未来からのお客さん②
「……あの〜、里に入るのは、やっぱりやめませんか?」
日向の里の入り口に位置する坑道内で、未来の巽が恐る恐る言う。近くにいるのは、亘、椿、汐、巽。更に御目付役でつけられた淕と、未来の巽、燐鳳という自称奏太の未来の側近、そして縁と言う名の護衛。随分な大所帯。
「俺だって帰りたいけど……」
奏太はチラッと燐鳳に目を向ける。
「以前から、噂に聞いていた『亀島家』がどの様な者達か知りたかったのです。随分昔に御家断――」
「燐鳳殿っ!」
慌てた様子の未来の巽が声を荒げた。
「え、『御家』、何?」
「な、何でもありません!」
巽は挙動不審に奏太にブンブンと両手を振って見せる。
そこへ淕が疲れ切った顔で自分が抱える書類束を見下ろした。
「とにかく御番所に行き、湊様に柊士様からの祭りの書類をお渡しして、すぐに帰りましょう。榮様に会わずに済むなら、それに越したことはありません」
「湊、とは?」
燐鳳の問いに、未来の巽が答える。
「亀島家当主である榮様の三男です。事務方を取り仕切ってるんです。『今は』」
巽の声に、忌々しそうな声音が混じる。亀島家の者にしては、湊は随分とまともな方だが、何かあったのだろうか。
疑問に首を傾げながらも、奏太は亘達に目を向ける。
「亘達は外で待っててよ。淕と、未来の巽と、燐鳳さんと、縁さんとで行ってくるから」
以前、御番所で榮に会った時に、散々亘や汐を侮辱されたのを奏太は忘れていない。少なくとも自分がいる時には、絶対に会わせたくない。
そう思っていると、燐鳳がフッと憂い顔を作った。
「奏太様、どうか、『燐』と呼んでください」
「はい?」
榮に会ったらどう避けようかと考え始めたところに、脈絡もなくそう言われ、奏太は間抜けな声を出した。
「『燐鳳』ではなく、『燐』と。敬称も不要です」
「えぇっと……でも、さすがに初対面ですし……璃耀さんの親戚、なんですよね⋯?」
戸惑う奏太に、亘が首を傾げる。
「私には、初日から呼び捨てではありませんでしたか?」
「いや、あれはお前が初日から無礼全開だったからだろ。結ちゃんを引き合いに出して、『何故、残ったのが貴方がたなのでしょうね』って言われたの、忘れてないからな」
奏太があからさまに嫌な顔をすると、亘は目を丸くした。
「まだ、そのような事を根に持っているのですか? まさか、事あるごとに、私が結様の元に戻るのではと心配なさってるのも、それが原因で?」
「ベ、別に、心配なんてしてないだろ……!」
「またまた。寂し気な御顔をされるではありませんか」
「してないって!」
不意に、何故か燐鳳の手の中でミシッと扇が悲鳴を上げた。それと同時に未来の巽がサァっと青褪める。
「お、お願いですから、奏太様も亘さんも、人前でイチャイチャするの、やめてくださいっ!」
思わぬことを言われ、奏太は目を見開く。
「はぁ!? そんなことしてないだろ!?」
そう叫びつつも、耳がカァッと熱くなる。それに、亘がククッと愉快そうに笑った。
「御顔が真っ赤ですが」
瞬間、パキッと木が折れるような音が聞こえた。そうかと思えば、ズイッと燐鳳が割って入る。
「奏太様、そのように、感情を御顔に出してはなりません。常々、申し上げているではありませんか」
言い聞かせるような燐鳳に、奏太は眉尻を下げて未来の巽を見た。
「未来の俺、そんな窮屈な生活してるの?」
「えぇっと……妖界にいる時は、です。ね、燐鳳殿!」
巽はそう言いつつ、グイッと燐鳳の腕を引いた。
――御番所。
亘達を残して中に入り、いつ榮が出てくるかと構えながら廊下を歩いていたが、特に遭遇することもなく、湊の執務室に辿り着いた。
湊に燐鳳のことを尋ねられたが、あまり詳しいことは言わずに雉里の者だと説明すると、亀島家よりも上位の貴族に対する丁寧な対応をしてくれた。
「ふむ。噂とは違い、きちんと自身の立場を弁えているようですね」
燐鳳が、先程とは違う扇を広げながら言うと、湊は困ったように淕を見た。
「淕、できたら、父や兄には……」
「ええ。このまま、すぐに戻ります」
話をしている間、未来の巽が口を噤んだまま、妙に神経を尖らせていたのだけが気になったものの、問題なく書類の受け渡しも済ませた。
このまま何事もなく戻れそうだ。間近に迫った御番所の出口を見ながらホッと息を吐くと、奏太の背後から、厭らしい声が聞こえてきて、ドキッと心臓が跳ねた。
