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ダンジョンにハローワークを開いたら魔物が面接に来た  作者: あゆと


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16/20

業務報告書 サキュバス(仮採用一日目)

 メルは、仮採用通知を指先で挟んだまま、相談室の前に立っていた。


 通知書には、リィナの字で細かく書き込みが増えている。

 香りが移らないよう少し厚めの紙にされたせいで、普通の通知書より硬い。胸元に挟もうとしたところを、朝から二度止められた。


 配属先:離職相談員補助。

 雇用形態:試用。

 業務内容:相談聞き取り、職場不一致確認、面談票作成補助。

 注意事項:誘惑禁止。口約束禁止。目を見すぎない。個室面談は必ず同席者を置く。


「目を見すぎない、だけ納得できないわ」


 メルは小さく言った。

 相談室の扉には、すでに貼り紙が並んでいる。


『相談中』

『誘惑禁止』

『口約束禁止』

『目を見すぎない』


 昨日まで、彼女は敵の兵士を見つめる仕事をしていた。

 疲れている者。不満を抱えた者。褒められたがっている者。誰かを憎まないと立っていられない者。そういう相手を見つけ、声をかけ、隊列から少しずつ外していく。

 目を見るな、という命令は、刃物を持つなと言われた剣士に近い。


 相談室の中では、アーベルが机の端に相談票を置いていた。

 リィナは同席者用の席に座っている。羽ペン、水差し、木の砂時計、それから小さな表示カード。昨日の面接より、机の上がやけに実務的だった。


『相談者を誘惑しない』

『答えを先に決めない』

『困ったら局長を見る』


 メルは最後の表示カードを指先で弾きかけて、リィナに見られ、やめた。


「私、そんなに信用ない?」

「昨日、仮採用になったばかりです」

「正直ね」

「受付ですので」


 アーベルは相談票の一枚目を軽く叩いた。


「初相談だ」

「昨日言っていた、工房を半日で辞めたオーク?」

「正確には、辞めたのではなく作業停止だ」

「上司を壁ごと持ち上げた子ね」

「その上司が、まだ壁についている」

「相談室に来る前に、壁をどうにかした方がよくない?」


 扉の外で、床がぎしりと鳴った。

 リィナが立ち上がり、扉を開ける。入ってきたのは大柄なオークだった。肩が広く、腕が太く、腰をかがめても扉枠に角が当たりそうになる。本人は気をつけているつもりらしいが、相談室の椅子がすでに逃げたそうに見えた。


