別領域からの刃
深夜の公園のブランコに腰掛ける見知らぬ男女。いくら都内とはいえ異常な光景だ。
お互いの存在を認識してしまった以上、京に出来る行動は立ち去るか、コミュニケーションを図るか。京は己の直感に従い後者を選んだ。
「こんばんわ」
落ち着いた発声の後に視線を女性に向ける。相変わらず女性の表情は読めないが視線が合う。赤い目をした女性に対して京に驚きこそあったが恐怖心は無かった。これ以上、悪い出来事は重ならない。そんな何も根拠の無い想いもあったかもしれない。赤目の女性は語る。
「こんばんは、今夜はとてもいい夜です。貴方、泣いているのですか?」
女性の声はマドカより少し低く、よく通った。京は自分が泣いているか自覚は無かった。2指で目尻をそっと拭ったが濡れてはおらず、泣いていることも泣いていたこともなかったようだ。
「泣いてはいないみたいです。ただ、酷く悲しいことが重なった1日でした。僕にとって今夜は最も悪い、最低最悪の夜です」
京は両手を挙げ肩をすくめた。
「あら、あらあら。心を酷く痛めているのですね、それはとても、そう。ミザリーです。日本語で言うと、えぇと、悲劇と苦悩ですね」
「間違いありません。お話の流れから察するに貴方はどこから?」
「そうですね、とても遠い。日本人の10人も私の国は知らないような。そんなところです」
「日本語が上手だ。第一声で気がつきませんでした」
女性はクスリと笑った。今日、初めて人の笑顔に触れた。
「日本の方は感情の起伏が穏やか、そんな前情報はやはり、当てになりませんね。貴方を見れば分かります。貴方はとても悲しんでいる。怒っている。恨んでいる。世界と自分に絶望している。にも拘わらず、怒りと絶望を私に向けない。成熟した、とても強い、翠光の精神です。何があったか聞かせて頂いても宜しいですか?」
女性はクスクスと再び笑った。その笑顔は冷笑や蔑みといった類のものではなく、自身の持論が他者によって証明されたことを喜ぶ研究者のようだった。
京は自分の事を誰かに話すことは得意ではない。結果が全ての世界に生きていたため、口よりも数字で示してきたからだ。それでも話すことにためらいは無かった。ストックホルム症候群であろうか。今は自分のことを一切、知らないであろう、赤目の女性だけが唯一の理解者のような気持ちだった。
「そうですね…本当に今日は酷い1日だったんです。来月から収入の8割は恐らくなくなり、今晩、最愛の人を亡くしました。言葉にすると簡単かもしれませんが、僕にはとても、辛い」
「貴方の翠光の精神をもってしてもそれは解決出来ませんか?」
「翠光は大袈裟です。今は解決どころか、事実に向き合えてすらいません。愛する人の居る病院からも逃げ出し、仕事関係の連絡も全て無視しています」
「問題を先送りに?それとも時間が解決すると?」
「いえ、それは楽観的過ぎる。今は自分が冷静でないことが一番の問題です。分かってはいてもなかなか脳が言うことを聞いてくれない。まだまだですね」
「見つけました」
赤目の女性はブランコから立ち上がった。京を見下ろし、更に通った声で紡ぐ。
「申し遅れました。私の名前はフリスト。選ぶ者。お名前を伺っても?」
「七尾…京」
「キョウ。貴方の青く透明なゲイン、翠光の精神、自身を分析、内観出来る成熟度。とても美しい。これほど美しい魂に触れることがあるなんて」
興奮した様子でフリストは続ける。
「キョウ、貴方には英雄の素質がある。しかし、素質は器。中身が伴わなければ意味はありません。私の言っていることが分かりますか?」
京は間髪入れずに答える。
「器の中身…英雄の素質…それはつまり、成果だと思います。勝利でも敗北でも引き分けでもない。成果で器を満たすことだと考えます」
「素晴らしい。70点…と言ったところでしょうか。及第点です。模範解答は他者に積極的な感情を半永久的に与え成果を示し続ける、と言って欲しいところですが、高望みでしょう。今は、その認識で充分、素質は感じます」
興奮気味のフリストを見ていることで京は冷静さを取り戻していく。
「お褒めに預かり光栄ですが、フリストさん、貴方は僕に何を求めているのか見えてきません」
「失礼」
京が気づくよりも早く、自身の胸に何かが突き刺さった。身体は熱を帯び、胸は焼けるように熱い。
「何…を?」
「キョウ、貴方は望む望まずには関わらず選ばれてしまった。今の貴方は鳳凰の雛。羽ばたける日が来たらまた会うこともあるでしょう、その日を私はいつまでも待ちましょう」
京の胸に刺さっている氷のように透明なナイフ。そしてフリストの哀願する表情を最後に京の意識は絶たれた。
ご指導頂き、「まどか」を平仮名表記から「マドカ」のカタカナ表記にしました。
読みやすくなるための改善案は大歓迎です。




