ミミック(前職:偽装宝箱)
「前職は?」
「偽装宝箱」
「貴重品保管および不正開封対応経験あり、と」
俺が面接記録にそう書き込むと、補佐のリィナは受付机の前に置かれた宝箱を見下ろした。
昨日から入口の横に置かれていた宝箱である。木目は古い。金具は鈍く光り、蓋の隙間からは何も見えない。ただ、番号札だけはしっかり挟んでいる。
履歴書は出ていない。
本人確認も難しい。
そもそも、本人がどこからどこまでなのか分かりにくい。
「局長。不正開封対応というのは」
「手を入れた者への反応だ」
「反応の方法が、たぶん噛みつきですよね」
「対応方法が過剰だった。そこを研修する」
リィナは宝箱へ丁寧に声をかけた。
「お名前を確認したいので、可能な範囲で、蓋を少しだけ開けていただけますか」
宝箱は、かたん、と小さく鳴った。
拒否らしい。
待合室にいた魔物たちが、少しずつ距離を取った。通路整理係のミノタウロス、バルドだけが手持ち看板を持ったまま宝箱を見下ろしている。
「こちらです」
「バルド、案内しなくていい。宝箱は動かないものが多いが、今回はその前提を信用しすぎるな」
俺は受付机から長い木の棒を取った。職安備品である。用途欄には「届かない書類を引き寄せるため」と書いてあるが、実際にはよく分からない応募者を確認する時にも使われる。
「局長、それで開けるんですか」
「開けない。噛まれない範囲で反応を見る」
宝箱の正面に立ち、棒の先で蓋を軽く叩いた。
こん。
宝箱は動かない。
二度目も動かない。
三度目で、蓋がほんの少しだけ開いた。
内側に、歯があった。
リィナが無言で一歩下がった。バルドが手持ち看板を構える。構えるものではない。
俺が棒を引くと、宝箱の蓋が、がちん、と閉じた。
「ミミックですね」
「ミミックだな。宝箱ではないが、応募者ではある」
宝箱、いやミミックは、かたん、と鳴った。
どうやら否定ではない。
箱の内側から、低い声が響いた。
「……ミク」
名乗ったらしい。
どこを見て話せばいいのか分かりにくいが、俺は蓋の金具あたりへ視線を置いた。
「ミク。第七迷宮の偽宝物庫で働いていた、という理解でいいな」
「八年」
「業務内容をまとめろ」
「待つ。宝箱のふりをする。開けられる。手が入る。噛む。閉じる。残った物を中に入れる」
リィナが顔をしかめた。
「局長、最後がだいぶ不穏です」
「後で確認する」
俺は面接記録へ書き込む。
長時間待機。偽装保管。開閉管理。収納物保持。貴重品識別。不正開封時の即応性。噛み癖、要矯正。
「噛み癖と書くと、犬みたいです」
「噛み癖だ。犬より危険だから太字にした」
ミクの金具が、かすかに鳴った。
緊張しているらしい。分かりにくいが。
「開閉回数は」
「平均、三回。勇者候補試験は、多い。二十七回」
「二十七回すべて噛んだわけではないな」
「二十六回」
「残り一回は」
「鍵を開けられなかった」
リィナが眉を寄せた。
「今の、どう処理します?」
「開錠耐性あり。開けにくい箱は、保管業務で価値がある」
「人を噛む箱ですよ」
「人を噛まない研修をする。どうにもならなければ採用しない」
ミクはしばらく沈黙した。
蓋の隙間が、ほんの少しだけ狭くなる。
「希望職種は、宝箱のままか」
「宝箱」
「できることは、待つ、閉じる、開く、隠す、噛む。最後は外す」
「困る。噛まないと、空っぽだとばれる」
リィナが少しだけ黙った。
ミミックにとって、噛むことは攻撃である前に、仕事だったのだろう。もちろん、噛まれる側には関係ない。
「中身はあるのか」
俺が聞くと、ミクは長く動かなかった。
それから、蓋を少しだけ開けた。
中には、古い銀貨が三枚、割れた指輪、錆びた短剣、誰かの折れた鍵、名前の削れた小札、湿った布が入っていた。
宝物庫と呼ぶには少ない。罠と言い切るには、湿った布が妙に生活に近かった。
「拾った物か」
「残った物」
「何が残した」
「持ち主」
「その言い方は採用後に矯正する」
「考える」
リィナは、それ以上やさしい顔をしなかった。
