業務報告書 ミノタウロス(仮採用一日目)
大型区画の通路整理係に、ミノタウロスを置いた。
結果から言う。
通路は、過去最高に静かだった。
静かすぎる、とリィナは言った。
食堂前通路で小走りになるインプがいない。荷車の前へ飛び出すゴブリンもいない。スライムは壁際で幅を縮め、オークは荷物を抱え直してから曲がり角へ入る。
ただし、全員が一度止まる。
理由は明白だった。
ミノタウロスのバルドが、手持ち看板を持って立っているからである。
看板には、アーベルが書いた。
『こちらです』
ただそれだけの看板である。
だが、それを持っているのが、片目に傷のある巨体のミノタウロスだった。角は天井梁すれすれ、肩幅は通路の半分、鼻息だけで軽い伝票が揺れる。
案内というより、降伏勧告に見えた。
「こちらです」
声量は、昨日より落ちている。
それでも、食堂へ向かうインプ三匹が同時に背筋を伸ばした。
「ありがとうございます! 食堂へ急ぎます! 逆走しません!」
誰も逆走の話はしていない。
バルドは真面目に頷いた。
「よい通行です」
インプたちは、通路の右側をきれいに一列で進んだ。走らない。押さない。曲がり角では減速する。
食堂前で昨日まで毎回起きていた衝突事故が、今日は一度も起きていない。
「局長。効果はあります」
「なら問題ない」
「問題が、効果と同じ顔をしています」
リィナの視線の先で、バルドは次の通行者へ手持ち看板を向けていた。
そこへ、小麦袋を積んだ荷車が来た。
食堂の仕込み用だ。小麦袋は十二。荷車を押しているゴブリン二匹は、採用されたばかりの仮作業員である。二匹とも、バルドを見た瞬間に止まった。
右から食堂へ向かうインプ。左から戻ってくるスライム。奥には空の木箱を抱えたオーク。曲がり角の向こうからは、何かが転がる音もする。
普通なら混ざる。混ざると詰まる。詰まると小麦袋が落ちる。
バルドは手持ち看板を横へ向けた。
「荷車を先に通す。歩行者は壁側。スライムは、広がるな」
スライムがきゅっと縮んだ。
オークは木箱を胸に抱え直した。
ゴブリン二匹は顔を見合わせ、荷車をゆっくり押した。
小麦袋は落ちなかった。
アーベルは手元の確認票に丸をつける。
通路整理、適性あり。
大型荷物通行時の判断、良好。
声量、要継続調整。
「迷宮番人は、通路の詰まりを見慣れている」
「詰まったら倒していた方ですよね」
「今日は倒していない」
「成長基準が物騒です」
問題は、その十分後に起きた。
迷子である。
診療所へ行くはずのコボルトの子が、食堂前で固まっていた。手には診療券。耳は伏せている。案内板を見ているが、文字が多すぎて読めていない顔だった。
バルドが気づく。
「迷子か」
子コボルトは跳ねた。
「違います! 少しだけ、目的地が逃げました!」
目的地は逃げない。
ただ、その気持ちは少し分かる。
バルドが一歩近づいた。
子コボルトが一歩下がった。
リィナがアーベルの袖をつかむ。
「局長、近いです」
「近いな」
「止めないんですか」
「止める前に、学習するか見る」
バルドは子コボルトをじっと見た。
その顔に、昨日の面接で見た迷いが浮かぶ。広場に道が五つあると言っていた顔だ。道を知らない者の足音は遅くなる、と言っていた顔でもある。
バルドは二歩下がった。
「こちらです」
声は低い。
だが、今度は通路の奥ではなく、案内所くらいの声だった。
子コボルトの耳が少し上がった。
「倒さない?」
「迷子は倒さない。研修で、そうなった」
子コボルトは診療券を握りしめたまま、そろそろと歩き出した。
バルドは先に立たない。横にも立たない。三歩前を歩き、曲がり角ごとに止まり、手持ち看板を見せる。
『こちらです』
手持ち看板は、少し曲がっていた。
角で一度こすったらしい。
それでも、子コボルトは診療所の前までたどり着いた。扉の前で振り返る。
「ありがとう、ございました」
「次は案内板を見ろ」
「文字が多いです」
「分かる」
バルドは深く頷いた。
そこは共感するのか。
夕方、仮採用一日目の業務報告書が提出された。
紙は厚紙だった。
字は大きい。筆圧も強い。何度か紙を貫きかけた跡がある。リィナが両手で持ち、アーベルの机に置いた。
アーベルは報告書に目を通した。
リィナは横から覗き込み、最後の行で手を止める。
「局長。備考が強いです」
「大事なことだ」
「大事ですけど、業務報告書に書くと圧があります」
「書けるなら守れる」
アーベルは採用経過欄へ印を押した。
その日の夜、魔物職業安定所に一枚の業務報告書が届いた。
【業務報告書】
配属者:バルド
配属先:大型区画の通路整理係
雇用形態:試用一日目
担当業務:通行整理、荷車誘導、迷子誘導、危険箇所前の立哨
勤務区画:食堂前通路、診療所前通路、倉庫搬入口
対応件数:通行整理二十六件、荷車誘導四件、迷子一件、逆走防止三件
良好点:大型荷物通行時の判断、危険箇所前の停止指示、迷子誘導
注意点:声量、接近距離、角の接触確認
破損物:手持ち看板一枚、案内板の角少し、天井梁に擦過跡
未破損:玄関、荷車、小麦袋、迷子
改善案:曲がる前に角の位置を確認する。手持ち看板をもう少し大きくする。声を案内所にする
備考:迷子は倒さない。本人より「案内板は文字が多い」と申告あり
所見:明日も出勤を許可。本人用の大きな手持ち看板を作成予定




