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ダンジョンにハローワークを開いたら魔物が面接に来た  作者: あゆと


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19/20

銀髪の魔族(前職:?)

待合室の空気が変わった。


フェアリーのピピルが、求人票を盛らずに読み上げた直後だった。受付机には花粉を落とすための皿があり、リィナの手元には『そこまで』と書かれた表示カードが残っている。掲示板の前には、まだ求人を見に来た魔物たちの小さな列があった。


その列が、音もなく割れた。


ゴブリンが炭袋を抱えて道を空ける。インプが受付机の下へ戻る。ミノタウロスのバルドは手持ち看板を胸の前で止め、保管庫前のミミック、ミクが低く鳴った。ピピルは喋りかけた口を、自分の両手で押さえた。

黒い外套の裾が、受付の床を静かに擦る。銀の髪。小柄な体。整いすぎた顔。

見た目だけなら、貴族の娘に見えたかもしれない。けれど待合室にいた魔物たちは、誰もその小ささを笑わなかった。

リィナの指先から、羽ペンが滑りかけた。


銀糸将軍リゼリア。


旧魔王軍中央人事局にいた者なら、その名は知っている。人事異動の書類に載るような相手ではない。上層名簿の、赤い封印がついた区分に置かれていた名前だ。リィナが知っているのは、そこまでだった。

そのリゼリアが、今、受付机の前に立っている。

アーベルは羽ペンを置いた。

「来たか」


リゼリアは、最初にアーベルを見なかった。

受付横の掲示板を見た。


炭焼き区画、夜番見習い募集。

下層排水路保守班、酸性体質歓迎。

大型荷物搬入補助、力のある者歓迎。

求人掲示板管理補助、掲示物を盛らない方。

重要物品保管箱、開封申請は受付へ。


リゼリアは掲示板の一枚一枚を読んだ。最後の『噛まない宝箱も、宝箱』という小さな注意書きで、銀の睫毛がわずかに下がる。

「求人票、ですか」

静かな声だった。怒鳴っていないのに、待合室の端にいたスケルトンの骨が、かたりと鳴った。

「ここは、退避拠点だったはずです。兵を逃がし、集め直し、もう一度立つための場所。魔王様が、そのために残した場所です」

退避拠点。魔王様。兵を集め直す場所。

最近ここへ来た者には、意味が分からない言葉だった。だが、古い兵だった者たちは反応した。ゴブリンのガルが炭袋を抱え直し、オークのボルガが壁際で肩を起こす。

アーベルは、そこにある全部を見たうえで、否定しなかった。

「今はダンジョンで、ここは魔物職業安定所だ」

「見れば分かります。分かるから、聞いています」

リゼリアはそこで、ようやくアーベルを見た。


「アーベル。あなたは、ここで何をしているのですか」


リィナは書類を抱え直した。

リゼリアが局長を知っている。それ自体は不思議ではない。アーベルは旧中央人事局長だった。軍の上層と面識があってもおかしくない。

ただ、目の前の二人の間には、書類上の面識では説明できない静けさがあった。

アーベルは待合室へ視線を戻す。求人票を握るゴブリン、床を溶かさないよう端を進むスライム、木の食券を待つオーク、掲示板の上で黙っているフェアリー、噛まずに蓋を閉じているミミック。

