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ジオの言いつけ通り、わたしは一時間ほど前まで自室に引きこもっていた。

セシルの実家、バッカス伯爵家にはお父様が話をつけに行ってくれたらしい。

なんとか納得をしてもらい、セシルにも話をすると約束してくれた。


そうしてビクビクしながら一日、二日と時間は過ぎていき。

もう後一日。

今日を乗り切れば──正確には今日の夜まで生き延びれば、『三日以内に』という手紙の期限を越すことが出来る。

そうすればわたしの死亡予告は効力を失うはずだ。


そうわかっていたのに。

あの手紙の内容がもし起こるとしたら、もう今日の昼過ぎしかない、と。

知っていたのに、それでもどうしても。

わたしは家で大人しくしていることが出来なかった。


ジオがいなくなった、と知らせを受けたのだ。

お父様から頼まれた急な使いの途中で、連絡が取れなくなった、と。

聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。


義母との関係が良くないと聞いている。

はっきりとは話したがらなかったけど、部屋に閉じ込められて何年も外に出してもらえなかった、って。(義母の相手をするのが面倒だったとも言っていたけど)

もし見つかったら、殺されるかもしれない、とも聞いた。

大袈裟だな、とその時は思った。

流石に殺人まではしないだろう、と。

でもどうして、ない、なんて言い切れるの?

人なんてある日簡単に死んでしまうのに。

大好きだったレオンお兄様が、事故である日突然いなくなってしまったみたいに。

人なんて簡単にいなくなってしまうのに。


「いやだ、ジオ! いなくならないで!」


気がついた時には部屋から飛び出して、ジオを探して王都中歩き回っていた。

なんの手がかりもない。

もしかしたら、ちょっと迷子になっているだけかもしれない。

でも仲が悪いと言うお義母さんに、捕まってしまったのかもしれない。

ほんの少しでも命の危険があるのなら、保身のために部屋に閉じこもっていることなんて出来なかった。

いつの間に、わたしの中でジオの存在がこんなに大きくなっていたんだろうと思いつつ、必死で探して回る。


そしてわたしは。


「見つけたぞ、レイラ! この悪女め!」


絶対に今日出会ってはいけない人物に、絶対に回避しなければいけない場所で遭遇していた。


「レイラ! お前よくも俺に恥をかかせてくれたな! しかも昨日も今日も、この俺が話をしてやろうと屋敷を訪れてやったのに、追い返しやがって! 何様のつもりだ! そもそも、お前のような可愛げのない女の面倒を、この俺が仕方なくみてやると言っているのに! 婚約破棄だと? ふざけるな! 親の力まで使って、俺の気をひくつもりか? そんなにまでして俺とサラの邪魔をしたいのか!」


よく晴れた昼下がり。

場所は、長い階段を登りきった先にあるカフェ『アムール』の店前。

目の前には直接の加害者であるセシル=バッカス。

そしてその腕にぶら下がっているサラ=エイガー。

手紙の内容と全く同じシチュエーションに、たらりと背中に冷や汗が滑り落ちた。


『アムール』はセシルとサラがよく逢い引きに使っている店なのに。

出会ってしまう可能性が一番高い場所だったのに。

うっかりしていたにも程がある。


じりっと思わず後ろに出した足が止まる。

すぐ後ろは階段だ。

それも結構な段数がある。

ここから突き落とされればただではすまない。

何よりわたしには『階段から落ちて死ぬ』という死亡宣告が届いているのだ。


今から階段を駆け下りたらいい?

それとも、走って反対側に逃げれば助かる?

どうすれば正解か、まるでわからない。

ドクドクと心臓が痛いくらいに早鐘をうっていた。


「レイラ! お前は俺の気を引きたいだけなんだろうが、そうはいかない。 望み通り婚約破棄してやる! お前から言い出したことだ。 今更なかったことにしてと泣いて謝っても、もう遅い! お前のような悪女を一生側に置くなんて、まっぴらだ! ああ、言っておくが、この破談は、勿論お前の有責だ! お前は俺に毎日のように付きまとったばかりか、醜い嫉妬心から俺の愛するサラにもひどい蛮行を繰り返した! 慰謝料はたっぷりともらうからな! 社交界にもしっかりとその事実は広めておく! お前の居場所は今後ないものと思え!」


一方的にまくし立てられて、腹の底から怒りがこみ上げた。

婚約者がいながら、不貞を繰り返したのはそちらなのに。

なぜこうも、毎回毎回怒鳴られなければいけないのか。

こんな憎しみを向けられるほどの事など、わたしは何一つとしてしていないというのに。


けれど両手を握りしめ、唇を噛み締めてなんとか怒りをやり過ごす。

今日、この場所で言い争うのは良くない。

わたしは明日も無事に図太く、そしてしぶとく生き残らなければいけないのだ。

そのために、こんな男たちのことなど相手にせず、一刻も早くここから離れなければ。


無言のままくるりと背をむけ、細心の注意を払って階段を降りようとしたところで。


「なんだ。ここまで言っても、散々迷惑をかけたこの俺に、謝罪の一言もなしなのか? さっきのあの生意気な侍従も、侍従だが。主も主だな」

 

「ほんと生意気」と。

聞こえてきた嘲るような声にピタリと足を止める。


さっきのあの侍従?