ミクは宝箱に化けて、開けた者を噛んできた魔物だ。だが、八年も偽宝物庫に置かれていたなら、開ける者も、開けられない日も、置き去りにされた物も見てきた。
俺は木の棒を机へ戻し、面接記録の余白を開ける。
「第七迷宮は閉じたのか」
「閉じた。宝物庫に、誰も来なくなった」
「ここへはどう来た」
「逃げるゴブリンが、運んだ。落とされたら置いていかれるから、開いた。でも、噛まなかった」
「番号札を挟んだのは」
「待つ場所だと聞いた」
リィナが、番号札を見直した。
確かに、箱の前金具に器用に挟まれている。手はない。だが、待つ場所と順番は守っていた。
「開ける者がいない宝箱は」
ミクの蓋が、かすかに沈む。
「ただの箱」
俺は求人棚から一枚抜いた。
「これだ」
リィナが受け取り、読み上げる。
職種、重要物品保管箱。業務内容、鍵付き書類の保管、夜間の不正開封検知、盗難時の警報、運搬時の内容物保持。歓迎経験、長時間待機、開閉管理、偽装、貴重品保持、侵入者対応。注意事項、職員を噛まない。申請者を噛まない。中身を勝手に消化しない。警報は鳴らすだけにする。
リィナは最後まで読み、求人票を見直した。
「警報は鳴らすだけにする、とは」
「噛むなという意味だ」
「上にも書いてあります」
「二回書くほど重要だ」
ミクは求人票を見ている。
たぶん見ている。目は見えないが、蓋の角度がそう言っている。
俺は説明をまとめた。
「箱のまま働ける。正規の鍵なら開く。不正に開けられたら音を鳴らす。中身は守る。噛まない。少しもだ」
ミクは、かたん、と鳴った。
小さい。
次は、がたん。
三度目は、ガタン。
「警報としては弱いが、初日はそれでいい」
バルドが横から低く言った。
「私が立てば、盗まれません」
「誰も近づかなくなる。業務が止まる」
「よい保管では」
「過剰だ」
リィナが、警報欄に小さく追記した。
必要時、通路整理係と連携。ただし常時配置は不可。
「ミミックとミノタウロスの連携、絵面がもう罠部屋です」
「重要物品保管には向いている」
「職安の奥に置いたら、誰も申請書を取りに来なくなります」
「置き場所は考える」
俺はミクに向き直る。
「試用期間は三日。初日は書類保管庫の夜間警報だ。中身は人事書類。食べるな。湿らせるな。正規の鍵なら開ける。不正なら鳴る。噛まない」
ミクは沈黙した。
待つことは得意なはずなのに、今だけは箱の金具が小さく震えている。
「噛まない宝箱は、役に立つ?」
「役に立つ。空っぽなら、これから中身を預ける」
俺は求人票を指で押さえた。
「奪う者を待つのではなく、預けられた物を守る仕事だ」
ミクの蓋が、ゆっくり閉じた。
それから、かたん、と鳴る。
「守る」
「そうだ」
「宝箱みたい」
「宝箱だからな」
リィナが小さく言った。
「局長、それは翻訳じゃなくて原点回帰では」
「職務経歴の再定義だ」
「便利な言葉ですね」
「職安ではよく使う」
俺は仮採用通知を厚紙で出した。
ミクは受け取れない。手がない。仕方ないので蓋の隙間に挟む。噛まれない角度を選ぶのも、職安業務の一部である。
「明日、保管庫前に配置する。すでに待機能力は基準を満たしている。昨日の朝から待っていたからな」
「もう、いる」
「遅刻はなさそうだ」
リィナは、仮採用通知を挟んだミクを見て、ようやく少し肩の力を抜いた。
「履歴書はどうしますか」
「こちらで代筆する」
「噛まないなら、書けない。前は、手を入れた者が勝手に書いてくれた」
リィナが固まった。
俺は面接記録の余白に、ひとつだけ線を引いた。
履歴書代筆、必須。
ミクが、かたん、と満足げに鳴った。
保管庫行きの仮採用通知を挟んだ宝箱は、入口横でまた静かに待機を始める。昨日までと違うのは、番号札ではなく通知書を挟んでいることだ。
そして待合室の外から、甘ったるい香水の匂いが流れ込んできた。
リィナが鼻を押さえる。
「次の方、香りが強いですね」
「履歴書を確認しろ」
「前職欄が……誘惑担当、士気低下工作、夜間接触任務」
「サキュバスか」
「希望職種は、受付です」
俺は、そっと受付机の上の書類を裏返した。
「まず、服装規定から面接する」




