月下終焉
時間は少しだけ遡る。ライカが三つ目のスイッチを押し、キョウがバッド=バットを駆り、ル・セレーネと国防隊相手に決死の撤退戦を繰り広げている頃、ディッシュとシャムルは小高い丘の頂上で自分達の出撃の合図を待っていた。
丘の草原から火の手が上がった時が合図だ。ライカの3番目のスイッチは木々に浸した油に引火させる簡易的な発火装置だった。この燃え上がる丘がシャムルにとっての最終決戦の場所になる。
火の着いた樹木は水分を含む為、勢いよく燃えることは無かったが、地面の乾いた青草に引火し2人の背中に炎の壁が出現する。エルビアンの言っていた《運》とは風のことだ。ディッシュ達に向かい風であれば僥倖。炎の進行は遅くなる。今夜は無風、大自然相手の賭けは引き分けといったところか。
悪くない、この風ならば練習走行通りに走れば充分炎を撒ける。
ディッシュは山岳走破用にカスタムしたバイクのアクセルを勢いよく吹かす。ひと際高い排気音。発進の合図だ。
「ライカさん!俺達も出るぞ!」
「教皇様を頼みます!」
「ライカ、行ってきます。クロックの位置情報は変わっていないのですね?」
「街から丁度15kmの位置で停止しています。キョウさんの戦果です。ル・セレーネの街への侵入は防げました。クロック様の位置はディッシュさん、ニコのナビにそれぞれ転送済です」
ディッシュと炎のチキンレースが始まってしまった。ゴールである石畳の街路までもう後戻りは出来ない。ニコの車には耐熱装甲を施してある為、多少の炎に焼かれたところで逃げ切れる。だが、耐熱レーシングスーツにプロテクターで身を包んだとて生身の2人は違う。それでもバイクを選んだのはドライバーであるディッシュが熟成させたカスタムと悪路走破性を熟考しての結論だった。シャムルもディッシュの選択を信じた。
丘をフルスロットルで駆け降りる。夜も深くなりバイクのライトだけを頼りに2人は走る。シャムルは練習走行に全て同伴しているとはいえ未だに恐怖はあった。だが、恐怖はドライバーへ波紋する。夜を睨み、ディッシュの腰を強く抱くことで恐怖を誤魔化すことしか今は出来なかった。
練習走行で夜間でも目印になる特徴のある木を何本か抜け、現在全体走破の半分といったところだ。炎の壁はディッシュのスピードよりやや遅く、徐々に差を広げていく。
難関であった森の中を突っ切るセクションへ突入する。足元は夜露で濡れ、グリップも弱く迂回すれば大幅なタイムロスになる。大きな石などは昼間に取り除いたがどんな障害物があるかは走ってみないと分からない。4輪では侵入出来ない為、ニコとは暫しの間別れることになる。森はニコに大きく迂回を強要した。
ディッシュはハンドル中央にマウントしたナビを見ると覚悟を決め一直線にクロックを目指した。
ここまではリタイアしてもニコという保険があった。ここからは自分の操縦技術だけが頼りになる。流石にドライブスピードは落ちたがそれでも炎に追いつかれることなく森の中を走る。
森に入り10分が経過しただろうか。路面の感覚を伝えるディッシュの腰に悪寒が走る。
「しまった!」
シャムルは叫ばない。これが今の彼女に出来る戦いだ。地面に転がる直径15cm程の丸石に乗り上げてしまいバイクはディッシュの制御を拒む。前方空中へ投げ出されたバイクと2人。ディッシュには腰を抱かれる感覚があった為、自分の身体に抱き寄せ、背中を強く地面に打ち付ける。少し先でバイクも投げ出されていたが、エンジンは停止しておらず悲鳴のようなタイヤの空転する音だけが響いた。
ディッシュは抱いていたシャムルの肩を掴む。
「シャルル!ごめん!無事か?」
「私は大丈夫です。それよりディッシュ、血が」
ディッシュの眉間に赤い血が一筋。着地の衝撃でゴーグルが割れ、破片で裂いたようだ。
眼鏡を守る役目を果たしたゴーグルを投げ捨てディッシュはバイクへ駆け寄り引き起こす。
「エンジン、タイヤ、ナビも問題ない。勿論、俺もこのくらいの怪我なら問題ない。ハンドルやフレームは走ってみないと分からない」
「行きましょう」
再びバイクに跨る2人の背後には先程より近づいた炎の壁が迫ってくる。
タイムロスは否めないが2人は再び走り出す。
転倒の代償でハンドルがブレる。真っすぐ走っているつもりでも左側に舵が傾く。ディッシュは直線に進みたい時は右へ荷重移動させることで修正した。
後にわかることだが、この時のディッシュは肋骨が2本折れていた。ドライバー、マシン、コース。全て最悪のコンディションの中、極限の集中力をもって夜の森を駆け抜ける。
街灯が見え、ライトは石畳を照らす。2人は無事とは言えないが漆黒の森を抜けることに成功した。
喜ぶ間もなくナビの示す方角へ更に加速する。クロックまでの距離は3kmを切った。肉眼でも7m超える魔錬精機ル・セレーネを視界に捉えた。見慣れない錬精機も居る。国防隊の新型だろうか。
走り進めながら観察すると白と赤の龍は戦闘中のようだった。様々な最終フェイズをシミュレーションして来たが、そのどれにも当てはまらずエルビアンへ指示を仰ぐ。
「先生!正体不明機とル・セレーネが戦闘中です!」
「ここでクロックを逃がしたら全てご破算だ。だが、まだだ。正体不明機がハッキリするまでは慎重に進みな」
速度を落とし近づくとル・セレーネと赤い新型の勝負は決着をしたようだった。倒れたル・セレーネの顔に赤い新型が刃を突き付ける。
