5
ああ、結局はこうなるのだわ。
体が後ろに傾いていくのがやけにゆっくり感じられた。
あれだけ努力をしたにも関わらず、結末はなにも変えられなかった。
やってもいないことをやったと言われ、悪者にされて。
わたしは結局『死神 太郎』のいうとおり、階段から落ちて、そして首の骨を折って死ぬのだろう。
ああ、もしかしたらもう既に、わたしを迎えに『死神 太郎』がそこら辺に来ているかもしれないわ。
もしやつにあったら言ってやるのだ。
「あなたのせいで余計なあがきをしたわ」と。
「たくさん努力してたくさん嫌な思いをして。 それでも結局なにも変えられなかったじゃない」と。
そう言って、たくさん八つ当たりしてやるのだ。
だって結局なにも変えられないのなら、最初からなにも知らされないほうがよかった。
そうしたら、この三ヶ月はそれなりに楽しく暮らせたかもしれない。
そう思って。
いや、それはないな、と思い直す。
もしあの手紙が来なかったら。
わたしは多分セシルを取り戻そうと必死になってしがみつき、嫉妬でサラをイジメていたかもしれない。
その先に死亡、という未来がわかっていたから、頭が冷えただけで。
そう思えば、少しだけ『死神 太郎』に感謝してやってもいいなと思えた。
ジオと一緒にああでもないこうでもない、といいながら対策をたてた日々は、それなりに楽しかった。
もし手紙が届いていなければ、こんなにジオと仲良くなることはなかったかもしれない。
万が一の時ために、大切な人たちに別れの手紙も書けたし。
それに少なくても、今のわたしは『嫉妬に狂った醜い女』として死ぬのではないはずだ。
うん、やっぱり『死神 太郎』にあったら、とりあえず一言文句を言って、その後軽く「ありがとう」といってみよう。
そう結論を出したとき。
ふと誰かが、体のすぐ側を通りすぎて行った気がした。
反射的に顔を向けてみたけど、そこには誰もいない。
でも確かに『何か』がいるのがわかった。
実態のない、でも暖かい光を纏った『何か』。
これはもしかして──『死神 太郎』?
そう思った瞬間、その『何か』に支えられ、体が一瞬だけ浮き上がった。
そして。
『手を、伸ばして』
すぐ耳元で声が聞こえた。
手、を?
でも伸ばしたところで、結局また結末は変わらないんでしょう?
だったら足掻くだけ無駄だわ。
そう思ったのに。
それでもわたしは、言われた通り必死で手を伸ばしていた。
だって。
『まだ、諦めないで、レイ』
またすぐ耳元で聞こえた声。
低音なのによく通る、とても美しい声。
わたしは────この声を知っている。
『必ず僕が救ってみせる。 だから、諦めるな』
ぐいっと、再び光り輝く『何か』にまた体を押し上げられた。
『諦めるな』。
再び強くそういわれて、わたしは必死で手を伸ばした。
空を切るばかりだった、わたしのその手を。
必死で伸ばしたわたしのその手を、誰かががっしりと掴んでくれる。
そして。
「レイラ!」
名前を呼ばれると同時に、ぐいっと体を引っ張り上げられた。
「大丈夫ですか、レイラ!」
「う、うん」
後ろに倒れていくわたしの体を引っ張り上げてくれた誰かの声に、反射的に返事をする。
座り込んだまま、地面に手をついて必死で息を整えた。
心臓が恐ろしい程早鐘を打ちつづけている。
物凄い恐怖で体の震えが止まらない。
怖かった。
今、死ぬところだった。
あの光る『何か』が体を支えてくれなければ。
きっと助けも間に合わず、わたしは階段から転げ落ち死んでいた。
そう思うと、体からすーっと血の気が引いていった。
「あなたは馬鹿なのですか! なぜ屋敷から出るなとあれほど言ったのに、こんなところをウロウロしているのです!?」
ぐいっと肩を捕まれ、顔をあげさせられる。
まず、太陽の光を反射してキラキラと光る金の髪が見えた。
それからこちらを睨みつけるほど強く見つめてくる、黄金の瞳。
そして。
「ご、ごめん、ジオ……」
必死で泣くのを我慢しているかのような表情をした、ジオの姿があった。
「ごめんで済むと思っているのですか。 勝手に死ぬなんて、許しません、絶対に許しませんから」
そういいながら、わたしの無事を確かめるようにぎゅうっと抱きしめてくれる。
「あなたの記憶力はどうなっているのですか」「『部屋でぐ~たらしている』なんていう、これ以上ないほど簡単な指示さえ守れないのですか」「あなたは本当に大馬鹿者だ」と。
そういいながらも、ジオはわたしを気遣うように優しく抱きしめてくれる。