「残った者を食わせている。寝かせている。働かせている」

「兵だった者たちを、別々の仕事に就けているのですね」

「そうだ。兵でなくなった者に、今日の持ち場を渡している」

リゼリアの顔は動かない。けれど、銀の髪の先だけが、風もないのに少し揺れた。

アーベルは立ち上がった。

「奥で話す」

リゼリアは何も言わずに歩き出した。リィナは書類を抱え、二人の後ろを追う。


通されたのは、魔物職業安定所の奥にある会議室だった。


扉が開いた瞬間、リゼリアは足を止めた。

そこには長い机があった。昔の作戦卓だ。傷も、焼け跡も、古い魔力の焦げた跡も残っている。

だが机の上にあるのは軍令書ではない。相談用の椅子、茶の入ったポット、厚い求人票の束、木の食券を入れた箱だった。

壁には外縁防衛図が残っている。その横に、食堂当番表が貼られていた。

補給路の地図の下には、求人掲示板の配置案。軍団配置表の端には、配属予定表。

さらに、紙の端には大きな字の注意書きが並んでいた。


『噛まないこと』

『花粉は落としてから掲示』

『壁を動かす前に声をかける』

『迷子は倒さない』


リゼリアは長く黙った。

怒っている。

だが、どこから怒ればいいのか分からない顔だった。

「アーベル」

声は静かだった。

「作戦卓で、食堂当番を決めないでください」

リィナは書類を抱えたまま、思わず目を伏せた。笑ってはいけない。絶対に笑ってはいけない。そういう顔だった。

アーベルは作戦卓の上に置かれた食券箱を、少しだけ横へ寄せた。

「ここに置くと、配り忘れない」

「便利で片づけないでください。ここは、兵を動かす場所です」

「今は、飯を配る場所でもある」

「飯は大事です」

リゼリアはそこで、少しだけ言葉を詰まらせた。飯が大事なことは、否定できなかったらしい。

「ですが、作戦卓の上にポットを置くのは違います」

「茶がないと、相談が長い時に倒れる」

「相談をここでしないでください」


リゼリアは椅子には座らなかった。

作戦卓の前に立ったまま、壁の紙を見ている。外套の袖口は少し裂けていた。銀髪は整っているが、毛先だけが不自然に短い。焼けたのだと、リィナにも分かった。

「私は、魔王城が落ちると思っていませんでした」

その声は、さっきより低かった。

「魔王様がこの場所を用意した時も、弱い備えだと思いました。万が一など考えない方が強い。逃げ道を考える者から負ける。私は、そう思っていました」

細い指が、外套の袖をつまむ。黒い布の裂け目が、ほんの少し広がった。

「ですが、魔王城は落ちました。魔王様は討たれました。私は逃がされ、傷で動けず、ここへ来るのが遅れました」

リィナは初めて、目の前の少女を小さいとは思わなかった。

椅子に座れば背も低いだろう。手も細い。顔も整っている。けれど、その声の底には、折れた城壁の砂と、燃えた軍旗の匂いがあった。

「だから来たのです。残った兵を集めるために」

リゼリアはアーベルを見た。

「それなのに、ここには求人票があります」

アーベルは作戦卓の向こうに立ったまま、窓の外を見た。

会議室からは、待合室の一部が見える。

ガルが炭袋を抱え、食堂の方へ歩いていた。プルムが床に広がらないよう、小さくまとまって端を通る。ボルガは荷物を置く前に、壁との距離を確かめている。バルドは迷子のインプを倒さず案内していた。ミクは保管庫前で、蓋を閉じたまま動かない。ピピルは掲示板の前で、言いたいことを飲み込んでいる。