恐る恐る振り返れば、そこに居たのは、思った通りの顔。取り巻きを引き連れた、好々爺然とした老人。
「これはこれは、奏太様。お見えになっていたのなら、御声をかけてくださればよろしいのに」
チラッと淕を見れば、淕は承知したように一歩前に出た。榮の相手は、直接しないのが鉄則だ。どう揚げ足を取られるか、わかったものではない。
「書類の受け渡しだけでしたので。お客様もお見えですので、こちらで。さあ、奏太様」
「おや、お客様とは。ご紹介くださらないのですかな?」
榮が言えば、取り巻きの一人がフンと鼻を鳴らす。
「御番所に来ていながら、亀島家の御当主に挨拶もせぬ客人が居るとは」
「奏太様も、客人を案内なさるなら、御声がけのひとつでもあってもよろしかったのでは?」
「奏太様を諌められぬ従者にも問題がありましょう」
一人が口火を切ると、次々と取り巻きが声を上げ始めるのも、前回と同じだ。
「奏太様。守り手様ともあろう方が、未だ、里の礼儀作法のお勉強を疎かになさっているわけではありますまいな?」
榮の見下すような声音に、うんざりした気持ちで奏太は口を開きかける。しかし、その前に、燐鳳が奏太を庇うように一歩前に出た。
「立場も弁えられぬ無礼者は、当主の方だったか」
「ちょ、燐鳳殿っ!」
巽が小声で呼び止めたが、燐鳳は完全無視で、凍てつくような視線を榮に向けた。
「我が君に、老害風情が、何と?」
「おや、お客人。『亀島家』をご存じないのかね? 人界の二貴族家の一当主に対する礼がなっていないようだが」
榮は嘲笑するように言うと、奏太に目を向ける。
「客人の無礼は、連れて来た御方が詫びて然るべきでは? 奏太様」
榮のその言葉に、御番所の廊下に肌を突き刺すような冷気が一気に広がった様な気がした。燐鳳の声が、一段低くなる。
「詫び? 今、この方に、そう申したのか?」
「それが、どうかしたかね?」
態度の変わらない榮を、燐鳳は汚物を眺めるような、底冷えのする侮蔑の目で見据えた。
「たかが『亀島』ごときが、妖界の四貴族家の一つである『雉里』と、未来の『天子様』に礼の一つもできぬどころか、このような穢らわしい言葉を吐くとは」
「……は? 天使……?」
奏太はポツリと呟く。
何故突然、天使などという言葉がでてくるのか。
すると、ギュッと巽に両耳を塞がれた。
「聞いちゃダメです! 奏太様」
「え、巽?」
頭に疑問符を浮かべていると、榮が唇の端を歪めたのが見えた。
「雉里? 璃耀様の親類か何かか? 如何に雉里家が人界妖界の最上位に位置する貴族家とはいえ、遠縁の分家が大きな顔をするとは。雉里家の教育はどうなっているのやら」
「どうやら、教育が必要なのは、其方のようだ」
燐鳳はそう言うと、パッと閉じた扇を振った。
「取り押さえよ、縁」
「はっ」
短い了承の声が聞こえたかと思えば、燐鳳の後ろに静かに控えていた縁が、目にも留まらぬ速さで動いた。
榮についていた護衛も同様に動いたが、縁は刀も抜かずに一撃を食らわしてそれを沈め、あっと言う間に榮を組み伏せてしまった。
取り巻きの文官たちが、ヒッと息を呑み、「榮様!」「なんと無礼な!」「武官を呼べ!」などと騒ぎ立てる。何事かと、他の部屋からも文官たちが顔をのぞかせ始めた。
燐鳳はそれを気にも止めず、地面に押さえつけられた榮の前にスッと腰を下げる。
更に、閉じた扇をヒタと榮の首元に当てた。そして、その口元を榮の耳元に近づける。
「あの方にこれ以上の不敬を働くようなことがあれば、次期雉里家当主として、全ての力を用いて亀島家を滅ぼし尽くしてやろう。どうせ、老い先短い未来だろうが、な」
燐鳳の低い脅しに、榮は目を見開く。
唖然とその光景を見つめ、ポカンと口を開けたままの奏太に、その声は届かなかった。
額を押さえた巽の横、奏太が「……えぇ……」と声を漏らすと、燐鳳はパッと立ち上がり、今まで榮に向けていた嫌悪など一ミリも見せない綺麗な笑顔を奏太に向けた。
「さあ、奏太様。この様な穢らわしいところにいては、御身が不浄に晒されてしまいます。さっさと外に出ましょう」
燐鳳はそう言うと、そっと奏太の背を押す。
「え、う、うん……」
戸惑いつつ奏太はそう返事をして、促されるまま出口に向かう。
燐鳳は興味が失せたように、一度も榮を振り返ろうとすることはなく、当の榮は、縁に解放されたあとも呆然とした様子で奏太達の背を見送っていた。