「名前は」

「ボルガです。工房で、荷物運びに入りました。半日で止められました」

「辞めたのではなく、止められた?」

「作業を止めろと言われました。上司が壁についていたので」

「そこを軽く言うな」


 アーベルが作業停止の確認票を手元に寄せる。

 メルはボルガを見上げた。甘い声は出さない。出せば、たぶん話は早く進む。だが、早く進んだ分だけ、どこかで曲がる。


「ボルガ。あなたは、その上司を嫌いだったの?」

「いいえ」

「怒っていた?」

「いいえ」

「じゃあ、どうして壁ごと持ち上げたの?」


 ボルガは太い指を膝の上で組んだ。

 椅子がまた、ぎし、と鳴る。ボルガは慌てて腰を浮かせた。


「荷物の置き場を聞きました」

「うん」

「上司が、あっちだ、と言いました」

「うん」

「でも、上司の前に壁がありました」

「そこで普通は、回り込むか、もう一度聞くの」

「はい。今は、そう思います。でもその時は、上司ごと持ち上げれば早いと思いました」


 リィナの羽ペンが止まった。

 メルも少し止まった。

 アーベルだけが、確認票に淡々と書き込んでいく。


 相談者:ボルガ。

 作業場所:工房搬入区画。

 発生事案:上司を壁ごと持ち上げ、作業停止。

 本人の認識:近道。

 現場の認識:事故。


「局長。本人の認識、近道でいいんですか」

「本人の認識としては合っている」

「現場の認識が強すぎます」

「上司が壁についているからな」


 ボルガは肩を落とした。

 落としても大きい。


「壊すつもりはありませんでした」

「そこは、たぶん本当ね」


 メルは言いかけて、途中で止めた。

 リィナが表示カードへ視線を落とす。


『答えを先に決めない』


 メルは息を吐いた。香りが少しだけ甘くなり、すぐに薄くなる。


「ごめん。今のは決めかけたわ。ボルガ、あなたは壊すつもりはなかった。でも、どうして早く運ぼうとしたの?」

「工房の人たちが忙しそうでした。俺は持てます。だから、早く持てば役に立つと思いました」

「役に立ちたかった?」

「はい」

「止められた時、何が嫌だった?」

「力があるのに、待てと言われることです」


 メルはその言葉をすぐに飾らなかった。

 誘惑工作員だった時なら、そこに甘い言葉を差し込んだのだろう。あなたは悪くない。あなたの力は素敵。分かってくれない工房が悪い。そう言えば、相手は簡単にこちらを見る。

 だが、アーベルが昨日言った。


 曲げるな。ほどけ。


 メルは相談票に視線を戻した。


「力があるから、すぐ動きたくなる。でも、工房では誰かが置き場を決めていて、誰かが壁を見ていて、誰かが通路を空けている。あなたが早く持つと、その人たちの仕事が飛ぶのね」