ゆっくりと後ろを振り返った。

恐らく焦った表情をしていたんだろうわたしを見て、セシルがニヤニヤと口元に笑みを浮かべる。


「さっきのあの侍従」、とセシルは言った。

わたしには侍女は二人いるけど、侍従は一人しかいない。

そして、何度も(嫌々ながらも)屋敷を訪れたことがあるセシルは、わたしの侍従とは勿論顔見知りだ。


「ジオにあったの? どこで?」


セシルは「さっき」、といった。

その口ぶりは、本当についさっき会ったように聞こえる。

であれば、詳しく聞いてみないと。

そう思った時。


ふと、ある仮説が頭に浮かんだ。


まさかセシルが、ジオの失踪に関係してる?


思った瞬間、ザワリと心のどこか暗いところが音をたてた気がした。


バッカス伯爵から婚約解消について話を聞かされたのか。

そしてもしかしたらその件で、我が家とつながりを持ちたかったバッカス伯爵から叱責でも受けたのか。

昨日、今日と、セシルはそれはもう物凄い剣幕で我が屋敷に乗り込んできた。

先触れもなく、礼儀も敬意も一切払うことなく、門前で怒鳴り散らしたという。

当然わたしは、彼に会うことはせず追い返したわけだけど。

わたしに勝手に怒りと恨みを抱いているセシルが、わたし付きの侍従を街中で見かけたりしたら。


さーっと顔から血の気が引いていくのを自覚した。


セシルは伯爵家の次男(貴族)で、ジオは平民。

貴族の中には、平民の命など取るに足らないと思っている不届きものもいる。

八つ当たりで、平気で傷つけたり、それ以上のことをすることだって十分ありうる。


まさか……。


三年前、馬車の事故でなくなったレオンお兄様の最後の姿が脳裏に蘇った。

わたしもその馬車に同乗していて。

レオンお兄様がかばってくれたから、かすり傷程度ですんだ。

でもその分お兄様は、傷だらけになって。

苦しそうに、痛そうに顔を歪めて。

わたしの腕の中で、わたしの幸せを最後まで祈りながら息をひきとった。


その大好きなお兄様の姿が、ジオの姿と重なった。

もしかしたらジオも今、あんなふうに苦しくて痛い思いをしているのかもしれない。


そう思ったら、もう冷静になんてとてもなれなかった。


「ねえ、ジオに会ったって、どこで会ったの!? まさか酷いことなんてしていないわよね?」

「あの侍従? ……さあ? その辺の路地で今頃冷たくなってるんじゃないか? 俺の護衛を三人もプレゼントしてやったからな」


「生意気にも侍従風情が、貴族の俺に口答えしたんだ、当然だろ」と。

冷たく笑うセシルの姿を見て、あまりの怒りで目の前が赤く染まった気がした。

自分に届いた死刑宣告のことなど、頭から消え去って。


「ふざけないで、どうして──!」


気がつけば、無我夢中でセシルに走り寄って、腕を伸ばしていた。

そこで。


「きゃ」という、弱々しい悲鳴を聞いた。


この女(サラ)の、この手の悲鳴は何度も聞いた。

そうしてその悲鳴が聞こえた後は、いつもわたしが悪者にされるのだ。

「よくもサラに乱暴を働いたな」とか「そんな嫉妬で醜く歪んだ顔でサラに近寄るな」だとか。

そんなイチャモンをつけられて、いつだってわたしが責められた。


そして今回も。


「よくも俺の愛するサラを傷つけたな! 」


触れてもいない。

なのにサラは、まるでわたしに害されたかのように、フルフルと震えながら右手をさすっている。


どう考えたっておかしい。

サラはセシル(あなた)の後ろにいて、わたしの手が届いてるはずがないのに。

なのにわたしは今回も悪者になるらしい。


「サラから離れろ、この悪女め!」


ぐいっと胸倉を捕まれたと思ったら、思い切り後ろに放り投げられた。

もし後ろにも同じように道が続いていたなら、少しよろけただけで持ち直すことができた。


けれど。


体を支えるために咄嗟に出した左足が空を切る。

支えを失って、体はぐらりと簡単に後ろに傾いた。

体を襲う浮遊感。


『三日以内にあなたに会いに行きます』


わたしを迎えに来る『死神』の、聞いたこともないその声が聞こえた気がした。









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