いつかの夜のように、優しく頭を撫でられて。
恐怖で震えていた心と体が、ゆっくりと落ち着きを取り戻していく。
けれど空気の読めない愚か者はやっぱりいるもので。
「大袈裟にも程があるぞ、レイラ! ちょっと押しただけで落ちるふりなんてしやがって! そんなに俺の気を引きたいのか! ふざけやがって!」
「そうよ、恥ずかしいとは思わないの?」
醜く顔を歪めてまたわたしを罵り始めたセシルと、それに全力で同意するサラ。
二人の姿に、場はピシリと凍りついた。
通りには騒ぎを聞き付けたのか、たくさんの通行人の姿があって。
その人たちは皆セシルの発言を聞いて、信じられないと顔をしかめている。
誰がどうみても、落ちるふり、なんかじゃない。
加害者がセシルで、被害者はわたしなのに。
こんなことがあってもまだ、セシルはわたしを悪者にするつもりなのだ。
「ふざけているのはどちらだ」
ゆっくりとわたしの体を放したジオが、わたしを背にかばうようにして立ち上がった。
真っ正面から、セシルの歪んだ顔を睨みつける。
「なんだ、侍従風情が! 伯爵家の俺に文句でもあるのか!?」
「勿論、文句しかない。 お前は婚約者がいるにも関わらず、不貞を繰り返していた。 レイラの婚約は今この時をもって破棄とする。 勿論お前の有責でな。そのための証拠も手に入れたし、何なら今の殺人未遂はここにいる全員に証言させる。 理解したら、今後二度とレイラに近づくな。 まあ、とはいっても、もうお前の貴族籍は剥奪になるがな」
「はあ? 何を偉そうに、平民風情が! おい、ディラン、カイル、こいつを──」
そう言いかけたセシルの言葉が止まる。
確かディランとカイルというのは、セシルの護衛騎士の名前だったはず。
そこまで思って。
ぼんやりとしていた頭が、やっと覚醒した。
「ジオ、あなた怪我は!?」
ジオは、セシルの護衛騎士に暴行を受けたはず。
見たところ、特に怪我はないみたいだけど、もしかしたら見えないところに酷い怪我をしているかも。
それを確かめようとして。
わたしは、マヌケにもぽかんと口を開けた。
「ジ、ジオ?」
ジオが身に纏っているのは、いつもの執事服ではなく。
白いブラウスに、黒地に金糸で細かい刺繍を施したロングベスト、そして黒い編み上げブーツ。
どれも一目で最高高級品だとわかる。
腰に回された帯剣ベルトには、二本の剣までつり下げられていて。
その姿はどう見ても貴族──それも高位貴族だ。
「怪我? あるわけがないでしょう、あんな愚鈍共相手に。 レイラはわたしを侮辱しているのですか?」
「レイラ」と。
物凄く自然に名前を呼ばれて、どきりと心臓が跳ね上がった。
そういえば先程からずっと、『お嬢様』ではなく『レイラ』と呼ばれていた気がする。
名前を呼ばれた。
そんなささいなことで、心臓がトクトクと高鳴った気がした。
「はん、どうせ全力で逃げて来たんだろう? 逃げ足だけはたいしたものだな。 それに何だ、その格好は? 貴族の真似事をしてみたところで、平民が貴族になれるわけがないのに。 滑稽にも程があるな! ああ、おい、そこの警備兵」
騒ぎを聞き付けたのか。
角を曲がって現れた兵士に、セシルが手をあげて合図をする。
浅葱色の制服。
あれは、町の警備兵だ。
すぐに駆け寄ってきた警備兵に、セシルがニヤニヤしながら耳打ちをして。
警備兵の視線が、ゆっくりとこちらを向いた。
明らかにこちらに敵意を抱いている。
まずいわ。
確かにセシルの言うように、貴族にたいしての平民の証言は効力が薄い。
伯爵令息であるセシルと、一応男爵令嬢であるサラの二人が証言すれば、あっという間に事実はネジ曲がってしまう。
権力には権力で対抗しなければ。
ここは公爵令嬢であるわたしが前にでて、と立ち上がろうとして。
「──近衛」
たった一言。
ジオが静かにそう声をあげた。
一拍もおかずに、物陰から数人の人影が飛び出してくる。
音もなく飛び出してきた彼らは、あっという間に警備兵と、サラ、そして未だに口汚く叫び声をあげているセシルを拘束した。
「……は?」
わたしはというと、いきなりの急展開に全く理解が追いつかないでいた。
飛び出してきた人たちは、皆黒地に赤の挿し色が入った軍服を身につけていて。
「どうして彼らがここに……?」
その制服を身につけた人たちを、こんな街中で見ることなんてほとんどない。
だって彼らは。
「ジオエリオン殿下、お怪我はありませんか?」
近衛兵として、王宮にいる王族を守っているのだから。