「飛ぶ」

「上司も飛んだわね」

「はい」

「そこは返事が早いのね」


 ボルガはますます肩を落とした。

 椅子の脚がまた鳴る。


「すみません。椅子も壊しそうです」

「気づいたのはいいことよ」

「いいことですか」

「ええ。今、壊す前に止まったもの」


 メルがそう言うと、ボルガは膝の上の手を見た。

 大きな手だった。壁ごと上司を持ち上げる手だ。けれど、今は椅子を壊さないよう、少し浮いている。


 アーベルは立ち上がった。


「現場を見に行く。メル、相談票を持て。リィナ、同席。ボルガは先に歩くな」

「俺が案内します」

「案内はいい。先に歩くな」

「なぜですか」

「壁がまだついている」


 工房搬入区画へ向かう通路は、相談室より少し広い。

 ボルガは何度も肩を引いた。角が壁に近づくたび、リィナが表示カードを上げる。


『壁との距離』


 ボルガはそのたびに止まった。

 一回目は遅い。二回目も遅い。三回目で、壁に当たる前に止まった。


「三回目、少し早くなったわ」

「褒めてますか」

「今のは褒めてる」

「ありがとうございます」


 ボルガの顔が少しだけ明るくなる。

 メルは自分の声が甘くなりすぎていないか、リィナを見た。リィナは羽ペンを持ったまま、ほんの少しだけ頷いた。

 許可が出たらしい。

 面倒な職場だった。


 工房の前には、数名の職人魔物が集まっていた。

 全員、上を見ている。

 その視線の先、工房の壁に、上司がいた。


 正確には、上司と壁板が一緒に浮いていた。

 上司は壁板にしがみつき、壁板は梁に引っかかり、全体として「まだ落ちていない」という状態を保っている。


「局長。あれは、壁についていると言ってよいのでしょうか」

「壁が上司についている、とも言える」

「言い方を変えても解決しません」

「分かっている」


 上の上司が叫んだ。


「ボルガ! お前、戻ってきたのか!」

「はい! 相談してきました!」

「相談より先に降ろせ!」

「降ろしていいですか!」

「いいに決まっているだろう!」

「局長、降ろしていいそうです!」


 アーベルは首を横に振った。


「まだ持つな。誰が頼んだか、どこへ降ろすか、壁との距離は足りるか。確認してからだ」

「今ですか」

「今だ。上司が上にいる時ほど、確認する」


 メルは相談票の裏に、大きく書いた。


『持つ前に確認』

『誰が頼んだか』

『どこへ置くか』

『壁との距離』


 リィナがそれを厚紙に写し、簡易の表示板にした。

 ボルガは一文字ずつ読む。


「誰が頼んだか。上司が頼みました」

「どこへ置くか」

「床です」

「もう少し詳しく」

「工房の床。壁から離れたところ」

「壁との距離は」

「足りません。木箱が邪魔です」


 ボルガは木箱を見た。

 すぐ持とうとして、止まる。


「この木箱は、誰が動かしていいですか」


 工房の職人たちが、そろってボルガを見た。

 上司も壁板の上から黙った。

 半日で上司を壁ごと持ち上げたオークが、木箱ひとつの許可を取っている。


「それは、動かしていい」

 職人の一人が答えた。


 ボルガは木箱を持ち上げた。

 軽すぎたのか、最初だけ勢いが余った。だが、途中で腕を止め、床へ静かに置き直す。

 それから上司を見上げた。


「今から降ろします。壁板ごとですか。上司だけですか」

「私だけにしろ!」

「壁板はどうしますか」

「あとで直す!」

「壁板は持たなくていいそうです」


 ボルガは報告してから、上司をつかんだ。

 今度は壁ごとではない。服の背中と腰の帯を支え、ゆっくり下ろす。

 上司の足が床に着いた時、工房の魔物たちがまとめて息を吐いた。


 上司は怒鳴ろうとして、ボルガの手元を見た。

 その手は、まだ上司の服を引っ張っていない。壁にも触れていない。降ろしたあと、すぐ離れている。


「……次から、最初に聞け」

「.......はい」

「勝手に持つな」

「.......はい」

「だが、降ろしたのは助かった」

「はい!」


 ボルガの返事は、さっきより小さかった。

 小さいが、悪くない返事だった。


 メルは相談票に書き足した。

 本人は役に立ちたい。急ぐと事故になる。確認すれば、救助は可能。

 それから少し迷い、最後に一行を加える。


 褒める時は、壊さなかった点を具体的に言う。


 リィナが横からのぞき込み、静かに頷いた。


 相談室へ戻るころには、ボルガの歩幅は行きより狭くなっていた。

 壁に肩を当てないためである。

 相談机の前で、アーベルは表示板をボルガに渡した。


『持つ前に確認』

『誰が頼んだか』

『どこへ置くか』

『壁との距離』


「明日から搬入区画で試用継続だ。持つ前にこれを読む。読めない時はリィナか現場担当に聞け」

「はい」

「上司を持つ時もだ」

「上司は、持たない方がいいですか」

「基本は持つな」

「落ちそうな時は」

「その時も確認してから持て」

「分かりました」


 ボルガは表示板を両手で受け取った。

 武器ではない。命令書でもない。だが、彼はそれをかなり真剣に持っていた。


 メルは椅子に座り直し、大きく息を吐いた。


「敵の指揮官を落とす方が楽だったわ」

「相談は敵を落とす仕事ではない」

「分かってる。落としたら、また壁につくもの」

「分かり方が少し違うが、今日はそれでいい」


 アーベルは棚から薄い木の勤務証を取り出し、机に置いた。

 黒い字で、短く書かれている。


 相談員補助見習い。


 メルはそれを見て、眉を寄せた。


「見習いって、私に似合わないわ」

「初日だ」

「相談室の鍵は?」

「渡さない」

「信用がないわね」

「同席つきなら、明日も来ていい」


 メルは木の勤務証を指先でつまんだ。

 胸元に挟もうとして、リィナを見る。リィナは何も言わない。ただ、通知書を手で持ってください、と言った時と同じ顔をしている。


 メルはため息をつき、勤務証を手で持った。


「手で持てばいいんでしょう」

「はい」

「受付って細かい」

「相談室も細かくなります」


 その時、工房の方から職人が駆け込んできた。

 リィナがすぐに立ち上がる。


「上司の方は」

「外れました!」

「壁は」

「壁も外れました!」


 相談室が静かになった。

 アーベルは作業停止の確認票の下に一行追加した。


 上司は、壁から外れた。壁は、まだ工房の一部ではない。


 メルは机に額をつけた。


「明日も相談?」

「明日は工房修繕班と再面談だ」

「離職相談じゃなくて、事故処理じゃない」

「だいたい隣にある」

「職安って、思ったより壁を見るのね」


 夕方。

 魔物職業安定所に、一枚の業務報告書が届いた。


【業務報告書】

配属者:メル

配属先:離職相談員補助

雇用形態:試用一日目

担当業務:相談聞き取り、職場不一致確認、面談票作成補助

相談者:ボルガ

相談内容:工房を半日で作業停止。上司を壁ごと持ち上げた件

良好点:相談者の本音把握、緊張緩和、現場確認への同行

注意点:声が甘くなりやすい。答えを誘導しようとする癖あり。継続指導

破損物:工房壁板一枚

相談者の離職:撤回

誘惑使用:なし

備考:相談者を曲げずに戻したため、明日も同席つきで勤務を許可

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― 新着の感想 ―
修正ありがとうございます、メルのこれからに期待!
15話と16話がおなじないようになっていませんか?
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