「先生、正体不明機がル・セレーネを制圧しました」
「ここでクロックを見殺しにするか、止めるか。シャムル様。貴方の出番です。未来を選択して下さい」
「ディッシュ、バイクのスピーカーは使えそうですか?」
「使える。ただ、この距離だと相手に聞こえるかどうか」
正方形の有線マイクを手渡しスイッチを入れる。
「お願いします」
ディッシュはバイクのスピードを上げるを返事とし、突入する。
「双方!戦闘を中止しなさい!」
両者の距離を1m程まで縮める。シャムルは落ち着いた声で赤い新型へコンタクトを取る。
「赤い機体の操縦者、申し訳ありませんが私はこの魔錬精機の操縦者と話さねばならないことがあります。武器を収めて頂いても宜しいでしょうか」
赤い機体は刃を収めない。返事もしない。シャムルはヘルメットを脱ぎ説得を続ける。
「30分、いいえ15分だけでも構いません。クロックと話がしたいのです」
赤い機体を見上げシャムルは赤い龍の瞳から目を逸らさない。初めて聞く赤い機体の操縦者は女性の声で応えた。
「私は今晩、ここに居なかった。それを約束してくれるなら」
「守りましょう」
「今晩はここで封じ手ね。バイバイ槍のお兄さん」
封じ手?ディッシュは聞きなれない言葉に疑問を持ったがここで問いただすのは得策ではないと考え、沈黙を貫いた。
シャムルがバイクから降りたのでディッシュもそれに倣った。
ル・セレーネの操縦席のハッチが開く。
「これは教皇様。ご無事で何より」
「クロック。話があります。車に乗って下さい」
「御意」
たった今、到着したニコの車の助手席にクロックは乗り込む。予定通り、エルビアンの手配した消防隊により鎮火した丘を目指す。つい、先程まで燃えていた場所であれば他国の密偵が入り込む余地は無い。今、この瞬間だけ小高い丘は祈りの国で一番密談に適した場所だ。
丘の頂上へ着くとニコの車にシャムルとディッシュが後部座席に乗り込む。
紆余曲折有ったがようやくこの状況を作ることが出来た。最後の役者は祈りの国が教皇シャムル=ロア。声を荒げず、優しく問い掛ける。
「クロック。貴方に会えたら最初に言いたい言葉は決めていました。何故?」
「何故?とは返答に苦しみます。具体的に仰っては如何でしょうか」
「貴方には分かっているのでしょう?」
大きく息を吐くクロック。車の窓を開け焼けた外観を見ながら呟く。
「この国の未来を考えたことはありますか?」
「考えない日はありません」
「それは私もです。私の結論はこうでした。大霊峰という巨大な巣に権力と財を集中させ、国民は大霊峰への働きバチとなる。考えることを放棄させることにより大霊峰の決定が国の意思となる。国として1枚岩になるにはこれが最良だと考えました」
「なるほど。貴方の考えは理解しました。理解はしましたが賛同は出来ません」
シャムルは左手の手首を右手でなぞる。そこには削り出しの無骨なブレスレットがあった。後部座席からクロックの背中に語り掛ける。
「国民あっての国です。その考えは揺るぎません」
「国民が秩序を乱すだけでは?」
「その声達に耳を傾け、足を動かすのが大霊峰の役目です」
「綺麗事を」
「それでも目指さねばなりません。貴方に大きすぎる負担を強いていたことは謝ります」
「ごめんなさい、クロック。貴方の心の苦しみを私は理解しようともしなかった。貴方なら全て解決してくれると身勝手な期待を押し付けていた。もう1度、やり直すことは出来ませんか」
「お褒めに預かり恐縮ですが無理です。関われば関わるほど国民は教皇様が思っている以上に自分勝手で傲慢だ。大霊峰が知恵を授ける以外に道はありません」
「さっきから黙って聞いてりゃ何なんだ!?俺達国民のことを働きバチだの傲慢だの!傲慢なのはどっちだ!これが国のトップが言うことか!」
ディッシュが窓ガラスを叩く。
「ならば君が全ての国民に生きる知恵を授けてみるかい?」
「そんなものは要らない。俺達は自分の頭で考え、自分の意思で生きる。偉そうに授けるだ?俺達を巻き込むな。そういう話は大霊峰の中だけでやってくれ」
「それを無秩序と言うんだ」
「無秩序の中から生まれる秩序もある。間違えは反省してやり直せばいい」
「君も教皇様と同じだ。理想論で国は栄えない」
「クロック。貴方の言う《栄える》とは何でしょうか。武力でしょうか。財力でしょうか」
「《富国強兵》この一言に尽きます」
「どうやらこれ以上話し合いを重ねても平行線のようですね。分かりました」
「ニコ、録音を。大霊峰への通信もお願いします」
「承知しました」
ニコは運転席のドアポケットから録音機と携帯電話を取り出し、操作する。
「教皇様、どうぞ」
「祈りの国教皇の勅命により、クロック=ザラフは本日を以て大司教を解任し司教へ降任。なお、国防司令官空席は良しとせず、クロック=ザラフ司教が継続とする」
「録音、通信切ります」
ニコが再び機材を操作する。
「クロック。時間は掛かるかもしれませんが私の側で私の想う国を見ていて下さい。そして、再び貴方が力を貸してもいいと思える日をいつまでも待ちます。私達は道は違えど国を想う強さは変わらないと今晩、確信しました」
「ご温情、痛み入ります」
逃げ続けた教皇と裏道を走り続けた大司教の話し合いは終了した。
「夜明です」
教皇の呟いた一言は作戦終了を意味したものなのか、この国の未来を言ったのか。
今はまだ、答えは出ていない。
祈りの国編はあと少しだけ続きます。