「戦場では、役に立ちません」

リゼリアは窓の外を見たまま言った。

「焼討ち部隊が炭袋を運び、迷宮の番人が迷子を案内し、罠箱が噛まない。弱くなったようにしか見えません」

「ここは戦場じゃない」

「だから腹が立つのです」

リゼリアの声が、初めて少し震えた。


「みんな、まだ生きているのに」


その一言だけは、責める言葉ではなかった。悔しさだった。

リィナは書類を握ったまま、何も言えなかった。アーベルもすぐには答えない。

待合室から、食堂の鍋を動かす音が小さく届いた。炭の匂い。湿った石の匂い。花粉を落とした皿の甘い匂い。どれも戦場の匂いではなかった。

「残った者を、もう一度兵に戻すべきです。命令を与え、隊を組み、補給を整える。今なら、まだ間に合います」

リゼリアは顔を戻した。美しく、冷たい、将軍の顔だった。

「あなたは兵を集めていない。戦える者を、戦場ではない場所へ置いている」

アーベルは否定しなかった。

「置いている。炭焼きへ、排水路へ、搬入区画へ、掲示板へ、保管庫へ」

「それを認めるのですか」

「認める。集めれば、また戦場になる」

「戦場が必要です」

「守る場所が先だ」

「その守る場所を、あなたは食堂当番表で埋めている」

リゼリアの視線が、もう一度壁へ行った。

食堂当番表の紙が、換気の風で少し揺れている。

「アーベル。私は、まだ認めません」


彼女の足元に、細い銀糸が一本落ちた。

石の目地が、音もなく裂ける。


リィナの背中に冷たいものが走った。

糸だ。

ただの糸ではない。

かつて戦場で、騎兵を止め、城門の鎖を断ち、逃げる敵兵を部隊ごと縛った銀糸。それが、一本だけ床へ落ちただけで、部屋の空気を変えた。

「言葉では、足りません」

リゼリアはアーベルを見た。

「訓練区画へ行きます」

それだけで意味は通じた。戦うのだ。

リィナは止めようとして、喉の途中で言葉を失った。目の前の二人は、受付で揉めている応募者ではない。同じ古い戦場から来た者同士だった。

「魔王様がいらした頃なら、叱られました」

リゼリアの銀の睫毛が、ほんの少し伏せられる。

「今は、叱る方もいません」

アーベルは、机の上に置いていた求人票の束を横へ寄せた。一番上には、『食堂搬入補助 二名募集』の文字が見える。

「リィナ。本日の受付は終了だ。待合室には木の食券を配れ」

「局長は、訓練区画へ行かれるのですね」

「そうだ」

リィナは唇を結んだ。怖かった。けれど、やることがあるのは助かった。

「止めた方が、よろしいですか」

アーベルは少しだけリィナを見た。叱るでもなく、笑うでもない顔だった。

「止められるなら頼む」

「無理です」

「なら、食券だ」

リィナは深く息を吸い、書類と木の食券の箱を抱え直した。作戦卓の上ではなく、待合室へ持っていくためだ。

リゼリアは作戦卓の端に貼られた注意書きを見た。


『走らない』

『押さない』

『噛まない』

『盛らない』


リゼリアは眉を寄せた。

「禁止事項が多すぎます」

「必要だからな」

リゼリアは何も言わず、前を向いた。

可愛らしい横顔だった。だが、床に落ちた銀糸は、まだ石を裂いている。


廊下の奥にある訓練区画は、今では訓練というより練習場だった。


大型魔物が壁にぶつからず曲がる練習をする場所。荷物を落とさず置く練習をする場所。火を大きくしない練習をする者が、責任者に怒られる場所。

それでも床は厚く、壁は深く、天井には昔の魔力補強が残っている。

リゼリアが扉の前で足を止めると、銀糸が外套の裾から静かにほどけた。床を這い、壁を伝い、空気の中で見えない弦になる。

「リゼリア、施設は壊すな」

アーベルが言うと、リゼリアは不満そうに唇を結んだ。

「……必要なところ以外は」

「必要なところも壊すな」

リゼリアは返事をしなかった。

アーベルは扉を開けた。

中は暗い。

リゼリアが先に入る。

小柄な背中。黒い外套。銀の髪。

それでも、そこにいるのは少女ではなかった。

四天王第二席。

銀糸将軍リゼリア。

アーベルも入る。


リィナが待合室へ戻ると、誰も声を出していなかった。

木の食券を配る音だけが、やけに大きく聞こえる。

ピピルも喋らない。バルドも手持ち看板を下げたまま動かない。保管庫前のミクだけが、低く、かたんと鳴った。

奥の扉が閉まる音がした。

リィナは食券の箱を抱えたまま、指先に力を入れた。さっきまで作戦卓の上にあった箱だ。食堂に並ぶ者へ渡す、ただの木の食券が入っている。


食券の箱が、急に重くなった。


その夜、魔物職業安定所の灯りはいつもより早く落とされた。

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