シャルル
午前8時。ディッシュは愛車のバイクを走らせこの街1番と名高いホテルへ向かっていた。昨晩、3人を見送った後、ライカから定食研究所へ電話があり、この時間と場所を指定された。
こんな日が来るならばダイエットも美容も頑張ったのに。後悔先に立たず。こんな日はごく普通の学生にはまず訪れない。結局、私服の中で1番不快感を与えないだろうと、ネガティブな理由で選出されたのは工学学校の制服だった。
待ち合わせ場所はホテル中の喫茶ブース。早くも服のチョイスに失敗したと悔いるディッシュだが、家に戻る時間は無い。覚悟を決めて自動ドア、ラウンジを抜け喫茶ブースを目指す。ホテルの従業員はやはり1流で制服姿のディッシュを咎めることは無く、すれ違う度に深々とお辞儀をした。
喫茶ブースに着き、一望するがシャムル達の姿はまだ無かった。立って待っているわけにはいかず、喫茶ブース全体を見渡せる1席に着き、手持ち無沙汰になったディッシュはメニュー表を確認することにした。
「高くね…??」
全ての料金が、学生生活を送っているディッシュの金銭感覚とかけ離れていた。紅茶が1杯1500クロム。自動販売機なら10杯。激安のマーケットなら15杯は飲める。金粉でも入っているのだろうか。
これが上流階級の世界か、と意味もなくネクタイを締め直した。注文を聞きに来るウェイターが来ないことを願いつつ待つこと3分。待ち人は現れた。
「お待たせしてごめんなさい。支度がなかなか終わらなくて」
現れたシャムルはローブ姿でもなく、スーツ姿でもない。ブラックデニムパンツに白シャツの上に灰色のセーター。何が入るんだと聞きたくなるような小さなバッグ。なんて言うか…普通だ。ただ、外見とスタイルからファッションモデルのような印象を受けた。どんなに額縁に趣向を凝らしても大事なのは中身なんだとディッシュは学んだ。
「ライカさんとニコさんは?」
「ライカは事務作業を部屋で。ニコはそうですね、どこかで私達を見ているとは思います」
もっと、こう、護衛とか居ないのだろうか。いささか拍子抜けしたディッシュであったが本人が言うのだからきっとそれで良いに違いない。
「今日なんですが、バイクで街を流しながらシャムル様が気になる場所が有ったら都度、寄るって感じでいかがでしょうか?」
「ディッシュ、考えてきてくれたのね。それでいきましょう」
二人は喫茶ブースから早速バイクへ向かう。何も注文しなかったが良かったのだろうか。
「見たことはあるけど乗るのは初めて」
「俺も女性を乗せるのは初めてです」
「お互い初めてね。安全運転でお願いします」
「承知しました」
バイクは軽快に走り出した。シャムルは最初こそ遠慮気味にディッシュの太い腹に捕まっていたが、角度が鋭いコーナーではギュッと掴んだ。ディッシュの黒い長髪とシャムルの絹のような金髪をなびかせ道を征く。
「ねぇディッシュ、シャムル様、教皇って呼ぶの敷居高い?」
走り出して15分、風の中。普段よりも声量大きくシャムルは問う。
「当たり前です!まだ現実味がありません。今は運転中なので幾分マシですが」
振り返ることなくディッシュは答える。
「私の休暇中の呼び名、ディッシュが考えて」
無茶ぶりだ。しかし、今日限定とはいえ大衆の中で「シャムル様」「教皇様」と呼べばパニックになることは想像に難しくない。後ろで10から数える声が聞こえる。カウントダウン開始があまりにも早い。
「シャ、シャルル?ってのはどうでしょう」
「もっと可愛いの、ない?」
駄目だった。リクエストしたのはシャムル様サイドなのに駄目だった。
「可愛い…?シャーリーとかはどうでしょう?この国で人気の名前です」
「ありきたりで嫌」
うーん。この。言いたくはないがワガママお嬢様め。早くもディッシュのレパートリーは尽きた。カウントダウンが3になった時、ディッシュは諦めた。諦めたのでわざと安全運転の範囲で車体を寝かしスラロームを開始した。
「ディッシュ、怖い!怖い!」
「シャムル様が呼んで欲しい名前を言うまで辞めません」
「ごめんなさい!シャルルでお願いします!」
「可愛くないらしけどいいんですか?」
「本当は気に入ってました!シャムルと被り過ぎたのが気になっただけですごめんなさい!」
バイクは通常走行へ戻った。後ろからディッシュの後頭部を軽く叩かれた。
「いじわるね」
「シャルルには負けます」
「ディッシュ、もう一度呼んで」
「シャルル?」
「聞こえない」
「シャルル」
「何?」
「凄く、楽しい…です」
「私も」
バイクは走る。出会っていなかった二人の時間を早く埋めるように速く、走る。
護衛がニコしかいないのは、ニコへの信頼もありますが、シャムル自身が「いつ死んでもいい」というちょっとした諦めの表れだったりします。




