを家に招き入れるタイプではない。
プライベートを見られるのは恥ずかしがる。
それ故に、人を受け入れる範囲は整理整頓されている。
編集部のデスクもそうだ。
左右のデスクが資料で山積みになっていても、美里のデスクだけはきちんと整理されている。。
それが、寝室だけは別だった。
普通に誰かを招き入れることはない。
引き戸を開けても、目に入るナイトテーブルやベッド周りは綺麗に整頓されている。
掛け布団も、畳まれて置かれている。
問題があるのは、壁際だ。
寝室に入らなければ見えない部屋の隅には、読みかけの本やら、買ったまま開けていない雑貨やら、いつか整理するつもりらしい引っ越しの段ボールが積み上がっている。
それらは時折、何かの拍子に雪崩を起こす。
その原因になるのは、ほぼ紘一だが…
本人はそのたびに「あとで片付ける」と言うのだが、その『あとで』がいつ来るのか、紘一は知らない。
仕事ではあれほど几帳面なくせに……
いや、いまは美里の話をしている場合じゃない。
足元には、高級スマホ。
目の前には、その持ち主。
紘一は苦笑しながら、頭をかいた。
どう考えても、現実逃避をしている場合ではなかった。
困りながらもスマホを拾い上げる。
画面は割れていない。
「大丈夫かな?」
スマホを女に差し出しながら、紘一は尋ねた。
「あ……」
彼女は気まずそうに眉を下げ、立ち上がって小さく頭を下げた。
「すみません。うるさかったですよね」
「いえ。何のことか」
紘一は、ふっと口角を上げた。
何もなかった。
そんな素振りを見せながら、ふらりとなった女性の腕をサッと掴んだ。
「あっと…すまない。つい」
女は、肩をすくめた。
少し遅れ気味に笑みを添えてくれる。
どこか寂しそうな笑みを浮かべる美咲に、紘一は戸惑った。
「えっと…動作チェックをしますか?」
「……あ、そうですね」
女は、紘一の手からスマホを受け取った。
自然に添えられた笑顔にドキッとする。
「あ…」
「?」
「神谷美咲…」
「…はい。えっと、嬉しいな。知っていてくれるなんて」
言葉とは裏腹に、美咲は手を勢いよく引いた。
紘一の手を振り払うように。
「えっと、ごめん。よくは知らない」
「何言っているの?」
「あ…え~、仙台についてから調べるつもりだったら、資料も見てなくて…その、ごめん」
紘一は、一歩下がって深々と頭を下げた。
その勢いに、狸のぬいぐるみが美咲の方へと飛ばされた。
「きゃっ」
小さな悲鳴とともに、美咲は身を交わそうとする。
何か黒い塊が突然飛んで来たら、避けるのは普通のことだ。
「ダメ、受け止めて!」
「え」
美咲は、慌てて手を出して黒い塊を片手でキャッチした。
「ぐえっ」
握りしめた手から狸の身体だけが飛び出している。
恐る恐る美咲は手を開いた。
パサッと軽い音がこぼれる。
「酷い…」
ムクリと身体を起こしながら龍騎がつぶやく。
紘一は、その唖然とする美咲を見つめながら、もう一度頭をかいた。
言い訳というものは、相手が聞いてくれて初めて通用する。
残念ながら、そういうものは通用しそうにない。
「重ね重ね申し訳ない」
紘一は、何もなかったように狸のぬいぐるみを拾い上げる。
何もなかったような顔で胸ポケットに直す。
「いま喋ったよね」
「あ~、いま研究中の生成AIなんだ」
言ってから苦しい言い訳だと痛感する。
「もう少しマシなこと言えよ」
龍騎が紘一の顔を見上げながら言う。
このまま、何処かに投げてしまおうか。
そんなことを思ってしまう。
「見せて!」
「駄目でしょう」
紘一が一歩下がる。
詰め寄られる形で建物の方へと追い詰められていく。
「おい、知り合いだろう?」
龍騎が、紘一にだけ聞こえる声で言った。
「知り合いにもなっていない。初顔合わせだ」
「! お見合いとかいうやつだな」
「……だから何だ」
「愛は後で育むタイプだ」
龍騎がドヤ顔で言ってのける。
「全然違う」
「写真をもらって、日時を決めて会うのだろう? 紹介者の手前、断るのは失礼だぞ」
「………」
「なんだよ」
「後で説明するから」
紘一はジリジリと迫ってくる美咲から下がっていく。
美咲は、まだ何か言いたそうに紘一を見つめている。
その視線から逃げるように、紘一は胸ポケットを押さえた。
スマホを踏んだだけのはずだった。
それなのに、どうしてこうなった。
「……先が思いやられるな」
胸ポケットの中から、龍騎の笑い声が聞こえた。
美咲は、すっかりスマホのことを忘れているらしい。
「ちょっと、見せてってば!」
「だから、駄目だって」
胸ポケットの中では、龍騎が楽しそうに笑っていた。
「よかったな、紘一。春が来たぞ」
「……お前、あとで覚えてろよ」
旅は、まだ仙台にすら着いていない。
お読みいただきありがとうございます。
基本的に 不定期更新の のんびり進んでいきます。
ご意見、ご要望あればうれしいです。
アイデアは随時…物語に加えていければと考えています。
今回、チャレンジ企画に挑戦!です。
よろしければお付き合いください。




